ロングコートダディが林やすむ賞受賞【キングオブコント2020素人審査】
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
ジャルジャルの優勝で幕を閉じた【キングオブコント2020】の素人審査結果の発表です。
私の中の優勝は、ニューヨークでした。
2本目の「切ってきた髪を見せたくない舎弟」のネタが、今日イチだったからです。
昨年のM-1、キングオブコントの両大会で優勝は逃したものの、M-1で「林やすむ賞」、今回は「林やすむの優勝」をかっさらいまして、通称「ねじれダブル」の偉業を達成致しました。
M-1ではニューヨーク本来の持ち味は発揮できてない感じでしたが、今回で「ちゃんと面白い」ことを示せたんではないでしょうか。
ジャルジャルは、1本目だけならワタクシ的にも優勝でしたが、2本目の良くも悪くもシンプルすぎるネタが、個人的にはちょっとハマらなかったです。
さぁ、おまちかねの「林やすむ賞」は、ロングコートダディです。
ダンボールを積み下ろして中の部品を運ぶアルバイトのネタ。
私今回、自分の中で気づいたことがあって、ひとつは、リアルが垣間見えること。
あ、どういうのを面白いと感じるのかって気づき。
設定が現実っぽいかどうかってのとはちょっと違くて、「ホントにこの感覚に陥った瞬間があったんだろうな」ってのをイメージさせられるっつーか。
それと、「ありえそうなありえなさそうなバカ」。
こういうヤツいるよなっていう共感のラインを、足跡1個分ぐらいまあまあ派手に越えてくる感じの。
そんなやりとりだらけでしたよね。
頑なにDの箱を下に戻す感じとか。
ニューヨークも2本ともそんなんを感じさせられました。
不本意な髪型を見せる見せないっていうちょっとした意地の張り合いが「殺るか殺られるか」にまでエスカレートしちゃう。
それで言うと、ジャルジャルの2本目のタンバリンなんかは、完全に「ありえないバカ」になっちゃってて、「感覚」過ぎるなって。
さっぱり記憶の中になかったんですけど、ロングコートダディって、私さっきはった記事で触れてたんですよね。
敗者復活にも初見の面白いコンビいたんですよねぇ。
私の中の、敗者復活勝ち上がりは「くらげ」でした。
「分かんねえけど」って言いながら、女の気持ちを分かりすぎてる男のネタ。
次点は「ロングコートダディ」。
天ぷらと3対3で合コンするネタ。
くらげが勝ち上がってあのネタやってたら、すげーハマった気がするんですけどね〜。
初見だった2組が、私審査の敗者復活上位2組だったのもなんか、(勝手に)今年の面白かったM-1の予兆になってましたわ。
なんか、ほ~ッて思うのと同時に勝手に照れましたわ。
えー、その他で言うと、空気階段もやっぱり面白いんだけど、ネタ的に王道のコンテストで優勝するタイプじゃないのかな~って気がしました。
2本目なんて、創作なら今のテレビでもこんなんしていいんだ!って、ヒヤヒヤしながらやけに感心しました。
とまぁ、こんな感想でした~。
カムバック!「好き」と「意欲」!!
