やればできる子だった中年

なんでもできましたね、小学生ぐらいまでは。

人間が数で動けば「虚構(ジジイ)」が「真実」となる

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 金曜日。

前回の出来事を整理しましょう。

記事

また少し根が深くなった気がしてます。

ジジイとは度々ぶつかってきました。

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いやはや、もはや感慨深さすら感じられます。

でこれまでは、ひとつの事柄の「やるやらない」的なことの言い争いが主でしたが、前回の記事に書かなかったやりとりから、そのメインテーマが私の「人間性」みたいな部分に移ってきているように感じました。

ポイントとなるワードが、

「掃除のみんな(プンプン丸と被害者ヅラのアラフォー女二人)もキミをよく思ってない」

「ここの(ビルに勤める)人たちも受付は気が利かないと言っている」

これらの発言から、『全員が自分の味方である』というアピールと、私を『孤立させて排除しよう』とする(おそらく)無意識的な人間心理が読み取れます。

発言内容がウソかホントかについては、(ジジイは勢いで簡単にバレるウソをついたりするので)各方面からそのものズバリそういう発言があったのかといえば、多分ないのではないかと思います。

ただ、現実の状況として、掃除の女二人は(被害者ヅラはプンプン丸の心の支配下にあるとはいえ)よく思ってはいないだろうし、ビルに勤める人たちも、どちらか一方であれば「ただ座ってるオジさん」よりは「馴染みの掃除のジイさん」の味方になるはず。

なので、やり口はともかく、あながち的外れな攻めではなかったりします。

そんな状況に身を置き、「人間社会が数で動く」って危ういよなと思ったりしつつ、私は私の身を守るために動かなければなりません。

とりあえず「虚構」が「真実」にされてしまう前に、今ある事実を、今のうちに社長に伝えておきましょう。

というワケで、ジジイの言動の変化で雰囲気が一段と悪くなっていること、正直もう辞めてもいいぐらいだけど、社長によくしてもらってるのも感じてるし、なによりこの状況のままトンズラして、職場はこのままでまた新たな犠牲者を生み出すことになるのは本意でないということなどなどをズラーッと話しました。

社長は私の立場に理解を示して、なかなか(プンプン丸に代わる)人を入れられないことを詫びました。

さて、そんなところです。

いやしかしホント、ここまでくるとなんだか人の役に立つ仕事でもしたくなってきますわ。

じゃ、おやすむ~!!

掃除のジジイが「モップを洗え」とつっかかってきた

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 なかなか雨が上がらなかった水曜日。

心のデトックス的な「職場のイザコザ」記事です。

社長の息子を交えた三者会談以降、(表面上は)お互いおとなしく過ごしていました。

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が、ちょっとしたことから久しぶりに掃除のジジイがつっかかってきて腹立たしいので書きましょう。

雨の日は受付前の床が汚れるため、掃除用のシンク室的なところからモップを借りて時々私が拭きます。

そして、使ったモップは、洗わずにシンク室に置いておきます。

これは、掃除のジジイから頼まれてやっていることです。

元々自発的にやっていた頃もありましたし、個人的にやりたくないってほどのことでもなく、作業そのものについても、ジジイから頼まれたということについても、特にプラスの感情もマイナスの感情もありません。

ただ、受付が清掃の範ちゅうの作業をする際に、気にかけることがふたつあります。

ひとつは、「受付業務がおろそかにならないこと」。

受付は、「受付にいること」が最も大切な仕事です。

つまり、その場から離れること、人の出入りが把握できない状況に身を置くことは、できる限り避けなければなりません。

なにもしないなりに、しなければならないこともあるのです。

気にかけることのふたつめは、「清掃と受付の棲み分け」です。

これは、個人的な意識というよりは会社(社長)の意向が強く、契約上、清掃○名、受付○名といった感じで役割を分けている以上は、それぞれがプロとして自分の役割を全うしてほしいという理由からです。

例えれば、受付担当が出入り口に目もくれずせっせとモップがけをしていたり、(受付はスーツ着用のため)清掃担当が作業着で受付に立つのは避けてくれっていうようなこと。

(実際のところ、受付も掃除も誰でもできる仕事ではあるのだが)対外的に、あからさまに誰でもできる仕事と思われないようにしておきたいのは理解できるし、行き過ぎればひとつめの「受付業務がおろそかになること」につながることにもなるので、会社の意に反する理由はありません。

そこまで考えてはいないにせよ、感覚的に分かっているからこそ、「モップは洗わないでいい」と判断していたはずのジジイが、「モップを洗ってくれ」と言い出したのです。

しかも「(拭くのは勝手だけど)モップは洗ってくれ」というニュアンスで。

舌の根も乾かぬうちならぬ、舌の根が乾ききった頃になると、自分の言ったことを忘れるだけでなく、言ってたことと逆のことを言い出したりするのです。

私のスタンスはここまで書いてきたとおりですからして、「(シンク室は少し奥まっていて、モップを洗っていると受付が見えないため)洗いまではできませんよ」と断りました。

