私の体調

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自分の正しさと他人の正しさ《日記#039》

 2020年7月9日(木)

初心を忘れている。

suzukiyasumu.hatenablog.com

ついつい、なにかしらのテーマで書こうとしてしまう。

そしてそれが、「テーマがなければが書かない」につながる。

こんなことではいけない。

さてとポテト。

つくづくつまらない世の中になっていく気がする。

家の中以外で、自分の考えを相手に伝えることがはばかられる。

考えが相手と違えば、相手を否定しているとも捉えられかねないような、そんな空気を社会に感じる。

私は、モノごとを本質的に捉えて理解し、できる範囲で行動に移す。

それはしばしば、社会の常識と違う方向に向かう。

単なる「自分を信じたい本能」ではない。

また別の事実を知り、これまで信じていた考えに矛盾を感じれば、考えを改め、まちがいを認める。

学歴や職歴のための勉強はしてこなかったし、人とのコミニュケーションも得意ではないので、自分がどこでなにを知り、どんなプロセスで理解を進めて、今ある結論に至ったかを対面で分かりやすく説明することが難しい。

結果、「こうならこうに決まってんだろーが。なんでそれぐらいのこと分かんねーんだよこのスカポンタン!」というコミニュケーションになる。

私は私で余裕がない。

医者でも大学教授でもIT社長でもない、ただの受付係のオジさんの考えなど、すんなり受け入れられるワケもないだろうが、それこそただ反発する前に、頭回して考えてから判断しろよと言いたくなる。

脊髄反射で反発するだけで、分かろうとする努力はしない。

社会と接する度に、家族の尊さを噛みしめる。

せめて家族には、やさしく穏やかに自分の考えを伝え、余裕を持って理解を求めるよう努めたい。

(つって、「家族が大切」と、思っていることを書くだけで、一人で生きてる人を否定しているように映ってしまうのが昨今、ってな話ですハイ。)

 

でもアレだな、むしろ私自身が「自分の正しさ以外認めない姿勢」でいるのかもしれない。

最後の一行でそんな気になれてよかった。

レジ袋を50円にすりゃいい【レジ袋有料化】

レジ袋が有料になりました。

それでも相当使ってる感じ。

いやべつに、レジ袋警察になるつもりはありませんけど、「お茶とおにぎりぐらい持てよ」みたいなね。

いっそのこと50円ぐらいにすればいいんですよ。

(勝手なモンで)人間にとって迷惑な生き物を「害虫」だの「害獣」だの言いますけど、今の地球に生きてて自然環境に無関心なんてのは、地球にとったら「害人」なんです。

いや、私がそう思ってるんじゃなくて、おもんぱかってみたら地球がそう言ってるっつーか。※どうですこの地球を盾にした予防線!

ペーパードライバー講習【2日目】で運転もパッシングも「おもんぱかり」だと知る - 私の体調

それほど環境に悪くないみたいな話もあるみたいですけど、使わなきゃ使わない方がいいんだから。

んできっとそんな人は「その方が経済が回る」とか「なにかと使うから」とか言うんでしょう。

ただ面倒臭いだけのくせに。

2円とか3円じゃそうなるんですよ。

だから「50円でもそのスタンス取るのね?」ってこと。

さすがにレジ袋一枚100円は、社会に新たなる憎悪を生む気がするので、50円で。

そうするときっと、相当数がエコバッグ持ち出すでしょ。

で、大半の人がエコバッグ持つようになる頃には、すっかりはぐれ刑事純情派、じゃなくて、エコバッグ推進派ですよ。

すいませんね、「派」だけではぐれ刑事持ち出したりして。

なんならはぐれ刑事出すためにわざわざ「派」を使って。

今は亡き母が好きでね、はぐれ刑事。

藤田まこと

真っ赤な口紅でゴールデンバット吸いながら見てましたわ。

ハイ、すいません。

そんなとこで、50円ぐらい思い切っちゃえば、いっぺんに「文化」として根付かせられたんじゃないかなーって、なんとなく思っただけです。

べつにそんな社会に怒りを感じてるとかそんなんでもなく。

なんなら私だって、ここ3~4年ぐらいのもんですから、しっかりエコバッグ持ち出したの。

淡々としたもんです、近頃は特に。

大衆なんて、みんながやってりゃやるんだから。

マスク、消毒が感染対策になるってやっぱ本気で思ってるんですかね。

命守ってるつもりで、自らせっせと命削り倒して。

suzukiblog.com

まぁしかし、私だって社会の一員ですからして、そんな社会でも折り合いつけて生きていきますけどもね。

じゃ、おやすむ~!!