十代後半頃は、いろんなモノが「好き」で「意欲」があった。
「好き」のための行動に迷いはなく、面倒なことでも「好き」の過程ならネガティブな要素にはならなかった。
今なら、ちょっとしたひとつひとつがハードルになり、「行動」にたどり着くまでが、遥かなる道のりとなる。
なんなら行動しないことを正当化するために自分でハードルを設置していると言ってもいい。
さて、今この冒頭のムードから、なんとなくエモみのあるイイ感じの文章を連ねられる気がしていたが、ちょっとつっかえてしまって、もう無理みたいだ。
流れのまま、抽象的な「感覚」主体で続けようか、具体的なあの頃の「好き」の例を掘り下げていこうかで迷った。
抽象的パターンは、正直なんか面倒臭くなり、それこそ意欲を削がれた。
具体的パターンをいくつか思い巡らせたが、どれもいい感じの展開が見えず、やはり意欲を削がれた。
意欲を求めている私から意欲を引き出すほどの何かが、どこにも見当たらない。
だがしかし、このまま終われないだろう。
ムリして続けてみるので、「この人はムリをして書いている」と感じながら読んでほしい。
当時の私が胸躍らせる対象といえぱ、「シリアルキラー」そう、連続殺人犯だ。
ジェフリー・ダーマー、アンドレイ・チカティロ、アルバート・フィッシュ、エド・ゲイン、ジョン・ウェイン・ゲイシー、テッド・バンディ、エド・ケンパー、デビッド・バーコウィッツ、、
これぐらいの、オールスター級の名殺人鬼の名前なら今でもスラスラ出てくる。
う~む、なんだろう、やはり先のビジョンが見えてこない。
なにか別のモノにしよう。
広島東洋カープ、というよりも、前田智徳が好きで、、いや、違うな。
仏像とか、懐メロとか、ショーケンとか、Tシャツとか、「好き」と言えるものが山ほどあった。
今ふり返ると、それほど詳しいワケでもなく、イベント的なものに出向くワケでもなく、仲間と交流するワケでもないのだが、それでも間違いなく「好き」と言えた。
そこかもしれない。
「好き」と言えるほどの興味が持てないというか、、
うーむ、やっぱりいい着地点が見当たらない。
それでも、これだけ乗らない中、やれるだけのことはやった。
今も、気の利いた最後の一行を紡ぎ出そうと粘ってみたが、サッパリ出てこない。
こんな日もあるさ。
じゃ、おやすむ~!!
消毒ババア警察に取り締まられた件
ふと気がつくと、受付の前の道路のジャマな位置に自転車が停められている。
通行の妨げにならぬよう、私は自転車を端に寄せた。
ほどなくして自転車の持ち主らしき老婆が現れ、自転車が移動されていることに気がつく。
ガラス越しに目が合い、私は「すいませんけど動かしましたよ~」というメッセージを込めて、やわらかな会釈をした。
老婆は私のやわらかな会釈を弾き返すかのような硬い表情のまま、無言で受付の入口に置いてある消毒液をポンプごと持ち出し、(私が触れているであろう)自転車のハンドル、サドル、荷台に次々と消毒液を吹きかけたのである。
ボトルを戻し、立ち尽くす私に視線を向けることもなく老婆は去っていった。
老婆からすれば、私は新型コロナウィルス同然なのである。
同然っつーより、老婆にとって「他人はコロナウィルス」なのだ。
そう、これがコロナ禍で手に入れた人間同士の新しいコミュニケーションの形。
有無を言わさず殺される、目に見えない微生物たちの気持ちがよく分かった。
微生物に気持ちはないって?