(※念の為ていねいに書いておくと、洗うのがイヤなのではなく、「受付業務をおろそかにしないため」に断るのだが、ジジイからすると「受付のヤツはなにもしない」に変換される)

案の定、ジジイヒートアップ。

ジジイ 「黙って言うこと聞いとけばいいんだよ」

私 「会社的にもなるべくやらないでって言われてるので」

ジジイ 「社長がそんなこと言うわけないだろ。ずっとこうやってきたんだよ」

私 「じゃあ社長に確認しましょうか?」

ジジイ 「お、おう」

ってな感じで、こちらとしては(ジジイは社長を避けているので)軽いイタズラのつもりが、ジジイが乗ってきてしまったために朝っぱらから、具合の悪い社長にくだらない電話をとらせてしまいました。

結果、ここまで私が書いてきたようなことを社長に説明され、「はい、承知しました。初めて知りました」なんつってヘコヘコするジジイなのでした。

以上!

ってまぁしかし、こういうことがある度に行き着くのは「こんな場所で日銭を稼ぐことしかできない自分の不甲斐なさ」になってくるんですがね。。

じゃ、おやすむ~!!

テンションの低い相手に対してテンションを上げて接する自分のクセに気づく

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 木曜日。

ふと気づいたので記録しておきましょう。

私って、声と収入とテンションが低いことでおそらくおなじみなんです。

声と収入は安定して低いんですけど、たま~にテンションが高くなってるというか、テンションを上げさせられてる時があることに気づきました。

どんな時かというと、相手のテンションが自分より低い時です。

無意識に、トータルテンション(今作成の新語。)のバランスを自分のテンションで調整して平均化しようとしてしまうみたいです。

具体的な心理としては、なにかしら気を使ってるんですよね。

「信用されてないっぽいかな?」とか「俺といるとつまんない??」とか、ゴキゲンうかがってる感じ。

なんか分かんないけど、接待させられてるような。

私の中では、テンション低くいられる側の方が優位に立ってる感覚があるんですよ。

どっしり落ち着いてテンション低く座ってるヤツの周りを、落ち着きのない犬みたいに舌出してハァハァいいながらじゃれつかされてるみたいな。

そもそもの立場が上とか下とかそういうことは関係なく、とにかくトータルテンション(トータルテンボスみたいでハジケきらない雰囲気が語感から漂っていますがもう一度使ってみました。)のバランスをとろうとしてしまうのです。

で、本来のマイローテンションでいられないことでくたびれるんでしょうか、とにかく、そういう時はなんとなく不本意というか違和感を感じている自分がいるワケです。

うわ、今気づきました。

娘(小3)に対してもそんな時がけっこうあります。

マイペースというか、なんとなくフワッとしてる感じで、(特に家では)あんまりキャッキャしないタイプの娘でして、傍から見てると「つまんないのかな?」って思っちゃうんですよね。

でなんか、こっちがちょっとテンション上げめに絡みにいくみたいな。

いやまぁ、だからなにってことでもないんですけどね、ここまで全部。

でもコレをはっきりと認識できたってのは、自分の中でなかなかの収穫な気がしてます。

自覚できていれば、今後同じような状況の時に、「あれ?いつの間にかテンション上げてるやんオイラ」なんつってなんだか楽しめるようになっちゃって、ゆくゆくはテンション高め、声高め、収入高めな男に生まれ変わっているかもしれません。

ってなことで、おしまい!!(※ハイテンションで笑っています。・・・あ、いえ、受付で真顔です。)

じゃ、おやすむ~!!

年末年始のあいさつに思うこと

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 仕事始めの月曜日。

「明けましておめでとう」を言わないならお年玉を返納しろ

明けましておめでとうございます。

若い頃は、「べつにめでたくねえから!」なんて思いながら、できる限り避けてきた『年末年始のあいさつ』。

人は変わるもので、オジさんになった今では、年末年始のあいさつをしないヤツにイラッとしちゃう始末です。

あ、仕事上での話になりますハイ。

いやね、若い人はまぁしゃあないっつーか、そういう形式張ったやりとりへの照れやら反発みたいのはある意味通過儀礼というかね。

でもひとつだけ、カッコつけとか恥ずかしさから、年末年始のあいさつをしない&できない若者に言っときたいのは、「だったら今までのお年玉全部返納しろ」ってこと。

都合のいいとこだけ乗っかるなよと。

かったるいのも嬉しいのも全部ひっくるめて続いてる文化だから。

いや~、我ながら中年みたいなこと言うじゃないですか私。

年末のプンプン丸に「イラァァアッ!!」っとした


若者よりもね、中年以上でそれができない&しないヤツ。

職場の清掃の人間たちがもれなくソレで、単純な話、不愉快極まりない気分にさせられるんですわ。

わざわざこんな記事を書く原動力になったのが、プンプン丸と被害者ヅラ(※よく分からん方はコチラとか参照願います)の年末の帰り方。

まぁちょっと文章で描写しづらいので具体的な状況は省くとして、とにかく私に対して『年末のあいさつを一切したくない』感をビンビンに発しながら「お疲れ様です」とだけ言って足早に去っていきました(※受付の前を通る時の感情ゼロの「お疲れ様です」は、掃除のジジイからの強制事項)。

