BLOGOS「批評家・東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年」をいっぱい引用したい【前編】
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
水曜日。
BLOGOSの「東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年」を読んだ
この記事読みました。
東浩紀さんという方の、これまでのネット社会の振り返りとこれから大切になること、みたいなお話。
内容に記事タイトルが負けてる珍しいパターンだったので、引用いっぱいでお送りします。
10年前と今とでもっとも違う点は、「ネットを使うと新しい時代が作れる」という希望の有無だと思います。僕はその希望はもうないと思っている。
ネットが出てきてここまでって、私もいまだにそんな感覚ありますけど、「今までてきなかったことがアレもコレもできる!」=「これからなんだってできるやん!」みたいなね。
残念ながら、そういうのはもうないだろうと。
せせこましくブログ書いたり、ツイッターで地道に信用を積み重ねたり、実際にある程度やり続けるほど、「無理ゲーやん・・??」みたいな感情がふくらみますよね。
この先ますます(というかすでに)、空気がそっち中心になっていくってことなんでしょうね。
「ネットがあればなんだってできる!」から「ネットだろうがリアルだろうがデキるやつはデキるしデキないやつはできねー!ムキーッ!!」って。
持続可能な、面倒なことはみんなやらないんですよね。
結局は、道具がいくら便利になったところで人間が変わらなきゃ世の中変わらなくて、単純に、ネットがあれば世の中がよくなるって方向には進まなそうだねっていうことですね。
「リアルタイムの価値」が本質を歪ませる
次、この辺りの話もホントに。
問題は「リアルタイム」が重視されすぎていることです。いいかえれば、みな時間の価値を軽視しすぎている。
ツイッターですご〜く感じますよね。
「今」を重視するあまりに、枝葉を刈り込んだ言葉ばかりが並び、無駄のない言葉は対話や議論のタネにはならず、正解不正解のみで判断され、また次の「今」に向かう。
同じことを時間をかけて、対話し議論して生まれるいろんな考えの価値が、ただ「今」であることに歪められるというか。
PV以外のブログの価値基準が必要
ブログやはてなダイアリーなんかにも言及されています。
長いですが引用。
長くちゃんとしたブログを書いている人たちが、世の中のダメな反応に疲れて消えていった。僕も気持ちはわかります。
ブログの評価基準がPVしかないんなら、炎上するのが一番だということになる。じゃあ過激なこと言っときゃいいか、となっちゃうわけです。PVではない基準があればいいんですが、結局そこでリターンを作れなかった。PVがなかったとしても、きちんとした文章を書けばしっかりした承認がもらえ、未来の仕事につながるという信頼があれば、ブロガーたちも残っていたはずです。
つまり、ブロガーたちを育ててくというか、維持していくというのは、ネットのサービス作ってあとはお任せではダメだったんだと思うんですよ。ブログ論壇のコミュニティを育てる企業や人がいなかった。受け皿がなかったということですね。
私も常々訴えている、お金や数字ではない「価値基準」の必要性ですよ。
昨日の記事の、 “お金や数字以外の価値を表す言葉として「やすむ」が世の中に急速に浸透。” と同じことです。
そこを育てるためには「サービス作ってユーザーにおまかせ」では限界があるってのもホントに。
はてな運営さん、ヨロシクお願いしますよ。
えー、もうちょい続けたいんですが、本日は時間切れなのでまた明日!
じゃ、おやすむ〜!!