「生きたい」という本能ぐらいは理解できる同じ「生き物」でありたい。
老婆に対して怒りも哀しみもなく、あるのは、そういうヤツを生で見られたというちょっとしたオモシロと憐れみである。
大衆の多くは、未だに消毒・マスクに意味がないどころか、長期的に見たら相当に有害であろうことを受け入れられない。
知らないわけでなく、自分のやってきたこと、信じていることを咎められるのが我慢ならないのである。
もはやこのコロナ禍が「事実」によって収まることはないだろう。
まして、事実が一体どこにあるのか、どうやら誰にも分からない。
となれば、ウソでもごまかしでもいい、求めるのはただの「安心」だ。
その逆に「不安」をあおる仕組みをフル回転させるこの社会に、疑問を感じているのは私だけではないだろう。
人類総出の茶番劇に付き合わされるのもまた、我々大衆なのである。
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
エヴァンゲリオンにハマれなかった中年の気持ち《日記#050》
2020年9月11日(金)
気のせいでなく調子がいい。
日々回復を実感するこの心地よさよ。
少し前にNHKで立て続けにエヴァンゲリオンの劇場版のやつがやっていて、せっかくなので録画しておいた。
世代的には見てる世代なのだが、私は素通りしていて、初めてまともに見た。
思ったのは、「こういうのは、見るならちゃんと盛り上がってる時に見た方がいい」ってこと。
だいたいが、若い時にリアルタイムで食いつかなかったモノを、(当時からの評判を踏まえて)おっさんになってから見ても、なんとなく「どれどれお手並み拝見」みたいな、なぜか上から目線で受けて立ってしまって、全然純粋に楽しめない。
時々出る名ゼリフっぽいフレーズも、シンジくんのナイーブさや綾波の謎めいたキャラ設定も、ライトなお色気描写も、意表を突いた感じのBGMも、いちいち庵野監督の顔が浮かんで、すべて「あざとさ」に変換しちゃって。
そんなこと言い出したら、アニメだろうが小説だろうが、フィクションのストーリー作品楽しめないだろっていう。
なので、エヴァンゲリオンに恨みもなにもなくて、問題はこちらサイドの歪んだモノの見方だ。
そもそものところで言うと、私は子どもの頃から(巨大)ロボットものをスルーし続けてきた。
だいたい巨大ロボットなんてもんは、もし本当に必要なら今の技術でできないもんでもないのに、現実社会で一切発展しないということは、社会に求められていない代物なのだろう。
そんな、現実の社会に求められてもいない世界観の中で、(特にロボットものに限って)ノリがマジなのである。
マジメにやってればやってるほど、「いやロボットって!」ってなる。
響くも刺さるもあったもんじゃない。
小さい頃は、社会がどうなんて考えてはいないはずだが、幼心に「ロボットとマジのミスマッチ」を肌で感じていたのかもしれない。
ガンダムとかマクロスとかパトレイバーとか、みんなマジだ(知らないけど多分)。
まずそこで、入り込めない。
だったらなんで見たんだよと言われれば、だからこそエヴァンゲリオンに期待したのかもしれない。
新しい時代のロボットアニメを見せてくれるのではないかと。
20年ぐらい前のやつだけど。
すでに述べた通り、私の期待は裏切られた。
まともに見たと言ったがウソだ。
3作品のうち2作目の途中からダレてきて、3作目の序盤で「こんな気持ちのままエヴァ(の世界観)に乗り続けるなんてできないよ!」と、私の中のシンジくんが叫んだ。
アスカが「だからあんたは七光りなのよ!」と挑発する。
もう一人の飛鳥は「ヤ~ヤ~ヤ~~♪」って歌ってる。
綾波も一緒に拳を突き上げて歌ってる。
バンダナにサングラス姿で。
画面の中のシンジくんが言葉を発したのとほぼ同時に、私はリモコンの削除ボタンを押した。
「逃げちゃダメだ」
無言ブクマの先にいる誰か
前回の記事に、(id:kami2775)さんより頂いたブコメ。
やはり、この嬉しみを正しく伝わる形で表現しておきたいと思う。
けっこうな頻度で無言ブクマをもらっていて、もちろんありがたいとは思いつつも、無言なだけにこちらからなにを言うこともできず(※これまでも同じような方がたまにいたが、こちらのノーリアクションにいつの間にかブクマされなくなって、なんとも寂しい&なんか申し訳ない)。
ってまぁけっこう前に、ブコメがIDコールできない仕様になったので、無言でもコメントがあっても返信はできないのだが。
あと、ちょっとしたことだが、アイコンがなんか私には「モシャモシャの前髪を垂らした謎のお化け」のように見えて、そこにつられてIDのkamiが髪のお化け?神様?とかなんか、全体的にミステリアスな存在になっていた。
私の「前髪観」はこちら。
がしかし、よーく見るとおそらく「リゾートっぽい浜辺でビーチベッドに寝そべっている二人」みたいな画像??