ナスDは「大変」を「ワクワク」に変換する《日記#038》

2020年7月1日(水)

日曜日に、ナスDの無人島のやつを見ました。

www.youtube.com

ちょい前に録画してた、何年か前にやってたのの再編集版みたいの。

このリンクはそれの未放送分みたい。

あの尋常じゃないエネルギーがうらやましい。

無人島に2泊して、家作ったり、火を起こしたり、何度も海に潜ってモリ一本でタコとか魚とか捕まえたり、それを自分で作ったかまどで料理したりして、結局一睡もしてないんですよ?!

なにがステキって、全部楽しそうにやってるのね。

四時間半かけて作ったかまどの位置がちょっと遠いってまた一から作り直して、その最中に「うわぁなにコレ、めっちゃ楽しい・・・」だって。

心の声が自然と漏れちゃってる感じで。

失敗とかやり直しに対して、イヤだとか時間ムダにしたとかっていう雑念がない(のか、瞬時に切り替えてるのか)。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 もちろん体力的にしんどくないワケないんでしょうけど、ワクワクとか、楽しさとか、好奇心とか、負けん気とか、本人の中にある「気持ち」が「大変さ」より断然強い。

なんかもう、あんなふうに在れたら人生たいがい面白いですよね。

結局しあわせかどうかなんて自分の気持ちひとつっつーか。

「一生分のお金あげるからずっと家にいろ」って言われてもナスDなら断るでしょうね。

いやもしかすると(お金は受け取らずに)「徹底的に家の中で楽しむこと」に全精力を注ぐのかもしれません。

上に貼ったYouTubeチャンネルも、お金をもらうようなものじゃないからって、広告入れてないんですと。

んでね、放送の中でギター弾いて歌ってたんですけど、歌まで上手いの。

なんかもう、超人。

いくつぐらいなんだろうと思ったら、74年生まれってなかなか年上なんですよ。

だからなにってこともないんですけど。

三ヶ月くらいビッチリ密着してもらって、無人島じゃなくて素の生活見てみたいですわ。

なんなら、ビックダディ的に長期密着ドキュメントでシリーズ化とか。

不愉快の「不」をスーッと消し去るブログ術《日記#037》

2020年6月26日(金)

どうこのタイトル?

今こんなタイトルのブログ本出したら、意外とニーズがあるんじゃないだろうか。

小遣い稼ぎでなく、承認欲求の消化でもなく、「自分自身のメンタルヘルスのため」っていう切り口。

ここのところなんだかモヤモヤしていたのだが、とある記事に書いた出来事が引っかかっていたようで、テキメンに心がスッキリした。

 よく陰気な自己啓発本なんかにある「紙に書き出すことでストレスをリリースする」みたいの。

脳内で起きてることはまさにそれで、紙でもブログでも同じだ。

これまでもなんとなく実感してはいたが、しんどい時にただ漠然と書けって言われるのもしんどいなとも思っていた。

が、コツをつかんだかもしれない。

「不愉快な出来事をいかにバカバカしく書き殴るか」

コレだ。

不愉快の「不」がスーッと消えて(「不」だからフッと消えた方がよかったかもしれない)、いつの間にやら愉快なブログに変身するのである。

一見、ツイッターに誹謗中傷書き込んで発散しちゃう人と似たようなものと思うかもしれないが、だいぶ違う。

まずなにより、書かれた人が傷つかない。

書いた方は、バカバカしく書ければ書けるほど満足する(※攻撃してスッキリするのとは違う)。

相手を傷つけずに、自分を自分で癒す。

読んだ人がどう感じるかちょっと微妙な部分はあるが、他人が他人について書いていることなので、どうか気軽に受け止めてほしい。

数字やお金がかんたんについてこなくなった昨今、ブログの効用をそういうところに求めた方がはるかに健全かもしれない。

四年後の心配《日記#035》

2020年6月19日(金)

