気軽に話しかけてくれる人のありがたみ【受付からの定点観測02】
ビルの受付からの定点観測で見えてくる傾向みたいの、前にも書いてますね。
で、前回の腰とか膝とか痛める人が増えてるってのの他にもちょっと思ったのが、「気軽に話しかけてくれる人」の存在。
私は基本的に、あいさつ以外のコミュニケーションをとらないっつーかとれないっつーかそんな感じで、べつに愛想悪くはないけど、親しみは特に感じられない系オジさんってな感じのポジショニングでしょうか。
なので、通る人たちも基本的に私に余計な話をしません。
だいたいの人から「顔だけは知ってるけど知り合いとはいえません」ぐらいの距離感を感じます。
冒頭のリンク記事にも書いているように、なんならあいさつしてもあいさつを返さない、「クソかよと軽く死を願われてしかるべき、存在価値が極めてゼロに近い愚か中の愚かなる人間」もいるほどです。
そんな中で、私に対して気軽にナチュラルに話しかけてくれる人もいます。
パーセンテージにして、5%ほどでしょうか。
暑いねーとか寒いねーとか、私うなぎが苦手なんですとか、実はメルカリでマスクの転売してたんだけど禁止されちゃったんだよとか、お袋が倒れたから帰りますとか、私にとってまったくもってどうでもいい話をわざわざしてくれるのです。
この辺ですよね。
どうでもいい話でもなんでも、私の心にどんな変化が表れるかというと、なんか心が軽くなります。
一人で決まりきったあいさつだけを繰り返してるところに、それ以外のコミュニケーションがポンと入るだけで、人のぬくもりみたいなものがじんわり感じられて、いつからか「あいさつサイボーグ」になりかけている私を生身の人間に戻してくれるような。
これってきっと、話してる方はなんとも思ってないというか、多分その人自身のガス抜きのためみたいなところがある気がするんですよね。
私だったら、まず「この人にこんなこと言ってもしゃあないよな」とか思っちゃうし、そもそもその程度のことでさえ他人に踏み込む勇気がなくてできないんですわ、実際。
そんなんで、図らずもWin-Winの関係になってるような。
でもこれね、ちょっと思い出したんですけど、このコラムの頃。
大きい老人がおしゃべり好きで、釣りの話とか船橋の話とか、釣りもしないし船橋にも行かない私に話しかけてくるワケです。
で、ここまでの話の流れなら、そんなんでも心が軽くなるはずなんですけど、この頃は基本イラッときてたんですよね。
今とこの頃でなにが違うのかというと、余裕があるかないか。
今は、業務的には余裕しかないぐらいのもんですが、その当時は、(激務というような忙しさは全然ないけども)それなりにやることもある上に、忙しい時に限ってよりどうでもいい話をしてきたりするんですわ。
健康状態も今よりよくないですしね。
とかなんか、そんなんを思うと改めて我々一人ひとりの状態ってのが社会全体の閉塞感みたいなものを形成しとるんやなってなことは思いますわね。
ま、受け手側のことはさておき、5%の「気軽に話しかけてくれる」側の人の話。
その他の95%の人と大差ない環境で働いてるワケだし、(勝手な偏見でしかないが)健康なりなんなり特別なにかに気をつけてる感じもない。
「気軽に人に話しかける」っていう能力を持って生まれただけとしか思えない。
もちろん生育環境もあるでしょうけど、もっと根本的なもののような気がします。
さて、特に結論めいたものが思い当たってることもありませんで、ただそんなことを思うというだけの話でした。
じゃ、おやすむ~!!