日常を「こんな時代を楽しむゲーム」にする
さんざん今の時代(コロナ含めインターネット、スマホ、SNSとか)を憂いてきた私だが、風向き(というより私の向き)が変わってきた。
世界が(私の思う)よい方向に向かうことはもうないだろうという考えは変わらない。
だがしかし、私の向きが変わってきたことで(屋根の上の平べったい私が、風見鶏よろしく風により向きを変えているイメージ)、こんな世の中との向き合い方が見えてきた。
ゲームだ。
体によいもの悪いものがなんだか分からないなら、それを調べて、ふさわしい食材を手に入れ、適切な調理をする。
体の不調があれば、調べてみてあやしい要因をツブしていく。
そんなゲームだと思って向き合えば、ただの「苦」が、やりがいめいたものに変わってくる。
こんな世の中に憤りや嫌悪を感じたら、ネガティブなエネルギーのまま溜め込んだり吐き出したりせずに、ユーモアに変換して、自分のネガティブも世の中のネガティブも薄める。
ちょっとした欲求に抗えないなら、世の中の仕組みを知る。
たいがいのモノゴトは、目の前しか見ていない人間が利用されることで成り立っていることに気がつくだろう。
あなたがそのままでいいならそれでもいいが、「そんな時代」と迎合し続ければ自然と心身を病むのが現代だ。
すべてを「そんなゲーム」にすると、世を憂うより攻略に忙しくなる。
(Switchの月額300円のファミコンの)ツインビーで、鍋とか目玉焼きをよけつつやっつけつつ、雲の中の鈴をいい色になるまで撃ってる最中に、両翼がなくなったのを直すピーポーみたいなやつを取りに行こうとしてるのに、息子の操る水色号がキャノン砲みたいのを撃ちたくて私のピンク号にくっついてくる時に、ふとこんなことを思った。
じゃ、おやすむ~!!