さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
いい感じの火曜日。
松ちゃんに感じちゃってる偏見
似たようなことをチョイチョイ書いてて、ちょっと見直してたら、「人殺しは不良品」って先日の松ちゃんと同じ表現してましたよ。
展開としては、「でも製品でなくて人なので〜」っていう感じで、松ちゃんのとは違いましたけど、表現としては極端すぎましたか。
なんかごめんなさい。
で、松ちゃんと爆笑問題太田さんの見解の違いが話題になってます。
松本人志の「不良品」発言 太田光の発言と比較し違いを憂う声も - ライブドアニュース
まぁ、松ちゃんが雑ですわね。
二人とも頭はいいに決まってるんですけど、松ちゃんは、よくも悪くもただの庶民なんですよ。
おもいっきりイメージによる偏見が含まれますけど、尼崎の中流の下の方で育ってて、宅間守と同級生で、工業高校卒業して、芸人になって、けっこう若いうちに売れて、そのままお笑いのトップまでいっちゃったと。
多感な時期には経済的に不自由でもあり、芸術だの文学だのに触れずに育って、そこから芸能界という特殊な世界でずーっと生きてる。
お笑いの世界でも、大御所の先輩芸人たちとは極力共演せず、感覚の近い後輩芸人たちと一緒に、自分の意見の通りやすい環境の中で過ごしてきた。
よくあるせまい世界で、せま〜いところを見て、多くの人が感じていても言葉にならない感覚を「お笑い」に変えるという意味では、そういう環境が大いに活きたワケですが、言い換えれば視野が狭いんだと思いますわ。
存在感の大きさの割に、生きてる世界が狭すぎる。
っていう偏見。
太田さんは、裏口濃厚ながらも日芸中退ですし、政治も知ってるし、星新一賞の審査員任されたりとか、芸能界でも干されたり事務所起ち上げたりっていう社会人的経験もしてたりで、少なくとも松ちゃんよりは視野が広い。
芸人としてのポジションとか面白さとかは抜きの話。
二人の意見のジャッジよりあなたの意見を聞きたい
求められてやってることとはいえ、本人が穏便に過ごしたいなら、ワイドナショーなんかやらなきゃいいんですけどね。
いずれにせよ、正論求める方がどうかしてるんです。
だいたい、それぞれが思うことに、いいも悪いもなく自由なので、どっちの意見がどうとかジャッジしなくていいの。
いい悪いじゃなくて「あーた自身はそれについてどう思うよ??」って話で。
なんかそんなん考えると、ツイッターって都合いいというかね、反対に理由つければただの揚げ足取りが、さも自分の意見のように見えるっていう。
殺人はあなたも私も含めた社会全体のせい
ってことで、私は私のブログに私の思ったことを書きますけど、殺人犯を殺人犯にしちゃったのは、親であり(あなたも私も含めた)社会であると思ってます。
まず、殺人犯本人とか、その親とか、誰か一人のせいには絶対にできない問題です。
殺人という行為そのものは本人の行いであって、罰せられるのも償うのも本人だけども、殺人事件が起きた責任はあくまでも社会全体にあるってこと。
責任の配分はケースにより違うけども、どんなケースでも最も重い責任を負うのは、本人より親だと思ってます。
なぜか。
以前の記事で、殺人犯になっちゃうふたつのパターンとしてこう書いてます。
先天的に「殺人衝動」 の種みたいなものを抱えて生まれてきちゃったパターンと、 成育環境でそうなっちゃったパターンのふたつあると思うんです。
「秋葉原連続通り魔事件」 の加藤智大の弟が自殺してたのを今知って思ったこと - ミミズだってオケラだってアラフォーだって
きれいにふたつに分かれることもないでしょうが、成育環境の要因が大きければ大きいほど、親の責任の比重が増すワケです。
たとえ殺人衝動の種を持って生まれたとしても、周りの関わりによって人を殺さなくても済むってのもある。
それをさせちゃうかどうかが社会の在り方っつーかね。
どっちの場合にしても、子の人格形成においては、よい方向は子の資質、悪い方向は親の育て方ぐらいの感覚が、実際に子育てをしていてあります。
でなぜそれでも、親の責任だけでなく社会全体の責任になるのかというと、親の育て方には社会常識や世の中全体の価値感なんかが大きく影響してるワケです。
お金が大切、学歴が大切な世の中だから、たくさん勉強させていい学校に入れなきゃとか、そんな方向に持ってかれるワケです、社会に。
そういう意味で、砂粒ほどの小さな責任であっても、社会の一員として私もあなたも背負うもののような気がするワケです。
まぁそんな感じで、ちょっとなんかまとめきれませんでしたが、今日はここまで。
じゃ、おやすむ〜!!