私の体調

私の体調を世界にお届け!

殺そうとするから殺される《日記#009》

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半額ブルーベリーと皮なしレモンのクリームチーズパウンドケーキ(※おとといの日記参照)

2020年3月27日(金)

この土日は、お料理とか、お掃除とか、そんな感じで過ごそうかと思っている。

果たして帰りのスーパーになにが残されているだろうか。

しかし、カップ麺ばっか食いながら、感染を怖がって除菌しまくったり、マスク奪い合ってるって、私にはトンチ話としか思えないんだが。

自ら免疫力を下げる生活を続け、ウィルスを招き入れるかのごとく除菌して常在菌を殺すくせに、ペラペラのマスクで守ろうとしてるって。

「ウィルスと戦う」とか「ウィルスをやっつけろ」っていう、敵扱いにもすげー違和感がある。

人間もウィルスも、目的は生存であって、目指すべきは「殺し合い」でなく「共生」。

地球に共に生きる仲間だ。

人類の知恵があれば「共生」のバランスをとれるはずなのに、なにがなんでも皆殺しにしようとするからこんなことになっちゃう。

見えない命を軽視してきた人類の驕りとしかいえない。

なんだか、(受付の陰から)カッコつけたことばかりのたまい過ぎたようだ。。

それでは、よい終末、、でなくて週末を!

もしもビルの受付係が総理大臣だったら〜《日記#008》

 2020年3月26日(木)

昨日の日記どおり、半額ブルーベリーと皮なしレモンのクリームチーズパウンドケーキを焼いた。

今晩のデザートだ。

リクエストも頂いたことだし、映えるようなら明日の日記にアップしよう。

コロナの話。

(トータルどんな人かは分からんが)海外のリーダーたちから聞こえてくる力強い言葉に、ちょっとした安心をおぼえる。

一方、日本のリーダーたちは各方面への忖度とか、「よその国がこんなこと始めたからこれぐらいまではやっとかないとな」とか、トップなのにやらされ感の漂う対応ばかり。

見えないところでは都合よくコントロールしようとするくせに、自分の言葉で大衆を動かすことはできない。

やることはざっくりふたつあると思う。

まずは、より多くいる平均層(からうっすら底辺層)を救うための分かりやすい手をドカンと打つ。

それによって、現実としても精神的にも(ささやかでも)安定を感じさせる。

それから、高齢者をはじめとする生命を脅かされやすい層をきめ細やかな対応で救っていく。

今は、世界全体が「最弱(言い方悪くてゴメン)」に合わせた制限を強いられている状況で、大多数の平均層に日々フラストレーションが溜まり続けている。

医療現場でのトリアージ(重症患者優先)の考え方が浸透してきたためか、まず明確に弱い命から救いたくなるが、多くの平均層も同じだけの「見えない不安」を抱えている。

結果重症だろうが無症状だろうが、抱える不安は同じようなものなのである。

このままだと最弱を救うために、ただでさえ余裕のない平均層まで共倒れになるのではないだろうか。

そのためにも、より多くの人に少しでも「安心感」を与えることをまず始めにやろうと思う。

私が総理大臣なら。

半額ブルーベリーと皮なしレモン《日記#007》

2020年3月25日(水)

今日は元気。

半額のブルーベリーを見つけたので買った。

国産レモンが2個で150円だったので買った。

レモンの皮は、昨日ぬか床に入れた。

今のところ、家族からは(まさに)鼻つまみ者にされている「ぬかどこくん(5歳息子命名)」だが、私はあきらめていない。

私の頭の中にある、「キラキラ眩しい笑顔でぬか漬けをつまみ合う家族」の風景が、いつの日か現実になることを信じている。

半額ブルーベリーと皮なしレモン。

早めに使いたいので、帰ったらなにかスイーツでも作ろうと思う。

ブルーベリーとレモンのクリームチーズパウンドケーキなんてどうだろうか。

元気ならこんなことをしようと思える。

そうありたいから、健康を追い求める。

手のかかるものは作らないが、シンプルなスイーツ(チーズケーキやプリン、スコーンなど)であれば、そこら辺で売ってるのより安全でおいしいものが、私には作れる。

元気でないと、「あまりおいしくないぬか漬けには迷惑顔をするくせに、スイーツなら喜んで食べる家族」に不満を感じる。

そうありたくないから、健康を追い求める。

ぬかどこくんを見ていると、まるで自分自身を見ているかのようだ。

不遇な時にどう扱われてきたかは、いつまでも忘れないだろう。

 

