ビルの受付から見えてくる「あいさつと宗教」
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
やっと涼しい金曜日。
受付であいさつをする人の割合
ビルの受付にただ存在しつつ、通る人にあいさつをする日々。
- 80%はどちらからともなくあいさつをする人
- 15%は、あいさつをしない人及び、あいさつすれば(迷惑そうに)あいさつを返す人
- 5%は、あいさつする時はするけどしない時はしない人
だいたいこんな割合になる。
近年の日本の空気からして、②が増えていくんだろうと思う。
②の中でも実感として2パターンいる。
- 「私はあなたとは違うんです」っていう、無意識に人を格付けして、その格によって態度を変える人
- 「あなたと私は関係ありません」っていう、余計な人間関係を作りたくない人
上は男性に多く、下は女性に多い。
これはまぁ、私がオジさんだからか。
私はどちらも、クソかよと気軽に死を願いつつも「多様性」として受け入れるよう努めている。
「普通にあいさつを返さない ≒ クソかよと気軽に死を願われる対象になる」ということだけでも覚えて帰ってもらいたいものである。
あいさつする時としない時があるヤツのFBI心理分析
私が今回気になって、ハハ〜ンと思ったのが③のタイプ。
あいさつする時はするけどしない時はしないヤツ。
まぁコレも基本は②の格付けタイプなんです。
あいさつする時はどんな時かというと、他人の目がある時。
「自分は分け隔てなく誰とでもあいさつを交わすナイスガイですよ」ってアピールのために、自分より下層と判断した人間を利用するワケですね。
あいさつしない時が「本音モード」で、する時は「建前モード」って感じ。
それでも私はもちろん、クソかよと気軽に死を願いつつも「多様性」として受け入れるよう努めている。
日本人が他人の目を判断基準にするのは宗教を信じないから
ひっかかるのは、日本人ってのはなぜ他人基準で自分の行動を変えるのだろうか?ってこと。
これについて私は、「無宗教」であることが大きいんではないかなと思ったんです。
はて?って感じでしょうか。
ハイ、私は「無宗教Tシャツ」を作って売るレベルの無宗教です。
そんな私が思ったのは、宗教って「自分を信じる心」なんじゃないかなって。
公文書改ざんとか統計不正とか多いですよね。
で、それに対して断固糾弾するというよりは、自分も同じ立場だったらやってしまいかねないみたいな、ちょい同情混じりな感情も理解できてしまうというか。
それが、宗教を信じていると、
「おぉ神よ!果たして私の行いは本当に正しいのか?」
って、神(という名の自分の心)に問いかけると思うんです。
神は「正しいワケあるかい!!」って神のごとくツッコむ。
すると、神を信じてるワケですから、「そんなことするぐらいなら辞めます!」なのか「この事実を公表しますよ!」なのか分からないけども、神(という名の自分の心)が正しいと判断した方を選択すると思うんです。
言ってみれば自作自演なんですけど、ひと芝居挟むことで、自分を信じることができるんじゃないでしょうか。
それがない日本人ってのは、自分(という名の神)を信じる術がない分、自分よりも他人がよしとするものを基準にしてしまいがちになる。
責任回避みたいな心理もあるか。
昨日は、日本人には「前向きになれる根拠」が必要と言ったが、加えて「自分(という名の神)を信じる心」、つまり宗教も必要なものなのかもしれない。
なんて思ったの。
って、こんなの誰と話すことでもないから書くのさ。
じゃ、おやすむ〜!!