さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
金曜日。
フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎氏が亡くなっていたそうです。
テレビで活躍していたのがもう20年以上前とかなので、知らない人は知らないし、見てた人も忘れてるし、好きだった人もほとんど思い出すことのない存在になっていたことでしょう。
当時の私の中では、ダウンタウン、バカルディの次に名前が出てくるぐらいの、そんな存在でした。
知らない人には「亡くなってしまったからこその過大評価」に聞こえるかもしれませんが、当時を見てるお笑い好きならまったく大げさでないことは分かると思います。
そんなコンビだったフォークダンスDE成子坂は、若手から中堅に落ち着きかける手前あたりの頃に桶田の意向で解散し、桶田は芸人引退。
「音楽(バンド)活動がしたい」っつースットンキョウな理由に、オイオイ・・となったのは私だけではないはず。
今ウィキペディアを読んでみたところ、事務所とのモメ事がきっかけみたいなことが書いてありましたが、実際なんなんだかはよく分かりません。
一方、相方の村田は新たなコンビを組んだり、芸人として活動を続けるものの解散から6年後に35歳で急死。
こっからは私の雑感みたいなことになります。
とにかくまぁ本人がそうしたいんだからしゃあないんですけど、そのバンドってのがやけにダサくて、金谷ヒデユキを恨んだものです。
いや、金谷ヒデユキってのは同時期にいたギター芸人みたいな人で、たいして面白くもないんだけど、桶田と親交が深かったらしく、そのバンドも金谷と一緒にやってたんですよ。
バンド名が「The3cm」って、なんかもうハズしてるじゃないですか?
お笑いやめたんだったら、完全にそういうの抜きで音楽として質の高いものを目指すか、お笑い要素があるならいわゆる「お笑い」を超えた新しい形の表現とか、やっぱりこっちもなにかしら期待するワケですよ。
名前もtaroとかって、ンン??ってなるでしょ。
だからなんか、すべてを金谷のせいにしてましたわ。
大事な時期の桶田をそそのかして、ダサいお遊びバンド(決めつけ)に引っ張り込みやがって、って。
まぁでもそもそも本人、ファッションとか髪型とか見ても、お笑い以外のセンスはだいぶビミョーだったので、金谷にすべてをなすりつけるのもまったくの筋違いなんですが。
当時のお笑い界の風潮として「いかにして冠番組を持つか」がすべてみたいなところがあって、成子坂は解散前の数年間、もうふた息ぐらいのところでやや下り気味に停滞してる感じでしたか。
んで、(ホリプロの先輩)バカルディもまだまだ苦労してて、三村が金髪にしたり、名前カタカナに変えたりしながら一人リポーターで食いつなぐみたいな感じでした(※でも振り返るとああやって三村が汚れ役っぽくお茶の間にアタックし続けた結果の今ですよね)。
多分そんなんを見てて「俺らの番来そうもないな」なんてのもあったんじゃないでしょうかね。
印象に残ってるのが、中継先からのリポートみたいなので、スタジオから「どこどこのフォークダンスDE成子坂さーん」ってきて、桶田が「は~い!行きかけて落ちたフォークダンスDE成子坂でーす!」って。
そんなんで、解散自体はそれとして、なーんかこう、けっこう早くから地味~にツイッターやってたりするわりに、なんの変哲もないツイートするだけだったり、裏方として演出的なことに携わってるらしいけどなにやってんのか全然分かんなかったり、(全部本人の自由なんですが)どうにもモヤモヤさせられ続けました。
そしたら死んじゃってた。。
病死ってことみたいですけど、そこもそれ以上は公表されず、またモヤモヤ。
でね、ちょっとツイッター辿ってみたら、この2~3年あたりでかなり自分語りとかお笑いについてのツイートなんかもしてたみたいなんですけど、さすがに遅すぎたよな~と。
私みたいな一般人でこれだけ気になってるんだから、それまでの間にさんざんいろんなところで求められたはずで、それを断り続けてたはずなんですよ。
解散やら引退やらお笑いやらの核心を語る作業を。
ってまぁホント、なにからなにまで全部本人の自由なんですけど、な~んかね。
当時の芸人仲間ともあんまり交流なかったみたいで、結局ずっとなんとなくミステリアスな存在のままこの世を去ってしまいました。
これからしばらく、冥福を祈りつつここ数年の間に上げていたポッドキャストをゆっくり聴いてみようかなと思っています。
じゃ、おやすむ~!!