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我が子への伝言[2]しあわせと加山雄三の掘り下げ

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

昨日の記事をもう少し掘り下げたくなったので、掘り下げます。

suzukiyasumu.hatenablog.com

お金でもないし、学歴でも職業でもなく「しあわせだなぁ」 と思える心さえあれば、それこそ「しあわせ」なのです。

コレ。


「将来そう言えるために塾通わせていい学校行かせるんザマス。そのために身を粉にして共働きするんザマス」


もしも私がアルファブロガーになった場合、必ずこんな意見を入力して送信する人が出てきます。


べつに必要ないので断言はしませんが、私は違うと思います。


子どもというのは、小さければ小さいほど、本能的に(無条件に)親を求め、親を信じています。


子育てをしていれば、度々そんな場面に出くわすはずです。


ただ、自分が子どもの頃どうだったろうか?と振り返っても、(私の場合は)信じてるとか、好きとか、見てほしいとか思ってた記憶はまったくないので、子育てなり、定常的に幼少期の子どもと接する職業でもなければなかなかピンとこないかもしれません。

 

要は、親自身も「本能的に(無条件に)親を求め、親を信じていた」ことをサッパリ忘れてるってこと。※本能だから記憶にはないのかも??


えーと、ウダウダが長くなりましたが、まずは子どもの本能の要求に親が応えるのが最優先なんじゃなかろうかということです。


子どものためを思うなら、○○させるとか○○しちゃダメよりも、両親が(子どもの将来のために)働きに出るよりも、ただ「家族で同じ時間を過ごす」だけでいいと思う。

 

支配的だったり言いなりだったりとか、明らかな問題がなければ。


たとえば、ネイティブスピーカーにするために3歳から英語を習わせる。


英語を習得させたいのは理解できるが、(そもそもコミュニケーションが取れればいいので)ネイティブスピーカーである必要はないのに、幼少期に親子の時間を削って子どもの望まないことをさせる、とかそういうこと。


はぁ、なんだかちょっと独りよがりな感じになってきたし、もうやめましょう。

 

なんかあんまり掘り下げたりしなくていいかもしれませんね。

 

これからは掘り下げないことにします。


要するに、「将来の安定」より「日々のしあわせ」のためにどうしたらよいかを判断基準に考えた方がよくない?


子どもが無条件に親を求めてくれてるうちに、目一杯応えてあげる方がよくない?!


ってこと!


じゃ、おやすむ~!!