「大切な人」がいない人の気持ちを逆なでするかもしれないメッセージ《日記#016》
2020年4月7日(火)
ここんとこ、「大切な人を守るための行動」を促す雰囲気が強くなっている。
私なんかだと妻と子どもがいて、志村けんが死んじゃったりしたもんだから、そのタイミングで、お店のレジ的なとこではマスクしようってなった。
個人的には、感染は個人の健康状態とか生活習慣によるところが大きく、(様々な情報に触れた上で)マスクはほぼ意味のないものだと思っているのは変わらない(※手の除菌は意味がないどころか、常在菌を殺してコロナのためにわざわざ空きスペースを作ってるようなものでむしろマイナスだってのも)。
ただ、こういう世の中になっしまっている以上、相手に与える不安を考慮する必要はあるだろう。
えっとまぁ、そういう話じゃないんだ。
要は、今の私であれば、そんなメッセージが一応効果的ではあると。
ただ、「大切な人」がパッと思い浮かばないような境遇にいる人にとっては、そんなメッセージが繰り返されて、世の中がそんな雰囲気になっていくってのは、ヒジョーにしんどいんじゃなかろうかって。
自分には守りたい大切な人はいないし、自分の命は自分の責任なので、外出自粛なんてしませんけど?って、私がそんな立場ならフツーに思うような気がする。
なんなら「大切な人いねーけど悪りーの!?」ぐらいな。
なんかホント、人の心を動かすのって難しい。
子育てでもけっこう似たような場面があったりする。
って、一例を書こうと思ったが、疲れてきたのでやめよう。
みんなくたびれている。
子どもが大人のコントロールを感じ取るように、国民は国のコントロールを感じ取る。
今は、促して意思に任せる時ではない。
向かうべき場所を具体的に示し、その原動力になるような力強くシンプルなメッセージで心を動かしてもらいたい。
マスク2枚をドヤ顔でばらまける人間に、国民の心が伝わることはないだろうが。