フツーに普通だ。
で私、どっかのタイミングでIDのリンク先見に行ったりしてるはずなんですけど、なんかその時にすんなりブログにたどり着いてなかったのか(たいがい受付で見てるのでしょっちゅう中断されてその時にやってたことを忘れる)、なんかもうブクマカっていうんですか?ブックマークだけする人、そういう人にしちゃったんでしょうね多分。
改めて見てみたら、ブログやってるじゃないですか。
プロフィール。
会社の経営危機で転職活動中の35歳会社員が、時々自分のM字ハゲと向き合うコラムを投下するハイブリッドなブログ
って、ハゲとるやないかい!!
「ミステリアスな前髪お化け」のはずが、「M字ハゲのオジさん」でしたよ。
いや思い出しました。
一回見ましたねブログ。
で今もまぁそうなんですけど、(自分もそうだし)オジさんのブログはけっこうお腹いっぱいな感じがあって、まいっかってなったんでした。
この機会に読者登録。
(※しかしはてなブログの「読者になる」ってのも、ツイッターのフォローに近いものがあるので、急に「読者やめました」って記事書き出す可能性もありますが。。最近ははてなブログでもそうでなくても、Inoreaderで管理することの方が多いですハイ。Feedlyより断然使いやすいです私は)
(オヤジさんが)ステキな記事↓
てなことで、無言ブクマの先にいたのは、「M字ハゲのオジさんブロガー」でした。
今までさんざんノーリアクションだったくせに、お化けだのハゲだの唐突に激イジり倒してすんません!!
ではでは今後ともヨロシクどうぞ!
↓地味に増えている「先にいる誰か」シリーズ↓
みなさんブログ楽しめなくなってません?《日記#049》
2020年9月2日(水)
なんとなーく、みんな感じてるんじゃないかと勝手に思ってるんですが、いまいちブログ楽しめなくなってません?
いや、私の徘徊してるせまい範囲で勝手になんとなーく感じとってるだけのことなんで、全然そんなことないのかもしれませんけども。
なんこかこう、個々で勝手にやってる感というか、そんなんが強くなってるような。
人様の考えにあーだこーだ言わないのが吉みたいな。
まぁ世の風潮っちゃそうだし、ブログって元々そういうもんな気もしたりもしますけども。
にしてもなーんかつまらんなぁと。
「特定の対象についての意思表明」がしづらい世の中とでもいいましょうか。
すると結局、なんにせよ対象濁してツイッターに投げ捨てて心のガス抜きにしちゃう。
ツイッターという名の痰ツボ。
まぁ私の場合、自分からそんな方向に持ってってる感もありますけども。
はてなスターやめたり。
フォローやめたり。
価値のつけ合いみたいなものを極力避けたいってのが動機ではあるんですけど、反面どうしてもコミュニケーションのハードルを上げてしまっているのも事実で、最近じゃすっかりリアクションのないブログになっちゃってて、どうにも歯がゆい限りですよ。
あとはまぁ、みんな余裕ないってのもあるんですかね。
自分もそうですけど、ブコメとか記事引用とかって、そこそこエネルギー使うじゃないですか。
そうするともう、内容に気ぃ使いつつ時間と労力をかけて、、ってなって「やっぱいいや!」ってなっちゃう。
せっかくの試み「フタケタの輪!」もすっかり滞りまクリスティで。
なんか、そんなのの連鎖な気がするんですよねぇ。
「特定の対象への意思表明」ってのでもうちょい思うのは、「意思」が「批評」になっちゃってるっつーかね。
感想でいいとこに○×つけちゃうっつーか、(無意識に)○×が感想になっちゃうっつーか。
これって、自分が正しいと思いたいっていう人間の本能的な部分と、日本の教育な気がするんですよね。
「こんな考えもあんな考えもあるんだ、面白いねー」で収まるところを、(ひとつの)正解探しちゃう。
アラなんでしょうね、どうしてもこういう辛気臭い話ばっかりになっちゃって。