なんかホントに、こっちも気分のいい仕事納めにしたいところで、最後の最後にそんなんが来たもんだから、想定外に「イラァァアッ!!」っとしましてね。

その日でなんとか収まりましたけど、危なく年始まで引きずるところでしたわ。

もうちょい細かく説明しましょうか。

この職場にきて三度目の年末年始なんです。

最初の年はまだ三ヶ月ぐらいだったこともあって、ここの年末年始はどんな感じなのかな?ぐらいの感覚だったんですけど、まぁ今回と同じように「お疲れ様です」だけで帰っていったんです。

そのトンヅラ感に、なんじゃコイツらとは思いましたけど。

で、次の年。

この一年で、プンプン丸の異常性からくる職場の淀んだ空気をさんざん味わった上で、私はちゃんとしようとこちらから「良いお年を」と定常のあいさつに付け加えました。

ドギマギした感じではありましたが、さすがに返事っぽいものは返ってきました。

ってのがあっての今回だったので、イラッとが増したのかもしれませんね。

そんな職場の雰囲気の中での私のそのアクションってのは、明確な意思表示なワケです。

「定常のあいさつに加えて、年末年始のあいさつぐらいはしときましょうよ、お互いにね」っていう。

それを踏まえてのアレってことで。

年始のジジイの「あ゛ぁ」にもイラッとした

だからね、年始はイヤミなぐらいにはっきりとあいさつしてやろうと思って、ジジイに「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」って言ったんです。

そしたら、こちらを向くこともなく「あ゛ぁ」ですって。

このね、プンプン丸に気を取られてるとやっぱりジジイもおかしいっていうダブルパンチがけっこう効くんですわ。

なんかすんませんねぇ、新年からこんな話で。。

いやでもね、日々を心地よく生きるってのは、八割方自分自身の在り方次第だなってのが、自分の中でそれこそ八割方明確になってきたので、まぁたいしたことでもありません。

書いて軽く発散しとこか、ぐらいのもんです。

結局あいさつをしないヤツは人生がつまらなそう

あとはやっぱり、年末年始でもこないだ書いたのと同じで、あからさまに「あいさつしませんから」みたいなヤツは、結局そいつ自身がつまんなそうなんですよね。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 だからまぁ、そのへんは下手に付き合って気分悪くするだけ損なので、他人事としてササッといなしつつやっていきまっせーってな感じです。

ではでは、本年もよろしくお願い申し上げます!!

じゃ、おやすむ~!!

『美容室気まずい問題』を解決した方法【後編】

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

今年ラスト出勤の月曜日。

最後は2019年を振り返ろうと思っていたが、「美容室の気まずさ語り」にひと記事かかって、前編後編になってしまった。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 なので一応これが今年最後の更新の予定。

美容師一人の店を選ぶ

さて、肝心の気まずさ解消方法。

例のごとく、きっちりとハードルを下げるところから始めよう。

一発でどうなるものでもないし、みんながみんなそれで解決できるとも思わない。

ただ私はコレで解決できたっぽいってだけの話。

この一点に尽きるのだが、美容師一人の店を選ぶこと。

ちょい譲って、もう一人いたとしてもアシスタントで、切るのは一人の店。

なので、微塵も『美』を求めないのであれば、理髪店(理容院?)の方が見つけやすいかもしれない。

もちろん、初回は気まずさもあるし、いつもどおりくたびれる。

ただこれが、回を重ねる毎に「それほどのことでもない」と思えるようになっていくのである。

これまでなら毎回リセットされてきた、美容師との関係性。

3回も行けば、向こうとしても通ってくれるんだなって感じになるし、はっきりと「この人が来た」と認識されているのがこちらにも分かる。

すると、こちらも毎回初めてっぽくする必要もなければ、逆に、すげー「初めて扱い」してくるヤツの時に「いや何回か来てるわ」みたいな、ごくごくかすかな切れも必要なくなり、少しずつ「ありのままの自分」に近づいていくのである。

美容師一人店は美容師が経営者であることがポイント

「いやでも自分口下手やし・・」って思うのも分かる。

そんなんも、美容師一人店は包み込んでくれる。

美容師一人ってことは、個人経営、つまりその美容師本人が経営者だ。

客一人ひとりへの対応の重要性の理解が、格安店でコキ使われている多くの兄ちゃん姉ちゃん美容師とは違う。

下手に心配するより、すべてを委ねればいい。

きっと、客に合わせてほどよい距離感で接してくれるはずだ。

これはもちろん、あまりにも無礼な客ならば、相応の対応をされるということでもあるからして、客としての礼儀や一般常識はこちらも持ち合わせる必要がある。

っと、このまま続けているとなんだか変なノリになっていきそうな予感がするので、もうちょい普通に利点を語るために、ですます調に変えましょう。

まぁなんというか、少しずつ「自然な人間関係」になっていく感じです。

毎回リセットして【前編】のような心持ちでストレスためたりする必要がなくなるっつーか。

やはりですね、独立できてるってことは、カットの技術はもちろん、コミュニケーション能力も高い上に実行力もあり経験豊富ワケで、コミュ障チックな人間が頭の中だけでゴニョゴニョしてなんとなく黙ってるのを、チョチョイとほぐしてやわらげるぐらいは、なんてことない作業なのかもしれません。

まぁもちろん、相性とか当たり外れもあるでしょうけど。

やすむの声が枯れた!

