どうも、鈴木やすむです。
ビルの受付係になって一年が過ぎました。
一年続いた仕事ってどれくらいあるかなと、続いた理由とともに振り返ってみる。
◆テレビのAD…1年ちょい【二十歳前後】
やることないのに帰らせてもらえないとか、エビアンないから他の水買ってったら「エビアンじゃないじゃん?」ってマジ面で迫られるとか、「昼買いに行きますけど何か買ってきますか?」って聞いて「シーン」って聞こえるぐらい完全無視されたあと、戻った直後に別の仲良しのADに「昼買ってきてくんね?」って頼んでるディレクターとか、理不尽体験満載だったけど、なんだかんだ刺激的で面白かった。
◆銀座のビル警備…1年ちょい【二十代前半】
商業施設の警備で、当時は24時間勤務がお得な気がしていた。ハッ○リさんはGAP(の売り場の床)、カ○ヤマさんは従業員食堂、とか、各自お気に入りの場所で仮眠という雑なルールが懐かしい。
◆バッティングセンター店員…2~3年【二十代半ば】
2名体制が気楽だったのと、ヒマな時にバッティングができたので。
◆カフェ自営(高円寺)…3年【二十代後半】
続いたというより、途中から、深夜に(この下の項の)カプセルホテルバイトを掛け持ちしてなんとか3年続けたけど廃業。
◆池袋のカプセルホテルの受付…1〜2年【二十代後半】
みんな「絶対コイツだ・・」という空気をものともしない、女性従業員着替え盗撮疑惑の副支配人とか、家のない人(カプセルホテルが勤務先であり住居)とか、○クチさんがチェックアウトの忙しい時を狙ってウンコに行くので「チェックアウトの時にウンコに行くのやめてもらえませんか?」って言ったら殴られたりとか、クズだらけだったけど(だったから?)居心地のいい職場でした。
◆製造業の品質管理…7〜8年【三十代前半〜後半】
製造員で入社してすぐに機械でケガをして、移った品質管理部がヒジョーに楽だった。にしても、(何を得ることもなく)8年も勤めたのが不思議でならない。
ちなみに、この時の職場のことを書いたコラムがテレビブロスに二週続けて載りました。
で、今のビルの受付係。
一年続かなかった仕事はどうだろうか。続かなかった理由とともに振り返ろう。
◆知り合いの大工さん見習い【十代後半】
大工さんと会話が続かないのと、給料の安さ。たしか週6で10万とか。
◆ミニストップ深夜【十代後半】
はじめから(Tシャツ屋開業のために)100万貯めたらやめる予定だった。
◆死体Tシャツ屋【十代後半】
原宿の竹下通りを抜けた辺りで“死体と奇形と殺人鬼”の Tシャツ屋を開業。店舗契約じゃなかったのにお店やってたのがバレて、3ヶ月で廃業。
◆清掃(ビルとか深夜のマックとか3〜4種)【主に二十代】
チームでやるやつは人に馴染めず、一人のやつは悲しみがこみ上げて続かず。
◆パン工場でパンのケース運び【二十代前半】
ハードすぎ。「時給1000円の仕事じゃない」と吐き捨て、一週間でやめた。
◆道路のライン引き【二十代前半】
フランクなノリに馴染めず。
◆郵便局の仕分け【二十代半ば】
「尾崎(豊)好き?」って聞かれたので。
◆合鍵屋【三十代前半】
社長令嬢が常に2階から監視カメラ映像を監視していて、「今の客はなんで帰ったの?!」などと詰問される○ガワさん(年下の先輩)を見ているのがツラくなって。
◆カフェ自営(北千住)【三十代後半】
朝5時開店の夕方4時閉店だったため。
◆ウェブマーケティング会社【三十代後半】
社長が自称アスペルガー症候群で、(すぐそばからの)スカイプでの問いかけに気づかないでいると(すぐそばで)ブチ切れるため。
◆足立区の工場作業【三十代後半】
激激ハード&(続く人はほとんどいないようで)「どうせやめるヤツと話すことはない」感。そこの皆さんの予想通り二日で撤退。
以上のように、振り返ってみると、ただ涙が溢れますね。
もっといろいろ書きたくなってきましたが、涙でにじんでかけないので終わります。
あなたの「一年以上続いた仕事と続かなかった仕事」もぜひ聞かせて下さい。
じゃ、おやすむ。。