2020年8月13日(木)
ど~も頭の中がモヤモヤする。
最近は、これさえなくなればかなりいい感じなんだが。
自然と気分がローモードに落ち着いてしまう。
すると、自発的になにかに取りかかることが億劫になってしまっていけない。
逆に言えば、この気分の波みたいなものがなくなって基本的に心地よくいられたら、それだけでハッピーだ。
うん、いい気の持ち方じゃないか。
実は今、「心地よくいられたら、あんなこともこんなこともできるかもしれない私はまだまだ捨てたもんじゃない」みたいな、自分自身への過度な期待という重荷を背負う方向に向かいそうになったところを踏みとどまったのである。
今の世の中、ささやかなことに幸せを感じられるモン勝ちだ。
唐突に自由ネコさんの記事。
いやなんかね、突き詰めれば突き詰めるほど無力感に苛まれるんでないかなって。
ちょい前にツイッターでこんなメンションをしたんですよ。
「人は事実では動かないし、事実を知ろうともしない」ってのを学べたことでしょうか。。
— 林やすむ@あなたに届け私の体調! (@hayashiyasumu) 2020年8月7日
偉そうでしょ??
つっても真理なワケですよ、今の世の中見てたら。
なにも成し遂げてないビルの受付のオジさんがこんなことばっかり言うから人から好かれないんですけどネ!
でも、だったらナニ?成し遂げてたらすんなり受け入れるの?同じ人が同じこと言ってて、成し遂げてなかったら鼻で笑って、成し遂げてたら「ハハー(ひれ伏し)、ありがたや~」って?
いや自分で考えろやって。
他人の意見は手がかりなんだよ。
ってね、私が成し遂げてないからここだけで終わる話ですけど、多分成し遂げてても、それぞれの成し遂げ具合で同じことを思うだけで、結局成し遂げれば成し遂げるほど反動がデカいっつーかね。
で、どんどん突き詰めちゃうから周りにそんな話できる相手もいなくなっちゃって。
で結局、話し相手は神という名の自分自身(つまり独り言!)だけっていうね。
ちょっと似たようなこと書いてる。
自由ネコ記事のリンク先で小池都知事のことなんかも書いてますけど、それも。
今の状況で、もう1回小池さん選ぶの!?って私個人も思ったの。
「普通」に。
まして、東京アラートにみんなキョトンとしてた(はずの)あのタイミングですよ。
誰を選ぶかは一致せずとも、「小池百合子を選ばない」ってとこは共通認識なんじゃないのかなと。
そしたら圧勝って。
普通に選ばれないと思ってた人が、圧倒的に選ばれてる。
自分の「普通」はどうやら普通じゃないらしい。
そんな「普通」を分かち合えない東京都民と共に、同じ東京都民として生きていくのが「社会」なワケで、そら神ぐらいとしか腹割って話せなくなるでしょう。
なんかねー、「知ること」ってある程度までは役に立つけども、心地よく生きていくののジャマになっていくなーって最近思うんですわ。
ただ知るだけで成し遂げてなければ尚更。
いや、人より物知りだなんてまったく思ってなくて、自分ごときでそんなことを感じ出しちゃうのがコワいっつーか。
コロナで確信させられちゃったっつーか。
それでも(特に社会常識的な部分で)自分の信念を貫くってのは、ほぼイコールで孤立するし、楽しくないんですよ(ついでに、孤独は一日タバコ15本分のストレスになるらしいですよ)。
とはいえ、社会に合わせりゃ息苦しい。
なんなんですかコレ!?楽しくないか息苦しいかの二択って!?
さてとポテト。
実際は二択ってこともありませんので、私の今後としては「社会との適切な距離の模索」ってのが長期的なテーマになりそうです。
「精神的ソーシャルディスタンス」とでも申しましょうか。
あーなんか結局辛気臭い内容になりましたね。
まぁそろそろにしましょう。