私、仕事中ほぼ人と会話をしない毎日でして、たま〜に友だちと飲みに行くと2時間もすれば、声が枯れて注文が通らなくなっちゃうような人間なんです。

こないだ美容室に行って家に帰ってきてちょっとビックリしたんですけど、声枯れてたんですよ。

知らず知らず、けっこうな会話をしてたようで。

おまけに「こんなんどうですねかね?」みたいな髪型の相談なんかしちゃって、これまでよりシャレオツ気味なカットにしてもらったりして。

バリカンセルフ刈り上げはいいことだらけ

であと、「月に一度」という、社会に出たら仲のいい友だちでもそんなに会わないだろうという高頻度散髪システムの間隔をあけるためと、節約のために、ツーブロックの刈り上げ部分をバリカンでセルフにしました。

今までの私なら、バレないようにやってとぼけて、またひとつ「ウソをついている自分」を抱えながら生きるところですが、ちゃんと美容師さんにも言って。

そしたら「ここはこんな感じでやった方がいいですよ」とかアドバイスまでくれたりして、コミュニケーションにもなり、余計な心の荷物を抱えることにはならず。

でこのセルフバリカン、通常は月に一度美容室に行かなきゃ味わえないサッパリ感がやるたび味わえて想定外に気持ちいい上に、美容室の間隔も2ヶ月になってます。

床屋代半額になって、気持ちよくて、2ヶ月にいっぺん行けばいいって、いいことだらけなんですわ。

まぁ、こんな感じで、最初は価格につられて行き始めたんですが、徐々に「なるほどな〜」みたいな感じになり、声が枯れたところで書いてみた次第です。

そんなこんなで、去年もいい年でしたし、今年もまたとってもいい年になりました。

もうちょい丁寧に振り返りたいところでしたが、時間もないので雑に終わりましょう!

ではでは、よいお年を!!

じゃ、2019年最後のおやすむ〜!!

『美容室気まずい問題』を解決した方法【前編】

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 土曜日。

1000円カットを卒業して美容室に通うオジさんの気持ち

なにを隠そうワタクシは、オジさんでありながら、否、オジさんであるからこそ、1000円カットを卒業し、ここ数年は美容室に通っている。

十代からのことで、美容室だとか美容院というワードに対して「男が『美』なんか求めてんじやねえよ!」という反発心は今だって変わらずある。

ただ、今は「失われし若さを、美容室で得られるささやかな『美』で補えるのであれば」そんな淡い想いが反発心と共に暮らしている。

そんな反発心もあって、中学までは赤青白が回っている理髪店に気まずく通い、高校からはQBハウスや(QBハウスよりも気持ちオシャレ感のある)その他の1000円カット的なところに気まずく通った。

まぁもちろんお金の問題もある。

髪を切る=月イチの『気まずさガマン大会』

私にとって、髪を切りに行くことは、月に一度の『気まずさガマン大会』だ。

だいたい、突然知らない人とペアにさせられて、まず自分から、自分が頭の中に描いている理想像を言葉にして具体的に伝え、その理想の自分になるために「こうして下さい」と、頭を下げてお願いするなんて、コミュニケーション能力の要求レベルが高すぎやしないだろうか。

そんなことが苦もなくできるなら、ビルの受付でコソコソブログを書くオジさんにはなっていない。

『指名』という名の告白をしてまで『美』を求めるのか

それが美容室ともなれば、こちらの心の奥底には少なからず『美』を求める心が渦巻いており、相手もそれを承知の上だという前提のもと、諸々のやりとりを完遂させる必要があるのだ。

今通っているところのひとつ前の美容室では常にそんな精神状態で、行く日だけでなく、髪が伸びてきてその日が近づいてくる毎日がストレスになった。

月イチの予定の前の10日ほど、毎月の三分の一、言い換えれば人生の三分の一が、美容室によるストレスに蝕まれる。

店には常時3人ないし4人の美容師がおり、その中の誰かがつくことになる。

指名はしない。いや、できない。

余分なお金がかかることももちろんあるが、ここまで書いてきた苦行のごときやりとりに加えて、さらに自分の方から「あなたに切ってほしい」という、限りなく『告白』に近い感情の伝達をしなければ目的を果たせないのが『指名』だからだ。

店内で共有される私の一挙手一投足

そして毎回、望むも望まぬもない誰かがつく。

そして毎回、なんとなく「コイツ何回か来てるよな」という事実をお互いにやんわり知らんぷりしつつ、ゼロから苦行のごときやりとりをする。

基本、最低限のやりとり以外は無言で過ごすため、たまたま2回続けて同じ美容師に当たると、なおツラい時間になる。

私の行く時間帯は、比較的空いていることが多く、賑わっていればなんとなくごまかされる沈黙や、はたまたちょっとした会話など、私の一挙手一投足が、ついている美容師だけでなく、他の客、その客についている美容師、奥で休憩しているであろう美容師にも共有されている感覚もまた、たまらなく気持ち悪いのだ。


おっと、『美容室の気まずさ語り』だけで時間がきてしまった。

続きは週明け!