脱グーグルとか、サーバー移転とか、健康のこととか、色々と同時進行な感じで区切りがつかないと、ブログに向かいづらくなる。

まぁ週一回ぐらいは書いておこう。

実のところは、それぞれいい感じで進んでいて、なんならスマホカメラの写真整理とかまで手を広げて時間をくっている始末だ。

近頃思うことがある。

上の娘がもう小4。

なんだかずいぶんお姉さんになってきた。

心配しようと思えばいくらでもできはするが、親が必要以上にかかわらない方が、将来のためになる(と思われる)年頃というか。

さらに三、四年も経てば、下の息子も今の娘ぐらいになる。

そうなったらもう、父親としての役目の大部分を終えた感覚になる気がする。

子どもが親を求めなくなるまでに、子どもの心になにを残せるかが、子育てのほとんどなのではないだろうか。

自分に向けられた親の言葉よりも、自分以外に向けられた親の言葉を吸収するのが子どもだ。

作られた言葉かどうかを見事なまでに嗅ぎ分けるっつーかな。

で、下の子が今の娘の年頃になれば、もうだいたいその辺の下地が作られて、親から受ける影響は格段に少なくなる。

親よりも社会からの影響を求めるようになっていくのだろう。

そうなればもう、父の役目は終わったようなもの。

ってことで、問題はそっからの親父だ。

なんかもう、抜け殻みたいになりそうでコワい。

そんな心配を、近頃している。

脱Googleついでのワードプレスブログのレンタルサーバー移転に手こずり中《日記#034》

2020年6月11日(水)

相変わらず脱グーグルを進めているが、そのついでのワードプレスブログのレンタルサーバーの移転に手こずっている。

脱グーグルついでの手こずりついでの、はてなブログである。

まぁそのレンタルサーバー移転ってのも、グーグルの方向性を実感したからこそのこと。

もう「そこら辺の個人の発信は検索されない」のが、グーグル検索のスタンダードになっていくのだろう。

これまでなんとか「それなりに書きたいこと書いて、たとえ数えるほどであってもそれがどこかの誰かの役に立って、あわよくばお小遣い程度にでもなればいいな」なんて希望を胸にブログを続けてきたワケだが、これからはお小遣いどころか、お金にならない検索キーワードでさえ検索結果に表示されなくなっていく。

だだただウェブの海をさまようプラごみのようなもので、誰もそこに辿り着く術を知らない。

単なる「自己満ポイ捨て野郎」だ。

ドメインを取って、サーバーを借りているワケで、たとえ自分が価値のあるものだと信じていても、社会の中でゴミと同じ扱いを受けるものにかけるお金はできるだけ少なくしたい。

ってまぁ、そもそもアクセスのないブログだし、維持する必要もないのだが、それでも自分自身の続けてきたものを残しておきたい気持ちや、(今後も書き続けるので)モチベーション維持のための負荷として、ひとまずは「できるだけ少ない固定費で維持する」ことにした。

しっかし、前から「グーグルが評価する内容」が正解で、そこにいかに寄せるかみたいなものではあったけど、もうなんか「グーグル様のゴキゲン損ねたらおしまい」みたいな、明らかに気持ち悪い状況になってきてる。

こういう記事にリアクションしづらい、とかもう立派な言論統制が成立してるっつーかな。

検索エンジンの開発とかしてる人、今すげーチャンスな気がするんだけどな。

まずは世界を見ずに母国語回帰で、国内の情報をいかに内容で評価できるかってとこ突き詰められれば、けっこうな需要があるはず。

ま、それができるならグーグル様がやってるのか。。

なんつってたら、国産検索エンジン計画がずいぶん前に頓挫してた模様。

www.itmedia.co.jp

インターネットを使えても検索エンジンが無いというのは、「サイバーリスク」の1つとして考えるべきではないか

こんなことも有り得ると。。

しかしこんな国ぐるみでなくても、インターネット界の藤井聡太くんみたいな天才少年が現れて「検索エンジン作ってみた (「・ω・)「ホイ」とかって突然スゲーの上げられたりしないもんなのかしら。。

Googleに依存する方が断然便利だ《日記#033》

2020年6月4日(木)