私なんてホントだったら、親族に無断で死んじゃった友だちのモロ顔出し実名入りTシャツ作ったりとか、そんな下らないこと(いい意味でな!?)だけを追い求めて生きていきたい人間なはずなんですよ。
まーでもね、体調もよくなってきてるし、少しずつギアを上げていけたらなによりですハイ。
妻がエキゾチックになっていく《日記#048》
2020年9月1日(火)
ここ一週間ほど調子がいい。
もしかすると、このまま回復にまっしぐらインテグラなムードさえ漂わせている。
カンジダ対策がうまくいっているのか、ほぼ毎日飲んでいたコーヒーを二週間前からやめてみてる影響か、各種アミノ酸サプリメントか。
よくなってきた当初に、吹き出物がいくつか急に出たり、なんとなく毛の生えるペースが早くなってる気がしたり、排毒が促されて代謝が回り出してきた感覚がある。
元気に任せてお料理しまくりの土日であった。
・砂肝のねぎ塩レモン和え
2割引の砂肝を買ったので作ってみた。すげー手軽でまぁまぁおいしいかった。
砂肝のねぎ塩レモン和え✿ レシピ・作り方 by はぁぽじ|楽天レシピ
・エキゾチックチリソース
妻がエラく気に入り、なんにでもコレを足していて、日に日にエキゾチックになっていく。
図書館で借りたこの本のレシピ。
レシピを丸々載せるのはどうかと思うのでざっくり言うと、おろしニンニクとスパイス(カイエンペッパーとパプリカがメイン)と塩と砂糖を混ぜるだけ。
辛旨ペーストってな感じで、けっこうなんにでも合う。し、とにかくかんたんでウマい。
・ホームベーカリーしっとりフワフワナッツ食パン
ツインバードの安いホームベーカリーで、配合を適当に変えながら作り続けて早7~8年のしっとりフワフワ食パン。
・パエリア
岩井に突き動かされてから二度目のパエリア。今回は、イカとエビとホンビノス貝で作ってみたが、前回ほど旨味が出ず塩気も足らずでちょっと物足りなかった。タコの旨味は思ってるよりスゴいのかもしれない。
・うなぎの肝の甘辛煮
「うなぎの肝」を見かけて、気まぐれに買ってみた。下処理で苦玉なるものを取るのが大変だったが、息子が思いの外気に入ったので、あったらまた作ろう。
うなぎの肝の下処理と甘辛煮 by taechi309 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが337万品
・インカのめざめキーマカレー
ひき肉とインカのめざめ(黄金色の甘いじゃがいも)があったので。
・ガトーショコラ
しかしガトーショコラってのはガトーショコラにしかならないというか、だいたい想像通りの味であまり面白くない。
・塩麹の仕込み
(おそらく)水抜きをしすぎておいしくなくなって以来味が戻らず、ぬか床をいったんやめようと思っていて、代わりでもないが塩麹でも作ってみようかと。もう少し涼しくなったら味噌を作ろうと思っている。
さてはて、そんなところ。
今週のお題「読書感想文」
「代謝」と「ミトコンドリア」の先にいる誰か《日記#047》
2020年8月27日(木)
どうやら、気分と坐骨神経痛のしびれはリンクしている。
そして、腰から足がしびれ頭がモヤモヤしている時は余裕目盛りが一段階少なくなる。
子どもの言動に対する自分の心の反応が分かりやすい。
つい咎めたくなってしまう時はいつもそんな状態の時だ。
程度(やその時の状況)によって自然と抑えが利く時もあるし、無理して抑える時もある、そうしない時も、できない時もある。
実際どうするかよりも、心がそんな反応をするかどうかってとこが肝やで。
これまでの経験から、プロバイオティクスの継続摂取で、腰と頭の両方の症状が軽くなることは分かっている。
ただ、今の状態でそこだけに頼ると、死ぬまでプロバイオティクス頼みになることが懸念される。
その間に、うまいこと代謝のサイクルが回るようになって、プロバイオティクス継続摂取の必要がなくなることも考えられるが、根本に対処しない限りそう都合よくはいかないと思う。