じゃ、おやすむ〜!!

ニューヨークが林やすむ賞受賞【M-1グランプリ2019素人審査】

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左の汚い字がが敗者復活、右の汚い字が本戦の採点

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

だいぶ暮れてきた月曜日。

M-1グランプリ優勝はミルクボーイ!林やすむ賞はニューヨーク!!

M-1見ました?

優勝はもう文句なしでミルクボーイでしたね。

準優勝はぺこぱ。

いやなんか久しぶりにトータルで面白いM-1グランプリでした。

で、今回の面白かったM-1に導いたのが、トッバッターのニューヨークだったと私は思っとるんです。

こういうのって、一番手二番手あたりまでは客も演者も固くて、どうしても笑いが起こりづらくなりがちじゃないですか。

南千住のお笑いライブだってそうなんですから、M-1グランプリともなればその緊張感たるやいなやってなもんで。

そんな中、トップバッターで会場的にもけっこうきっちり笑いをとってて、テレビの前の私も笑って、ネタ後の松ちゃんとのやりとり(松ちゃんの発言内容には軽くモヤッとさせられたものの)でも場の空気をかなりほぐしてくれたんですよ。

その割に、審査員の採点がずいぶんカラい(※他のいろんなネタ見てからだとまぁテクニック的な目新しさはなかったのかなぐらいは思いましたけど、にしてもって感じ)。

いやコレね、本物の審査員と素人審査経験者の方なら分かると思うんですが、最初のうちに高得点って確かにつけづらいんですよね。

まぁ自分自身探り探りだったり、後々すげー面白いのが出てきたりとか、点差を多めにつけたい時のために、高得点側をあけときたいみたいな。

そんなんで、審査状況的にだいぶ損してましたよね。

あとは個人的な気持ちで、ニューヨークって2年ぐらい前あたりとか、なんとなくチョコプラかニューヨークかぐらいの時期ありませんでした?

今この、明暗くっきり分かれて、すっかり期待されていない中で、(私の採点としては)実力を示してくれた感じが嬉しくもあり。

M-1トップバッター問題はこれからも続く

でその、トップバッター問題ってのは、今後もM-1の存在が大きくなればなるほどそうなっていくワケで、再開後あたりからのM-1が私の中で今ひとつ弾けきらなかった原因を、今回のニューヨークがはっきりさせてくれた気がするんですわ。

一番手二番手までで、いかに会場の空気を暖めるかが、番組全体の盛り上がりに直結するっつーか。

去年の見取り図なんか分かりやすくて、トップバッターで「伏線回収」張り巡らせるなんてしちゃダメなんですよね。

見取り図に責任はないんだけど、自分たちがコケると同時に、番組全体の出足をくじくことになっちゃってたんでないかなと。

suzukiyasumu.hatenablog.com

伏線回収はM-1に向かないのでは?

ついでに、今年も出てきた見取り図について言うと、やっぱその「伏線回収依存症」を脱してほしいなと。

(あ、伏線回収ってのは、その時はなんのことだか分からなかったり、そこそこ面白かったりするようなボケを散りばめておいて、しばらくしてから「こういうことだったの!?」みたいにタネ明かしするテクニックのことですハイ。)

伏線回収ってギャンブル性が強いっつーか、お客さんとの呼吸がハマれば、笑いがどんどん増幅してって気持ちいいんでしょうけど、うまく噛み合わないと丸々ムダになりますよね。

敗者復活のカミナリが、そんな感じでうまくいってませんでした。

見取り図は、回収までが長いわりに派手なボケじゃないので、なおさら難しいような。

おっと、こうやって顔も出さずに、体一つで舞台に立つ芸人さんたちにダメ出しするようなマネはしたくないんでした!!

ついついスイマセン!

テレビでおなじみの実力派芸人のM-1優勝はこれからますます難しい気がする

もう一個思ったこと。

テレビでおなじみの芸人の優勝は、これからしばらくないんじゃないかなって。

優勝のミルクボーイがそれを象徴してますけど、今年の顔ぶれを見てると、これだけの実力者たちが「無名芸人」として、一撃必笑(ダサい言い回し失礼します。)な感じでひたすら牙を磨いてる間に、馬車馬のように(どうでもいいような仕事も含めて)働かされながらネタ作って舞台立ってって、相当なハンデですよ。

単純に「見たことあるネタ」率も高くなりますし。

あと、珍しく上沼恵美子に共感してしまったんですけど、(からし蓮根のコメントの時だったかな?)和牛に対して、「余裕な感じが腹立つ」みたいにまくしたててたじゃないですか。

今年でいうと、和牛、かまいたちがそんな感じで、いわゆる実力派的な芸人のこなれ感がなんとな〜くいけ好かないっつーかね、最終3組には残って当然みたいな顔してるような、確かにそんなムードを私も感じたんですよ。

