今週のお題「星に願いを」
「いーじぇんのねがいごとはねぇ、仮面ライダーになれますように!大型バスの運転手になれますように!」
おとといの夜の、いーじぇん(四歳の息子)の七夕の願いごとだ。
「おきりられませんように(おこられませんように)」
昨日の夜の、いーじぇんの願いごとだ。
ここのところ体調が悪かった私は、昨日、帰宅早々にわめき散らすいーじぇんをちょっとキツめにしかり飛ばしたのです。
夕飯時に眠くなってグズるのは、子育てをしていれば日常といってもいいぐらいのこと。
そして、親に余裕がない時ほど激しかったりワケの分からない理由だったりするのも育児あるあるってなもの。
経験から理解しているつもりでも、余裕がない時はまんまとハマってしまう。
なぜなら余裕がないから。
そんなことで、父からの「おこられ」体験が、「未来の希望」であったはずのいーじぇんの願いごとを「地獄からの脱出」に変えてしまったのである。
子どもというのは、怒られて泣きわめいていても、その直後に何事もなかったかのように(涙の乾ききっていない顔で)「ねぇパパ、パズルやろうよ!」とか言ってきたりする。
親の方の気持ちが整理できないぐらいの切り替えの早さ。
なんとなく、それだけパッと切り替わってるんだから、ダメージもそれほど残ってないのかななんてフワッと思ってましたが、子育てをなんとなくでしてはいけません。
親のなんとなくが子どもを変えてしまうのです。
ずっと疑問だったんです。
なんでバカっぽい親の子どもはバカなのか。
変なヤツだなと思った親の子どもは変なヤツなのか。
なんかムカつく飼い主の犬はなんかムカつくのか。
結局、親のせいなんだ。
じゃ、おやすむーッ!
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ってな感じで締めて終わりにしようと思ったところに妻から最新情報。
いーじぇんの幼稚園に「おこだでませんように」という七夕の願いごとがテーマの絵本があり、(この時期なので)園でこの本を読んだみたい。
とのこと。
私の「愛ゆえの叱り」が、子どもの願いごとを「地獄からの脱出」に変えるはずがないのである。
最終的ないーじぇんのねがいごとはこちら。
んじゃ改めて、おやすむーッ!!