なんか、意図せず家族を「欲望の権化」かのごとくディスり気味になったことを反省し、最後の一行で帳消しにしたい。

※この日記はフィクションです。

「価値観は否めない」を否まない《日記#006》

2020年3月24日(火)

なんか急にくたびれている。

世の中の状況もあるだろうし、ずーっと家にいる子どもの様子を気にしたり、なんかしら余計に神経使ってるのかもしれない。

あと花粉か。

明らかに困る症状が出てなくても、体の内外の炎症はあって、それが心身を消耗させる。

いつも通り寝てもまだ眠いってのも、花粉の時期ならではな気がする。

しかし、花粉症は(薬以外で)必ず治るものだという確信はある。

もちろん自信が確信に変わっている。

私はいつまでも訴え続けたい。

松坂のコレと、セロリの「価値観は否めない」っつー日本語おかしいだろって。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 本人インタビューで「使い方間違えました!タハハ!」みたいのがないかなとググってみたところ、「『人それぞれ違う価値観』は否定できない、と解釈できるしなんなら私はそっちの方がいい」というファンのブログを見つけて、思わず「ぺこぱかッ!」と髪を振り乱してツッコんでしまった。

私も「傷つけないブログ」を目指そう。

ふぉれの名ふぁ、ふぁやし、、ひゃすむだ!

まさよふぃ、すまなひぃ!



やっぱりなんか疲れが出てるな。。

不可能を可能にした男《日記#005》

2020年3月23 日(月)

日記のつもりで書き出したものの、ちょっとダラダラ書いてしまったので、日記とは別にそれはそれとして週のどこかでアップしよう。

日記はよりかんたんに。

3連休明けの月曜日。

最近は心も体もまずまず調子がいい。

昨日は、買った砂利をホームセンターの軽トラを借りて家まで運ぶという、初めての体験をした。

ペーパードライバーだった一年前の私にはできなかったことだ。

suzukiyasumu.hatenablog.com

四十を過ぎて「不可能を可能にした男」と言い切っていいだろう。

子どものポテンシャル《日記#004》

2020年3月22日(日)

栃木県の山っぽい公園に行った。

いつもはたいていへこたれる、というか、体を動かすことにあまり意欲を示さない娘(9歳)が、上の方にあるすべり台に「行きたい!」と。

体力的にも息子(5歳)はしんどそうで、途中でグズり気味になったが、お姉ちゃんの持つ長い木の棒につかまって歩くことで、遊びに変換。

目的のすべり台まで楽しく到着。

あまり時間もなかったため、何度かすべって帰り道。

姉と弟ふたりで、下り坂を楽しそうに駆け抜けていた。

普段からすると、軽く10倍以上の運動量で「こんな体力あったんかい」と。

気持ち次第で「できること」が変わる。

いかにナチュラルに、心の中の「やりたい気持ち」に触れる機会をつくってあげられるか。

ゆっくり流れる時間がいい《日記#003》

2020年3月21日(土)

草むしりをした。

ただ目の前の草をブチブチとむしる。

頭ではこういうのがいいと分かっているし、やってみても実際いい。

新型コロナの影響もあるのか、近所がやけに静かで今の家に来て初めて時間がゆっくり流れているのを感じた。

都心からちょっと離れた人の少ない場所なんかで時々感じるやつだ。

時がゆっくりと流れるポカポカ陽気の中、無心で草をむしり、背中越しに時々、数日前に乗れるようになった自転車でどこか誇らしげな空気をまとい息子が通り過ぎる。

こんな日々をより多く過ごしていけたらそれがなによりだ。

タイトルがハードルだ《日記#002》

2020年3月20日(金)春分の日

どうも書き出そうとするときにいきなりつまずく。

ちょっとした段差ぐらいの目に入りづらいハードル。

そう、ただの日記にタイトルつけるなどという大それた行為がちょっとした段差となり、「出かけようと歩きだした瞬間に出だしでつまずいて頭をポリポリかきながら照れる」という一連の不要なワンセットの動きを誘発する。

