2020年8月27日(木)
どうやら、気分と坐骨神経痛のしびれはリンクしている。
そして、腰から足がしびれ頭がモヤモヤしている時は余裕目盛りが一段階少なくなる。
子どもの言動に対する自分の心の反応が分かりやすい。
つい咎めたくなってしまう時はいつもそんな状態の時だ。
程度(やその時の状況)によって自然と抑えが利く時もあるし、無理して抑える時もある、そうしない時も、できない時もある。
実際どうするかよりも、心がそんな反応をするかどうかってとこが肝やで。
これまでの経験から、プロバイオティクスの継続摂取で、腰と頭の両方の症状が軽くなることは分かっている。
ただ、今の状態でそこだけに頼ると、死ぬまでプロバイオティクス頼みになることが懸念される。
その間に、うまいこと代謝のサイクルが回るようになって、プロバイオティクス継続摂取の必要がなくなることも考えられるが、根本に対処しない限りそう都合よくはいかないと思う。
私の場合、根本原因と思われるものとして、「体内に蓄積した有害金属」と、「カンジダのバイオフィルム」がある。
どちらも、キレート作用のあるサプリメントなど、独力による改善方法はある。
私もその最中だ。
ただ、これの難しいところは、改善が目に見えないことである。
もうひとつの問題として、(おそらく)なにかしらの毒素の長期的な影響によって、(おそらく)身体の生命活動が低下していると思われることが挙げられる。
これもまたやっかいなのが、正しいアプローチができていたとしても、身体の反応が鈍っているばっかりに、改善が日々の中でハッキリ体感できないことだ。
さらには、改善に有効とされる栄養素も、代謝がうまく回らなければ負担を増やすだけになる。
自分自身の身体がおぼつかないとなるとやはり、共生するプロバイオティクスに頼るのが道理なのかもしれない。
と、こんなことがグルグル頭を巡っている。
この5年10年という長期間で見て、「去年より今の方がいい」という確信は毎年あるので、おおむね正しい方向には進んでいるはずなのだが。
だがしかしここにきて、ひとつなにかをつかんだ感覚がある。
このふたつを理解することが、様々な原因不明の症状の解消につながる気がしてならない。