2020年7月9日(木)
初心を忘れている。
ついつい、なにかしらのテーマで書こうとしてしまう。
そしてそれが、「テーマがなければが書かない」につながる。
こんなことではいけない。
さてとポテト。
つくづくつまらない世の中になっていく気がする。
家の中以外で、自分の考えを相手に伝えることがはばかられる。
考えが相手と違えば、相手を否定しているとも捉えられかねないような、そんな空気を社会に感じる。
私は、モノごとを本質的に捉えて理解し、できる範囲で行動に移す。
それはしばしば、社会の常識と違う方向に向かう。
単なる「自分を信じたい本能」ではない。
また別の事実を知り、これまで信じていた考えに矛盾を感じれば、考えを改め、まちがいを認める。
学歴や職歴のための勉強はしてこなかったし、人とのコミニュケーションも得意ではないので、自分がどこでなにを知り、どんなプロセスで理解を進めて、今ある結論に至ったかを対面で分かりやすく説明することが難しい。
結果、「こうならこうに決まってんだろーが。なんでそれぐらいのこと分かんねーんだよこのスカポンタン!」というコミニュケーションになる。
私は私で余裕がない。
医者でも大学教授でもIT社長でもない、ただの受付係のオジさんの考えなど、すんなり受け入れられるワケもないだろうが、それこそただ反発する前に、頭回して考えてから判断しろよと言いたくなる。
脊髄反射で反発するだけで、分かろうとする努力はしない。
社会と接する度に、家族の尊さを噛みしめる。
せめて家族には、やさしく穏やかに自分の考えを伝え、余裕を持って理解を求めるよう努めたい。
(つって、「家族が大切」と、思っていることを書くだけで、一人で生きてる人を否定しているように映ってしまうのが昨今、ってな話ですハイ。)
でもアレだな、むしろ私自身が「自分の正しさ以外認めない姿勢」でいるのかもしれない。
最後の一行でそんな気になれてよかった。