私の仕事観【中】
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
本日は一日中恵みの雨。
どうだろう?
「雨」の前に「恵みの」をつけただけで、一日中恵まれているようではないか。
「恵みの雨が一日中私に降り注いでいる」
自分の身体のまわりにキラキラした輝きが見える。
あぁ、私は大丈夫だ。
「雨」の前に「恵みの」をつける作戦、ぜひ。
さて。
レアな反応にハートがジュワッとする
昨日の続きだ。
ブコメ&スター(ラッツ&スターか!)やツイッターで、なんとなくレアな反応をチラホラもらって、なんかハートがジュワッとした。
それだけ、こんな社会に違和感を感じている人が多いということだろう。
実は私の中では、「こんな社会でどう生きていくか」の答えは明確になりつつある。
仕事観からはみ出してしまう気もするが、ここはひとつ黙って聞いてほしい。
こんな社会でどう生きていくか
ひとことで言うと「しあわせを感じやすい自分になること」だ。
今「安っぽいな」と感じたとすれば、その感じ方が問題になる。
ひろゆき氏が「R25」のインタビューの中で「こんな知り合いがいて〜」って話をしてて、それがすごく分かりやすい。
肉体労働系の仕事をしてる僕の知り合いで、毎日18時くらいに家に帰ってきて、ビール飲んで寝て、また次の日も仕事に行って、土日は野球をやって…みたいなヤツがいるんですけど、「毎日すげー楽しい」って言ってて。
〜 中略 〜
正直その人は頭良くないんですけど、「俺、子どもにも頭良くなってほしくないんだよね」とも言ってて。「頭良いのに苦労してるヤツがすごい多い。俺は頭悪いけど幸せだもん」って(笑)。傍目から見てもそう見えるんですよね。
まさにこういうことで、「価値」をどこに置くか。
今の世の中を憂いているだけでもいいことないし、自暴自棄になってちゃもっとマズい。
私が【前編】でのたまっていたようなこともそうで、たとえそれが正論だとしても、こんな社会である以上、正論はキレイに畳んでしまっておいて、こんな社会の常識の中で生きるより他なくて、自分自身が今ある状況をどう感じられるか、しあわせに生きるにはどんな選択をすればいいかにかかってくる。
今の社会にただ漠然とネガティブな感情を抱き続ける限り、しあわせに生きることは難しい。
仕事に求めるものを明確にする
仕事という観点からであれば、まず第一に業務内容が「やってて楽しい」とか「大変だけどやりがいがある」とか、過程から結果まで、軸足をポジティブ側においたままでいられるかどうか。
業務内容でそれが叶えられなければ、就労条件に求める。
拘束時間が短いとか、休みが確保できるとか、通勤時間が短いとか。
業務内容、就労条件、人間関係などなど全部ひっくるめて「仕事」に対して、フラット(からポジティブ方面)な感情でいられればそれでよし、ぐらいでいい。
しかし、こんな話さえなんとなくキレイごとに感じられちゃうって、なかなか救いのない世の中だ。
おっと、こんなことを言っていてもなんにもならない。
あ〜、時間切れや。。
ちょっとやっぱり「仕事観」って感じじゃなくなってる気がする・・・。
まいいや、また明日。
じゃ、おやすむ〜!!
【下】に続きます〜↓