今の一文に気持ち労力をかけてしまったことを反省している。

そんなことで、今日の日記のタイトル末尾を基本形にすることにした。

《日記#002》

後々見返す時のために、日記であることと、通し番号(一日ひと記事とは限らないからな!)。

日付を本文の冒頭にしたのは、「まずひと文字目をすぐに必ず書き出せる」ことと、ブログ形式になっているから日付は日付としてブラウザ上に分かりやすく表示されるが、日付、タイトル、本文などバラバラのデータになった時にもひと目で分かりやすいこと。

てゆーかなにより、日記っぽい。

で、「タイトルがハードルになっている!」と感じた時はタイトルなしで《日記#002》だけみたいな感じにする。

日記の練習《日記#001》

祝日前の木曜日。

なにを書こうかと考えている自分がいる。

こんなことではいけない。

ただ今日思ったことを、ひねれば水が出る水道のごとく書くのみ。

「ひねれば水が出る水道のごとく」なんて、気の利いた例えは必要ない。

例えたその数十秒で、「ただ思ったこと」をもう一行書き足すのだ。

最近はメンタルも腰も調子がいい。

いい方向に進んでいる。

とか、日々の体調を書いていこうとすると、これまでなにをしてきたとか、定常はどんな調子なのかとかを書いておかなきゃ伝わらないよなって考えてしまう私がいる。

そんなことは私が分かっていればいい。

だいたい、人に読まれた時のことなんて意識しないのが日記だろう。

思ったより逆に難しいな、日記。

ブログのシフトチェンジ2

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

前回の続きっぽい感じ。

suzukiyasumu.hatenablog.com

どんな感じで生きてくかってとこから、ブログもどうしていこうかってとこへ。

世の中の動きとかGoogleの動きから、これまでと同じスタンスでのブログ継続は気分的にキツくなってきたなってのがこの数ヶ月。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 今あるブログはさておき、子どものためにも「これからの健康」について書き残しておきたいなと、健康ブログを始めたのが直近。

で、実際やってみて実感したことが多々あり、やっぱり改めてどうしていこうかってのがひとまず整理できました。

まずは、一応メイン的なものと考えてきた「生きづらいいとも!」。

このね、「生きづらさ」とか「健康」とか、いちいちカテゴリー分けしてしまうこと自体が心のとらわれというか、特化か雑記かみたいな「ブログの型」についつい沿おうとしてしまうんですわ。

あとはその、「林やすむ」とリアルの自分の棲み分けみたいなとこだって、言うなれば自分自身のカテゴリー分けですし。

書きたいことを書いてるつもりが、ブログの常識とか、Googleとか数字とかリアルとの兼ね合いとか、なんだかんだいろんなことにとらわれて、ずいぶん窮屈に書かされてたんですわ、自分に。

はてなブログは比較的気楽に書けて他は筆が重いってのがその辺で、一番大きいのが「個」を消さずに(ってゆーかむしろ、いかに「個」をゴリ押しできるかぐらいの心持ちで)書けること。

それがまぁ、ここんとこはそのはてなブログさえちょっとぐったり気味なので、まずはこのブログを今よりさらに気軽なものにしてみようかなと。

誰が好き好んで読むんだよってぐらいのホントに軽い日記に。

まぁこの辺もまた、私のムダな生真面目さがどう反応するかという実験的な部分もありつつ、書く時のハードルをこれでもかっつーぐらい下げて吐き出し習慣をつけると。

で「生きづらいいとも!」は、生きづらさに絞らずタイトルも変えて、はてなブログでの日々の吐き出しやら実生活の中である程度まとまった考えを残しておく場所にします。

はてなが「日記」で、旧生きづらが「記録」みたいな。いや、もう「遺書」っぽいものでいいかもしれません。

こうなってくるとそろそろ「終末」を意識しますわね、「お父さんはこんなことを考えてたんだよ」って。

でもまぁそんなに肩肘張らずに。

いやね、価値があろうがなかろうが肩書きと数字でジャッジされるなら、下手に「情報」ぶらずに「個人ブログ」として開き直っていきたいなって思うんですよ私は。

そもそも「発信してる」なんて思ってることがおこがましいっつーかね。

なのでこれからは、

「今日はちょっとお腹の具合がおかしい。昨日から摂り始めたサプリの影響だろうか?」

とかそんなブログになります。

まぁもうしばらく模索して、また全然ちがうこと言い出すかもしれませんけども、自分のライフスタイルにうまいことハマるものにしていけたらなと思ってますハイ。

じゃ、おやすむ~!!