スズを外して木を一本植えたら「林やすむ」
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
この度、ハンドルネームを変えることにした。
いや、やっぱりなんか気になるのだ。
そう、なにがあったワケでもない。
気分の問題。
身元が割れるとかそんなたいそうな話でなく、現実味のある萎えるシチュエーションとして、スマホ画面をチラ見されて、私が「鈴木やすむ」だと認識されてしまうってのがある。
たとえば職場で、ちょっとした休憩で、ちょっとスマホを置いといて、ちょっとお茶をこぼしたりしたタイミングで、掃除の中年女性Aが急に現れて、ちょっとスマホ画面が目に入った時に、ツイッターなりブログなりの「鈴木やすむ」の文字があれば、一瞬で「コイツが鈴木やすむだろう」となる。
命を取られるようなことではないにしろ、そしたら多分、職場を去るか、ブログ、ツイッターをゼロから始めるかの二択という、すげーめんどくせーことになってしまう。
アラフォーともなれば、いつそんな凡ミスを犯してもおかしくない。
まったくの他人の場合でも、似たようなリスクはある。
私は最近、週イチぐらいで図書館ノマドワーカーとして、なにをするでもなくノートパソコンをカタカタいわせている。
そんな時にとなりのヤツに画面を覗かれれば、コイツがおそらく「鈴木やすむ」で、本名も鈴木で、こんな顔でこの周辺に住んでやがるんだなと、パッと分かることが正しい情報で紐付けられてしまうのである。
ただの図書館の利用者なら、相手が正確な情報と確かめる術はないが、職員が後ろからチラ見してきた場合、加えて図書館のカード情報から、名前、住所、電話番号、メールアドレスまでもが、鈴木やすむと紐付けられるのである。
まぁしかし、職場と比べたら「その場かぎり」感は強い。
ただ、次に行った時にその職員がいて、私の姿を見て「鈴木やすむ来たやん」みたいな目を私が感じた場合、もうその図書館には行かなくなるだろう。
とこのように、ネット上の情報をつなぎ合わせて本人が特定されるというリスクより、リアルでのいろんな鉢合わせとか凡ミスが生じた場合の、その先の私の気分の問題が一番だ。
そんなワケで、たいして意味のない「鈴木」の露出を避けることにした。
苗字を取れば済む話だが、なんか苗字があった方が名前っぽい。
名前っぽくありたい私がいる。
なんとなく思い立ったのが「林」だ。
シンプルだし、なんとなく林修先生っぽくなったからいい。
とりあえず、過去記事とかIDとかドメインはまぁいい。
いろいろ設定を変えたりしていて、ふと気づいた。
最近は、このブログを「だである調」で書いているが、そのくせに、冒頭に「どうも、鈴木やすむです。」とのたまっている。
冒頭は定形っぽくしてたので、全然気にしていなかった。
だである調だと「やあ、鈴木やすむだ。」とかになるのか?
いやだな。
なので、ひとまず次回からは「ですます調」に戻そうと思う。
じゃ、おやすむ~!!