まぁ、和牛水田、かまいたち山内の二人のサイコパス感の影響かもしれませんが。。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 そんなんで、テレビでおなじみの実力派芸人の優勝へのハードルが上がってくるんではないかなって。

(私の)敗者復活は「くらげ」!次点ロングコートダディ

ミルクボーイ、ぺこぱ、からし蓮根、オズワルドあたりは、今後も出てくるでしょうし、敗者復活にも初見の面白いコンビいたんですよねぇ。

私の中の、敗者復活勝ち上がりは「くらげ」でした。

「分かんねえけど」って言いながら、女の気持ちを分かりすぎてる男のネタ。

次点は「ロングコートダディ」。

天ぷらと3対3で合コンするネタ。

くらげが勝ち上がってあのネタやってたら、すげーハマった気がするんですけどね〜。

初見だった2組が、私審査の敗者復活上位2組だったのもなんか、(勝手に)今年の面白かったM-1の予兆になってましたわ。

金属バットのワイルドカード(準決勝返り咲き)が分かりづらかった

敗者復活といえば、準々決勝で敗退した金属バットがワイルドカードで準決勝に返り咲いたとかってネットニュースを見て、てっきり敗者復活に出てくるのかと思ってたら、いなくて残念でしたわ。

かき回してくれそうだったのに。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 さてさて、ザッーとそんな感じ!

あとはまぁ、番組開始早々トップバッターでそれなりに仕事をしたニューヨークに「ツッコミが好きじゃない」なんつー、その後の演者にまで変なプレッシャーをかけるようなコメントしたり、あの流れで最後に一人かまいたちに票を入れる松ちゃんのズレがやっぱり気になったぐらいです。

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つってもなんだか、来年以降が楽しみになる2019年のM-1グランプリでした。

じゃ、おやすむ〜!!

これからの日本でしあわせに生きていく難しさ【後編】

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「令和日本・再生計画」より引用。※一番下の唯一のマイナスが日本

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

土曜日。

昨日の続き。

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 日本はもはや経済大国でもなんでもなく、ただの「安い国」になってて、そんな安い国の中で「お金=しあわせ」で生きていくのってしんどいだけやん?って話。

なんかもっと続けられそうな気がしてたんですけど、だいたい吐き出せたっぽいので、ファンタジックにいきましょう。

バブル崩壊からずーっと景気回復景気回復って言い続けてるのに、世界で唯一「貧困化」してるって、もう完膚なきまでの大失敗じゃないですか。

それでもなお、「生産性向上!」なんつって、心の中ゾンビになってる下級国民たちの手ェ引っぱったって、肩からブチッとちぎれちゃうだけだから。

とにかくもう、お金を追いかけるのはやめましょ。

失敗したんです。

それでいいじゃないですか。

みんなで別の方向に行きましょうよ。

もうね、他の国が二度見しちゃうぐらいのあさっての方向に。

政治家は子どもがやるとか。

スマホ所持は逮捕とか。

テレビ廃止とか。

禁煙義務化とか。

宗教義務化とか。

多夫一妻制とか。

大家族政策(全員ビッグダディぐらい子作りしなければならない)とか。

ポイ捨て死刑とか。

老人国外追放(60歳を過ぎたら外国で暮らさなければならない)とか。

一人暮らし税(一人暮らしを割高にして人とのつながりを保つ)とか。

遺産相続廃止(国民に分配)とか。

怒鳴ったら死刑とか。

電車でリュック背中に背負ったままだったら死刑とか。

イヤホン音漏れしてたら死刑とか。

えーっと、あとは・・

っと、もういいですかね。

今日のところはこれぐらいにしときましょう。

いや、いい悪いとか、できるできないとかでなくてね。

「過労死の安い国」より、「子どもが政治家のポイ捨て死刑の国」の方がなんか興味深いじゃないですか。

「なにこの国!?」って。

とにかくね、とりあえずもうここまでは失敗しましたってことで、一旦しっかり謝って区切りをつければいいんですよ。

この辺も国民性っつーかね。

国民が失敗を許さないから失敗しましたって言えなくてごまかしちゃうワケで。

でもそんな教育とか環境を与えてきたのは政治の影響が大きくてって。

でこんなふうにどっちが悪いとか突き詰めだしたりしてね。

なんかまぁとにかく、教室も国会も職場も家庭も全部「まちがうところ」でいいんですってば。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 じゃ、おやすむ~!!

