私の体調

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いなかった父親【下】

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

さわやかな火曜日。

昨日の続き。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 今週のお題「おとうさん」

父の妹からの封書には、父がどんな人だったか、母と別れてからの暮らしぶりなどが書かれた手紙、生前の(親しい人たちとの)父の写真に加え、友人による父とのエピソードが綴られた手記が同封されていた。

三十半ばまで知らなかった、父の名前以外のことをたくさん知った。

なんとなく自分と重なる部分も多い。

この状況で、身内がわざわざ悪いことを伝えるわけもないが、父の存在は、近い人たちにとってとりわけ大切なものだったように感じられた。

同時に、私が最期の対面を断ったことが、遺された人たちの心残りになってしまいかねないとも。

悪い感情がないことに加え、自分にとってはいない人のような存在だったと、お見舞いに行かなかった正直な気持ちを書いて送ったところ、またほどなくして安心した様子の返事があった。

その後もやりとりは続いており、一度父の姉妹、バンド仲間の友人とお墓参りがてら食事をしたこともある。

なかなかしっかりした(?)バンドのヴォーカリストだったらしく、イカ天で完奏した映像も見た。

三宅裕司のいかすバンド天国 - Wikipedia

私にとって、それが唯一の動く(歌う)父の姿だ。

知れば知るほど、「離婚しない方がみんな楽しかったんじゃね?」と思えてくる。

まぁ、離婚するぐらいなので、ケンカの絶えない家庭になってたかもしれないが。

母は「こうと決めたらこう」「思い通りにならないと気が済まない」タイプで、離婚理由は「父に覇気がない」というだけのこと(に聞こえてしまう。。)だったらしい。

当人同士のことなので、気持ちがなくなってしまったらどうしようもないのかもしれないが、母はあっさり気が変わることも多い。

ちょっと早とちりだったんじゃないの?天国のお母さん。

もちろん楽観論ではあるが、子育てをしてみて、子どもにはいろんな人のいろんな生き方を見せた方がいいと感じる。

そういう意味では、父親の人生も近くで見ていたかったなと、今は思う。

生命として存在していた時には私の心にいなかった父親が、今、私の心の中にははっきりといるのだ。

おしまい。

じゃ、おやすむ〜!!