私の場合、根本原因と思われるものとして、「体内に蓄積した有害金属」と、「カンジダのバイオフィルム」がある。
どちらも、キレート作用のあるサプリメントなど、独力による改善方法はある。
私もその最中だ。
ただ、これの難しいところは、改善が目に見えないことである。
もうひとつの問題として、(おそらく)なにかしらの毒素の長期的な影響によって、(おそらく)身体の生命活動が低下していると思われることが挙げられる。
これもまたやっかいなのが、正しいアプローチができていたとしても、身体の反応が鈍っているばっかりに、改善が日々の中でハッキリ体感できないことだ。
さらには、改善に有効とされる栄養素も、代謝がうまく回らなければ負担を増やすだけになる。
自分自身の身体がおぼつかないとなるとやはり、共生するプロバイオティクスに頼るのが道理なのかもしれない。
と、こんなことがグルグル頭を巡っている。
この5年10年という長期間で見て、「去年より今の方がいい」という確信は毎年あるので、おおむね正しい方向には進んでいるはずなのだが。
だがしかしここにきて、ひとつなにかをつかんだ感覚がある。
このふたつを理解することが、様々な原因不明の症状の解消につながる気がしてならない。
カンジダ対策のダイオフ症状《日記#046》
2020年8月26日(水)
やっぱりどうにも「日記」が書けない。
前回のは日記じゃないよな。
より心がけて、他人にはどうでもいい日記をかいていこう。
さてとポテト。
実は昨日の仕事中、すげー気が滅入っていた(※上の記事はあらかた昨日書いてたもの)。
これはいよいよどうにもおかしいと思いつつ一行日記を見直していたところ、なんとなくモヤモヤするなぁと思い始めた時期と、カンジダ対策(2度目)を始めたタイミングが一致していた。
ハハ~ン、これはおそらくダイオフ症状やな(日記なので説明はハショる)。
きっちりクレイを飲んだところ(日記なので説明はハショる)、今日はかなり脳みそがスッキリしている。
前にカンジダ対策をした時は、いっぺんだけモーレツにお腹が痛くなった。
おそらく、(息子のお気に入りスポット「くるまやラーメン」の麺の安い小麦に反応して)デカめのバイオフィルムが剥がれて(日記なので説明はハショる)、有害ミネラルがお腹の中にブチまけられたと考えられる。
今回は、ジワジワ溶け出してるような感じか。
ちなみに、今回はカンジターゼ(84カプセル)。
前回はカンデックス(40カプセル)。
前回のモーレツのあと、体調が大きく変化した実感がなかったことに加え、今回のモヤモヤからも、まだカンジダのバイオフィルムは残っているのだろう。
とりあえず、今のボトルが空になるまで続ける所存だ。
なにかしら残しておきたい感じになれば、もうひとつのブログにまとめよう。
↓ 2020.1.11追記 うん、成功! ↓
「みんなやってるから」の先にいる誰か《日記#045》
2020年8月26日(水)
WHOからこんなん出た。
細かな内容は置いといて、子どもはもうすっかり、「マスクがないと不安」ができあがっている。
「大人たちが恐れる感染への不安」
「みんなしてるのにしないことへの不安」
「コロナをなんとも思っていない私」の子たちでもそうなのだから、まぁだいたいの子どもはそうなってるように思う。
緊急事態宣言の解除で学校や幼稚園が再開されてから徐々に、子どもたちは家の中以外では自分からマスクをするようになっていった。
そう「みんなやってるから」だ。
これぞニッポンの教育であり、その教育でできあがったニッポンの社会。
子どもたちに罪はないし、オジさんにだって罪はない。
「みんなやってるから」は、考える力を奪う。
「みんなやってるから」は、自分らしさを奪う。
「みんなやってるから」は、みんなやってるから安心する。
「みんなやってるから」は、やってない人を許さない。
「みんなやってるから」は、親の言葉よりも強い。
「みんなやってるから」の先にいるのは、みんなと同じ顔の自分だ。