<vol.4 遺書>二十代半ば頃(15年前)にやっていた個人サイト【ギブアップ】と今(アラフォー)の私
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
日曜日。
すっかりおなじみ土日恒例の、黒歴史さらしのコーナーです。
ちなみに、ギブアップはもうWEB上にはありませんからね(多分)!
ゴミ箱コーナーより横山やすしの「あんたら、ウジ虫みたいな給料や!」
ゴミ箱コーナーより横山やすしの壁紙です。
いい時代でした。
群がるマスコミに対して言ってたんだと思います。
ゴミ箱コーナーには親切に音声ファイルもありました。
にしてもこんなことまで言えるのはヤッさんぐらいですけど。
現代にヤッさんが降り立ったらどんな扱いになるんでしょうねぇ。。
金属バットのロン毛の方にはそんなデンジャラスな空気を感じます。
一周回ってそろそろそんな存在が求められる頃かもしれません。
オレの手記より「遺書」
では、オレの手記より「遺書」。
どうぞ~!!
其ノ七 遺書
昭和77年05月09日 記
一応、いつ死んでもいいように遺書をしたためておこうと思います。
遺書
もうボクは疲れました。一生懸命生きようとしたけれどダメみたいです。まさにギブアップです。死んだ気になればとか何かを見つければとか、頭では分かってたって無理なもんは無理なワケで、もうこの世とはお別れです。
こんなボクにも友達や家族がいたワケで、最後のメッセージです。
家族へ
いつもしかめっ面、ボソボソしゃべりばかりですみませんでした。モチのロン、感謝はしています。けどそんなもんは照れて気持ち悪いし、感謝の言葉も言えないような人間に育てたのはどこのどいつだっつう話なワケで。それと、業務連絡。ボクの部屋のモノやらは容赦なく捨てて下さい。葬式なんてやらないで下さい。まわりが迷惑します。
友達へ
なんだかボクのまわりの人たちは幸せそうに生きている人がほとんどいなかったのでみんながこの先どう生きていくのかとても気になりますが、ボクはお先に逝ってきます!
みんなと交わした言葉、みんなと交えた拳、みんなと過ごしたあの瞬間、基本的にはいい思い出です。みんなの幸せを本気で祈っています。
ガキンチョ達へ
ボクの人生の後半の後半に清々しい安らぎをくれたガキンチョ達、キミ達の笑顔がどれだけボクの心を癒してくれたことか。
それではそろそろ本当のお別れの時間です。短いようで長く、長いようで短かかったこの人生。満足なんかできてないけどこれ以上生きていてもイヤな事ばっかり増えそうで・・・だから早めに切り上げようかなって・・・そんな気持ちです。
ありがとう、さようなら。
とまあ、こんな感じになりますか。これは悪ふざけでも何でもなくて大マジです。別に今すぐって事でなくてね。今のところそんな勇気もエネルギーもありませんがもしそうなったら、あ~やっぱりなと思って下さい。
今夢も希望もない人へ
具体的に死ぬかどうかまでいってませんけど、要は「希望がない」状態の極みというかね、「このまま生き続けても楽しいことなくね?だったらツラく生きてんのムダじゃね?」っていう心持ちでしたかね。
もし今そんな感じの人いたら、べつに励ませませんけど、けっこう変わるよってことだけお知らせしておきます。
ちょっと勇気ふり絞ったりぐらいはしましたけど、ガムシャラな努力とか継続とか特にせず、なんだかんだ変わりますし、自分から死ぬよりは断然いいかなって。
いやまぁ、死ぬパワー(死ぬパワー!)があれば死ぬのもアリかもしれませんけど、どうせ死にますしね。
ちなみに、ガキンチョたちっていうのは、バッティングセンターでバイトしてた時に遊びに来てた小学生たち。
子ども嫌いだったのが、「コイツら、かわいいじゃん」ってなりました。
当時、鈴木宗男議員がなにかとやらかしてる頃で、(私は林ではなく鈴木なので)「ムネオ議員」って呼ばれてましてね。
まぁそのナメられつつも心開いて毎日のように遊びに来てくれる感じが嬉しい(来ないと寂しい!)というか。
調子に乗って「ムネオ」とか呼び捨てにされると、ムネオじゃないのに腹立つっていう。
あの小学生たちが今どこかで二十代半ばぐらいになってると思うと、なんだか気色悪くて見たくない気持ちです。
じゃ、おやすむ~!!