「自転車は車道」を決めたのはビル・ゲイツかもしれない
- 安全第一でない「自転車は車道」の道路交通法
- 「ヨワ度」と「分類」の問題
- 自転車は車と同じ「車両」というムチャな分類
- 歩行者だけが過剰に守られる
- 「人類削減計画」でおなじみのビル・ゲイツが「自転車は車道」を決めたのではないだろうか
安全第一でない「自転車は車道」の道路交通法
疑問を感じる法律がある。
「自転車は車道を走る」という道路交通法だ。
自転車は、歩道等と車道の区別のある道路においては、基本的に車道を通らなければならない。
「安全第一」が交通ルールの最優先事項だと私は理解している。
シンプルに考えて、「車道を走る自転車」よりも、「歩道を走る自転車」の方がはるかに安全ではないだろうか。
事故にあう確率、事故にあった時に死ぬ(or重症の)確率が、車道の方が高いことぐらい数字を示さずとも明らかだ。
自転車の運転者自身のことだけを考えてもそうだし、車の立場からしてもヒジョーに危なっかしくて神経を使う。
あぁ、私だってドライバーの端くれでもあるのだ。
軽くぶつかっただけでも、死なれちゃったら自転車の方は天国行き、車の方はブタ箱行き。
自転車が地獄行きならなお不幸だ。
いずれにせよ、どちらにとっても人生の大惨事である。
一方、歩行者と自転車の接触で死ぬってそうそうないだろう。
「ヨワ度」と「分類」の問題
そもそもなんでこんなルールが「国の法律」としてまかり通るのだろうか。
最弱者である歩行者を尊重するという点では一見適切なルールのようだが、ここまで書いてきた通り、それが「安全第一」でないことがこの問題の核心である。
弱い順に並べると、歩行者、自転車、車の順になる。
気をつけたいのが、「ヨワ度」と「分類」の問題だ。
5段階でヨワ度をつけると、歩行者が最も弱くて【5】、車が最も安全で【1】、自転車は歩行者に次いで弱い【4】だろう。
ここでそれぞれに応じたルールを作ればよいのだが、そうなっていないところで歪みが生じる(※現実的に難しいのは理解するが、現状のルールで通すなら自転車専用レーンにもガードレールを設けるべきではないだろうか)。
自転車は車と同じ「車両」というムチャな分類
そこに「分類」の問題が重なる。
歩行者、自転車、車(&バイク。まぁエンジン積んでるのでここでは同じ扱い)という、代表的な3つの移動手段を、大きく「歩行者」と「車両」という2つに分類している。
安全が基準なら、ヨワ度【5】の歩行者と、ヨワ度【4】の自転車が同じひとつの分類になり、ヨワ度【1】の車がもう一方の分類になる。
ところが、基準を「安全」でなく「機能」で括ってしまい、タイヤがあるから車と自転車は「車両」、なんもないから「歩行者」と、理にかなわない(安全以外の都合がありそうな)2つの分類をまず作ってしまった。
このムチャな分類がすべての元凶といっても過言ではない。
分類が分かりやすい記事↓
自転車の「車両」扱いで、ヨワ度【5】の歩行者は守られるが、ヨワ度【4】の自転車はむしろ危険に晒されるし、車の方も事故の危険が増す。
歩行者だけが過剰に守られる
自転車は、危険に晒されながら「法律を守ってるだけ」だと、いつでも気持ちキレ気味で車道を走り、車は「危ねえな~!」と車内で怒鳴り「ながら運転」。
怒りが怒りを生む負のスパイラルだ。
私は、歩行者であり、自転者(じてんしゃ)であり、車者(しゃしゃ)でもあるが(突然おかしなこと言ってすまない)、単純な話、歩行者だけが守られすぎなのである。
きっと、腹立つ顔のババアが「すごいスピードの自転車が急に近くを通って怖かったわ~」とか、勝手にビックリして言うんだろう。
そんなビックリババアを守るために他のみんなが命の危険に晒されるのが、「自転車は車道を走る」という謎の法律だ。
丁寧に書いてきたが、最後になって感情が漏れ出してしまったことをお詫びするだけしておく。
(※とここまで書いて、センセーショナルな今のタイトルを思いついたので、その思いつきに沿ってセンセーショナルに書き足したのが以下の文章である)
「人類削減計画」でおなじみのビル・ゲイツが「自転車は車道」を決めたのではないだろうか
それにしてもなぜ、こんな危険な法律がまかり通るのだろう。
ビックリババアのみに安らぎを与え、それ以外の人類の精神をすり減らし、命を奪うことが目的かのような法律が・・・。
人類の命を奪う?生命が減っていく??
ムム・・・、ムムム。。
これはまさか、今やMicrosoftというより「人類削減計画」でおなじみのビル・ゲイツによる「車道の自転車轢き殺し計画」なのではないだろうか!?
となるとビックリババアは、全人類にマイクロ管理チップ入りワクチンを打とうとしてるのに我が子にはワクチンを打たせないビル・ゲイツの親戚なのかもしれない。
そんなワケで、近頃オカルトも都市伝説も真実と紙一重というか、オカルトと見せかけて恐ろしい真実が着々と進行しているような、そんな世の中になっている気がする。
いや、そんな世の中であることに気づかされ始めたという感じか。
オカルトを鼻で笑う時代は終わった。と、最近急に思っている。