 

これからの日本でしあわせに生きていく難しさ【前編】

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「令和日本・再生計画」より引用。※一番下の唯一のマイナスが日本

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

経済大国だった小さな島国の行方

いやね、最近ますます、これからの日本でしあわせに生きていくの難しくない??ってのをビンビン感じるんですわ。

個人的な頭の整理(ってゆーか吐き出し)になるので、なんかまぁツラツラと書く感じになります。

最低限の知識もない、高校中退のビルの受付係の感想文でしかありませんから、読み流してもらうだけでもありがたいぐらいのものです(どうですこの徹底した自己卑下によるハードルの下げっぷり!)。

前々から、時々ふと思っては忘れてを繰り返してたんですけど、アジアの小さな島国を経済大国と呼ばれるまでにできた人たちがなぜ、日本がこうなるであろうことを(おそらく)予想していながらそれを防ぐなり、よい方向に向かわせることができなかったのかなってこと。

って、それはまぁそれだけの話なんですけど。

なんか、戦後のGHQの占領からの影響が大きいようなことをネット記事から読み取りましたが、こっから書くのは抽象的なザックリ思っただけのことです。

根づいた「思い込み」のやっかいさ

自分の中で「そういうもんだ」って当たり前になっちゃってるモノゴトを外からの働きかけによって変えることの難しさね。

大きくふたつのことを思うんです。

ひとつ、乱暴に言いますよ。

「バカの行動が止められなくなる」

日に日にそういう世の中になっていくんだろうなってこと。

日本の「問いと答え」だけの教育と環境の中で得られた「思い込み」だけで生きている人間が大量にいる。

ホントは、ちゃんと頭のいい人たちがそういう人たちを引っぱり上げて、みんなでできるだけ心地よく生きていくのが理想。

なんだけど、上でも言ったように、人の思い込みを外からの働きかけで変えるって、そうかんたんにはいかないと。

いくら本質的なことを説明したところで「偉そうに指図するな」みたいに反発されるだけ。

すると、頭のいい人たちも面倒くさくなって、身近な人だけに必要なことを理解させて、自分たちの利益だけを確保する。

そして、本質を理解させるのは難しくても、コントロールするのはかんたんな人たちを、自分たちの利益や安定をより強固なものにするためにコントロールするようになる。

「安くする」「楽させる」「依存させる」にコントロールされる人々

「安くする」「楽させる」「依存させる」

格差社会なんて他人事としか思っていないそいつが、どんどん格差の底辺に追いやられていることにも気づかずに、自分の思い込みだけを信じて生きてる。

そのままなにも気づかないで死んでいければむしろしあわせで、いろいろ知れる社会で、くたびれ気味のオジさんになってから中途半端に気づかされるビルの受付係あたりが一番しんどいのかもしれない。

そんな感じで、格差社会はまずまちがいなく進んでいく。

でいよいよ心配なのが冒頭の、「バカの行動が止められない」ってこと。

数が多いことが怖い。

元々はきっと、コントロールしやすくするために「考えさせない教育」みたいなことをしてきて、それがうまく転がって経済大国と呼ばれるまでになったんだろうけど、やっぱインターネットなんですかね。

いろいろ見えたり知れたりするようになって、それをいい(と思われる)方向に活かす人も増えたでしょうけど、圧倒的多数の「考えさせない教育」を施されただけの人々は、これまで以上に「欲」とか「妬み」とか、本能的な反応に任せて行動するようになる。

この先、ちょっとしたきっかけで、そういう人たちの本能にビビッと反応するリーダーが現れて、大多数のバ、、いや、「本能派」の人たちを煽って引っぱっていけば、多数決で「本能派」に都合がいい(とみせかけてエリート層ばかりが得をする)社会にどんどんなっていくでしょ、きっと。

ってもうなってるのかな。。

「お金=しあわせ」にとらわれすぎ

思うことのふたつ目は、「お金=しあわせ」が強すぎるってこと。

その価値感をそのままにして、これからの日本で生きていくとなると、しんどいだけだろうなって。

自分が常に(主に経済的に)上位2割〜3割の中に入っていなければならないってな感じになるワケで、常にそれにとらわれるだけで、もうしあわせもクソもないっつーか。

この20年の間に世界で唯一「貧困化」した国「日本」

コレ、衝撃的すぎて丁寧にツイートしちゃいましたよ。

このグラフの一番下が日本ね。

この20年で見ると、世界で唯一日本だけが「貧困化」してるんですと。

すべての国が着実に歩みを進める中、20年間その場で足踏みしてて、気づいたらなんならちょっと下がっちゃってた、みたいな。

そらまぁ、カウント開始の頃がよかったってのも多少はあるのかもしれませんけど、20年ですからね。

要は20年がかりで「経済大国」から「世界最安の国」になったんですよね。

あわせて読むとデータ通りやなってのがより理解できます。

r.nikkei.com

中国人の爆買いってのも、(当時ただ「ふーん」って思ってただけでしたけど)まさにそういうことだったんですかね。

(当時としては)高品質で、安い(安くなった)から買いに来たと。

今では「高品質」という差別化さえなされなくなり、対象がモノではなくコトに移って、観光地に外国人が押し寄せてる、みたいなこと?

なんか、社会ってすごいですよね。

分かってる人はちゃんと得するように動いてて、分からない人はそれをポカーンと見てるだけっていう。

京都にあんなに人が来るのも、「安い国のいいトコ見に行こーゼ」ってなもんなんですね。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 でそういうのをテレビは「ようやく日本のよさが理解されてきた!」みたいな能天気な解釈で、本能派の人たちを考えなくさせてコントロールすると。。

もうちょっと書きたい感じになってきたので、多分明日に続きますハイ。

じゃ、おやすむ〜!!