Googleはまだしばらくかかりそうだ。

とにかく感じるのは「グーグルの便利さ」と「支配欲」。

脱グーグル作業をしていると、便利なサービスを生み進化させていくモチベーションの根っこに「支配」を感じることが度々ある。

一個人なら、カプセルホテルの支配人ぐらいでけっこう満足できそうなものだが、グーグルは「検索窓の支配人」では満足しなかった。

はっきり申し上げてグーグルに依存するのが一番ラクだが、なんとなくもう後には引けない。

つってもまぁ、アンドロイド使っててグーグルアカウントを削除するっては現実問題なかなかひねくれた作業になってくたびれるのでそれはしない、っつーかできない。

気持ち悪いのは、行動やら思考やら移動やらが、個人情報と紐付けられて地続きで把握されちゃう(感覚になる)こと。

自分なりに納得できる線引きで移行できればよしとしよう。

とりあえず、Chromeとグーグル検索については、すでにほぼ使っていない。

気づけばあまり検索に時間を割くこともなくなっていたようで、意外とすんなりやめられた。

元々スマホのブラウザはOperaをメインで使っていて、Chromeはサブだったので。

検索はBingと、プライバシーに配慮しているらしいDuckDuckGoを併用してみてて、あまり「いい感じ」とは思わないが、まぁ(なんとか)必要十分というか。

ヤフー検索の中身はグーグルとほぼ同じなので、データはグーグルにも行ってるものと考えて却下。

あと、コロナで状況がコロコロ変わる昨今、あの店はやってるのかとか、あの公園はどんな感じだとか、ツイッター検索で今欲しい情報を見つけることも多い。

取りかかってみて、改めて依存度の高さに気づかされたのはGmailだ。

なんだかんだ作ってきたサブのメアドもすべてGmailで送受信できるようにしてたり、ラベル分けして通知の管理をしていたり。

で、同じことを他のメール管理アプリでやろうとしても、どうにもすんなりいかない。

便利やラクに身を委ねるのが「依存」といってもいいのかもしれない。

グーグルへの依存を減らすのと同時に、ついつい放ったらかしにしてきた諸々を整理して削っていくいい機会だ。

Google日本語入力Simeji

これはあっさり移行できた。

Simejiはいい。

えーっと、あとはまぁまたにしよう。

 こんな読者様の声も頂いているので、ある程度済んだらまとめて記事にする予定だ。

検索結果の変化でGoogleの支配が気になりだした《日記#032》

2020年5月28日(木)

日頃から特に傾向を気にしてたりしない私でも、グーグル検索が変化しているのを感じる。

数字が正義だというならそれはそれで仕方ないと思ってはいたが、なにかしらの都合が働いているのを感じたり、公的なものの中にしか答えがないかのようだったり、ユーザーファースト、数字ファーストのみでもない「不自然さ」を強く感じるようになってきた。

自分がブログをやっているかどうかは関係なく。

シンプルに言えば「あるはずの情報がないものとされている」ような。

これまでの感覚だと、ウェブサイトってもんは数字さえ集めれば上位表示されて、パッと見でクソみたいなサイトを自分でハジけば、(手間と時間はかかっても)求めるものに辿り着けるものだった。

それが、かき分けるクソサイトもその先にあった答えもなくなった。

残ったのは退屈な「公式情報」のみ。

ま、おおげさだけどそういう方向だろう。

日々賢くなっていくグーグルが、その賢さを個人ユーザーでなく、体制のために使い始めたというか。

長期的な計画のもと、(一末端ユーザーさえ変化を実感する)こんな流れに突入してきたとなれば、なにかと気になってくる。

検索をはじめ、気づけば様々なウェブサービスで「独裁」状態というのは、非常に危うい。

まー、自分の個人データが数字の1としてなにかしらの足しにされることなんかはとうにあきらめているし、その先に万が一の実害があるかもしれないことも許しているようなものだ。

私にとって一番の問題は、芽生えてしまった「気持ち悪さ」。

べつに「不信感」ってほど深刻のものじゃないが、もうなんか気持ち悪い。

どこでなにをしても、電柱の陰にピチャイのメガネが光っているのを感じる。

グーグル検索とクロームGmail、とグーグルマップもフォトもヤダな。

この辺が紐付いていることで、各種個人情報はもちろん、ウェブ上とリアルの行動、考えていること、やろうとしていることなどなど、相当広範囲に握られてる感がある。

とりあえず多少不便になっても、なるべくグーグルを避けてみようと思う。

少なくとも、ある程度分散されていれば、気持ち悪さはかなり軽減される。

軽く調べてみたところ、各種代替サービスは意外と充実している。

それだけ似たような気持ち悪さを抱える人が増えているのだろう。

その辺が落ち着いたら、ブログとかツイッターとか、改めてウェブ上の在り方全般を見直してみようと思っている。

プロのひとくちカツに「ウマーーー」ってなった【プロフェッショナル仕事の流儀〈プロのおうちごはん〉】《日記#031》

2020年5月26日(火)

宣言どおり、プロのおうちごはん作りまクリスティな土日であった。

suzukiyasumu.hatenablog.com

土曜の昼、ホットサンド。

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パンも作ろうと思ったが、レシピ検索でくたびれたので買って済ませた。

パンを作らないとなれば、ほぼ材料をはさむだけなのだが、4人分をなるべく同時進行するのはけっこう大変だった。

あると思っていたクリームチーズがなく、急遽水切りヨーグルトで代用しようとしたが、まだ「水切りきれてないヨーグルト」の状態だったりして、まー美味しかったけども大変さが勝った。

その他感想

・フライパン(番組ではホットプレート)にバターを溶かしてその上でパンを焼くという行程が、手間の割に味に影響しなかった
・パンににんにくスリスリは風味が効いてなかなかいい
・チーズをケチるとウマウマ感が減る
・せっかく買ったイタリアンパセリを終盤まで忘れてたが、ハーブ系は絶対あった方がウマい。味のハーモニーや。
・コルニッションとかいう謎のピクルス的なものもすっかり忘れていたが、ハーモニーのためにはあった方がいいはず

パンも作って、ウマウマポイントをしっかりおさえてもう一度やってみよう。

夜は、ひとくちカツ。

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これ最高。

「ウマーーー」ってなる。

 難しいことはなんにもない。

プロの工夫みたいのも、油の温度を低め(140℃)にするってぐらいだったかな。

どなた様もコレやってみてほしい。

休日のコレだけを楽しみに一週間乗り切れるウマさ。

肉をちょっとだけいいやつにした方がいい。

衣のサクサクと、噛みしめた肉の旨味と甘み。

塩の方が、口の中に「ウマーーー」が浸透していく感じがしていい。

お肉屋さんの豚ロースがなくなって、スーパーの一番安い鶏もも肉(国産)も揚げた。

揚げたてなのでそりゃウマいはウマいが、肉の旨味と甘みがまったく違う。

なので、安い肉とちょっといい肉の二段構えにして、安い肉から食べるのが庶民の知恵だろう。

これはもうホントにメチャクチャうまかった。

日曜日の朝、パラパラチャーハン。

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ご飯も具も全部まとめて玉子に混ぜて、ネチャネチャの状態からパラパラになるまで炒めるというやり方。

パラパラというよりはポソポソって感じで、油多めの方がよかったのかも。

朝食後に、翌日以降用のカレー作り。

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プロのカレー粉の量の目安を体感するため、レシピ、分量ともアレンジなし。

味見したところ子どもにはだいぶ辛そうだ。

スパイスカレーはしょっちゅう作るが、いまだに旨味の出し方がイマイチつかめない。

普通に充分な旨味を感じる時よりも、なにかが足りない感じの時が多く、なにがその違いになっているのかが、10年ぐらい分からないでいる。

調味料なのか、味のバランスなのか、食材なのか。

永遠の謎である。

最後、鶏肉があったので鶏団子スープ。

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鶏皮の出汁でまあおいしかったが、ちょっと塩気が薄かったな(私の味付けの問題)。

以上、土日でプロのおうちごはん5品作ってみた。

ついでに親父の焼きドーナツ。

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とにもかくにも、ひとくちカツの「ウマーーー」に尽きる。

一ヶ月以上続く首の痛みと運動不足とお天気不足《日記#030》

2020年5月22日(金)

左側の首から肩にかけての寝違いのような痛みが、もうかれこれ一ヶ月以上治らない。

痛みはさほど気にならないが、せっかくその他諸々いい感じの時に「万全」のジャマをされてる感じがヤだ。

腕立てきっかけっぽいので、せっかく習慣になっていた軽い筋トレもできない。

緊急事態宣言で、これまたせっかく週イチでよい習慣になっていたプールもいけない。

ほどよい運動の習慣がことごとくツブされてしまっている。

で一応、帰ってすぐにほんのちょいジョギングをしているが、なんか乗らない。

走って気持ちいいような道もないし、やけに人通りがあるのでイチイチ気になる。

いや、全部ウソだ。

気づけば不満を並べ立てているだけじゃないか。

今、大きな不安もなく日々を過ごせているだけでとてもしあわせだ。

もうなんか、コロナについてはとりあえずこれ以上考えることもない感じになってきた。

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ささ、土日はプロのおうちごはんをいろいろやってみるんだ!

suzukiyasumu.hatenablog.com

 じゃ、おやすむ~!!