やればできる子だった中年

なんでもできましたね、小学生ぐらいまでは。

厄払いが「気のせい」でなにが悪い

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 今日の受付は雨。

予報どおりなら、来る時は降られず、仕事中は降り続き、帰る前にはやむという理想的な雨。

さて。

週末は厄払いに行く予定だ。

去年が本厄だったので、今年は後厄。

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厄を払ったおかげで、バク転を失敗したにもかかわらず、骨折だけで済んだ。

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人生初骨折。

厄を払ってなかったらと思うとゾッとする。

 

とまぁ、なにがどうよかったかを説明するのは難しいが、去年はとてもよい年になった。

引き続き今年もなんとなく上向きな気がするのだ。

そう、気のせい。

厄年で、なにか悪いことがありそうな気がするから厄払いをして、厄払いをしたから悪いことから守られた気がして、さらにはなんだかよく分からないけど、上向きな気がしているのだ。

気のせいというと、根拠のないなんの意味もないものと片づけがちだが、気のせいでいい気持になれるならその方がいいだろう。

「なんだ気のせいかよ」ってイヤな気持ちになるより、気のせいでいい気持ちになってる方がいい。

自分の気の持ちようで、いい気持ちにもイヤな気持ちにもなれるなんて、画期的なシステムではないか。

つまり、いつでもいい気持ちになれそうな気がする方を選択して生きていれば、常にいい気持ちな気がしたまま生きていけるということだ。

うん、コレはいい。

いい。

じゃ、おやすむ〜。