続きこちら↓

suzukiyasumu.hatenablog.com

オミソ・シルコ氏へのオマージュ記事【私に一番苦かった東京「浅草」】

f:id:suzukiyasumu:20191213212335j:plain

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

金曜日。

ぬか漬けは一日にしてならず」のオミソ・シルコ (id:uminekoblues)さんがキャンペーンお題で、ななんと大賞を受賞した!

blog.hatenablog.com

いやはや我がことのように嬉しい。

えぇそう、我がことのようにというか、我がことにもすり替えつつ喜べることが嬉しい。

どういうことかって?

オミソ・シルコといえば、「フタケタの輪!」出身でしょうが!!

※フタケタの輪!で紹介されると、こういう時に「出身者」扱いされることになります。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 そんなワケで、ただご紹介するだけでは私の気が済みませんので、大賞受賞作【私に一番近かった東京「浅草」】へのオマージュ記事を書きましょう。

ではどーぞ!!

 

【私に一番苦かった東京「浅草」】

オミソ・シルコ氏の【私に一番近かった東京「浅草」】を読んだ。

おなじみの、そこはかとないシルコ風味を味わいつつ読み切ったものの、私の「浅草観」との落差もあって、特にメッセージを送ることはしなかった。

私にとって浅草は苦いのだ。

高校に入って仲良くなったクラスメイト数人のうちの一人、Yくんの地元が浅草だった。

高校では唯一、四十路を過ぎてもつきあいが続いていたYくんと一年前に縁を切ったことが、浅草が苦い理由である。

(※念のため断っておくと、浅草の皮をかぶったYくんの話でしかないので、SUUMOキャンペーンの追加特別賞は辞退させてほしい)

友人に対し「親友とそれ以外」といった区別はしないが、出会った高校時代からお互いが社会を知り始める頃までの間なら、一般的にそういわれるくらいの関係だったかもしれない。

笑いの感覚をはじめ、いろんなことが伝わる相手だった。

縁を切る前の五年ほどは、積み重なった諸々にお互いなんとなく気持ち悪さを抱えていたからだろう、年に一度連絡をするかどうかで、会ったのは一度か二度だったと思う。

先に限界に達したのはYくんの方だった。

生存確認がてら送ったLINEでの冗談がこじれ、Yくんは私に怒りの感情をぶつけた。

怒りをおさめる方向で何往復かやりとりをしたものの、最終的に私の方から提案し、双方合意のうえで縁を切ることになった。

中年がLINEで縁を切る時代である。

テレビの笑いが丸くなるのに合わせて、友人同士の冗談さえも、より丁寧にオブラートに包むべきだったのだろう。

社会の変化は友人関係も変える。

突然といえば突然ではあったが、覚悟らしきものは常にあった。

最後のきっかけはYくんの怒りとはいえ、その原因を積み重ねたのはきっと私の方だ。

「申し訳なさ」と「ンなもん知るかよ」というふたつの感情がある。

削ぎ落とすと、Yくんは私に対していつからか「変わってしまった」と感じていて、自分自身は変わっていないつもりでいた。

それゆえ、社会に出て少なくなるコミュニケーションの度に、大なり小なり違和感を感じたり幻滅させられてきたのだと思う。

私の方に気づかいが足りなかったと自覚している出来事もあるが、基本的にはやっぱり「ンなもん知るかよ」なのである。

私の変化は私が消化し対応することであって、それによる他人のがっかりやストレスまで、私が背負わされる筋合いはない。

Yくんの中の「私のイメージ」に年々沿わなくなっていく目の前の私が気に食わなかったのだろう。

自分自身、歳を重ねるにつれ面白味のない人間になっている自覚はある。

反面、まちがいなく人生はよい方向に進んでいるが。

哀しいかなキミと縁を切ったことも、人生のためのよい選択に今のところはなっているよ。

そしてひとつ「ンなもん知るかよ」よりも大きな「申し訳なさ」がある。

Yくんをそうしてしまったのは私なのかもしれないという申し訳なさだ。

出会った頃のYくんは、どちらかといえば社交的で、どちらかといえば「陽」のキャラクターだった。

私はというと、典型的なダウンタウン症候群。

芸人になるとかそういう意味ではなく、ただ漠然と松ちゃんと通ずる感覚を持った何者かになれると思っていた。

suzukiblog.com

なにも知らないくせに斜に構えて他人を見下して、テンション上げないのがカッコいい、みたいな。

振り返れば恥じるべきところなのだが、当時の同世代からすると感覚的な面で早熟だったのか(って本人的にそんな意識はなく、なんとなくの周りの扱いから感じるに)、ちょっと「なにコイツの感じ」みたいなのはあったように思う。

そんなところから、意図せず「ひねくれた人間側」に引き込んでしまったというか。

中年以降のYくんに、出会った頃の「陽」の雰囲気はない。

そしてそれが、Yくんにとってよい影響があるようにも見えない。

そんな姿に、ただ一方的に申し訳なさを感じている。

おそらくYくんはこれからもずっと浅草にいる。

私にとって浅草は、これからもずっと一番苦い街であり続けるのだ。

おわり

 

 じゃ、おやすむ〜!!

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー