「武井壮に政治家になってほしい話」の道のりとその理由【後編】
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
ビルの受付は今日も寒い。
さて。
昨日の続きだ。
政治家になってほしいと願う対象が、この地球上で、なぜ武井壮(敬称略)なのか?
私の無垢な赤子のごとき政治観から、政治家になるための必要要件が大きく3つある。
今の世の中、公的な情報をすべての国民に周知することさえままならない。
あまり本質的でない気がするが、とにかくまず、知られていることが最重要要件だ。
特に、対象に特別興味のない庶民にどれだけ知られているか。
そこにおいて、武井壮はギリギリクリアぐらいの知名度かと思う。
家入一真さんは、やってることでいえば、これから挙げていく有名人たちの誰より具体的に世の中をよくしようとしていると感じるが、大衆の知名度が足りない。
実際に、都知事選に出馬したり政党を起ち上げたりしているが、まずそこを克服してからでないと難しい気がする。
2つめに、正論を語り、解決策まで描けて、しがらみや忖度なしでそれを表明できること。
簡単に言うと、仕事ができるかどうかだ。
ここまでなら、前澤社長やホリエモン、他にも、イチロー、為末大あたりの理論派系アスリートや、古い常識にうんざりしている、キンコン西野やオリラジあっちゃんなんかも残していいかもしれない。
で、3つめは・・・
思いやり!
私の無垢な赤子のごとき政治観から、選挙に勝つために必要なことの中で、最も軽視されているのがコレ。
ここで、唯一残るのが、武井壮なのだ。
選挙に勝つ≒大衆を味方につける
大衆は、「あまり知らない仕事のできそうな人」よりも「愛想のない有名敏腕仕事人」よりも、「知ってるやさしそうな人」を選ぶ。
たまたま今読んでる本にも、こんなことが書いてあった。
国会議員の選挙がありました。
当選者と落選者から各1人をランダムに選び、選挙結果を知らない人に写真を見せ、どちらが信頼できそうな人かを訊きました。
見かけ上の信頼度と当選確率にはどのような関係があったでしょうか。
①信頼できそうな人ほど当選率が高かった
②信頼できなさそうな人ほど当選率が高かった
③信頼度と当選率は無関係
答え
①信頼できそうな人ほど当選率が高かった
選挙では、信用できそうな外見をした候補者に票が集まります。わずか1秒間でも写真を提示されれば、どちらが当選者かを70%の確率で当てることができます。
〜中略〜
「誰がよい政治家か」という問いに完璧に答えることは不可能です。そんな時、より安易な問いである「誰が信頼できそうか」にすり替えて対応します。
【自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)】
この場合「見た目」ではあるが、「信用できそう」という見た目からのイメージで当選確率が大きく左右されるということだ。
順番としては、知ってることの次に、思いやりがきて、仕事ができそうかどうかという、本来最も重要であるはずの要件は、まさに二の次三の次になる。
ホリエモンには、圧倒的に(イメージとしての)やさしさがない。
「俺が全部考えてやるからバカは黙って見てろ。」では、大衆は寄りつかない。
ってゆーかホリエモンはそんなこと言ってない。が、読んでて違和感はなかったと思う。
それがイメージってものだ。
やはり、選挙に出て落選している。
前澤社長も近頃は、積極的に思いやりアピールに努めているが、元々そういう人ではなさそうなのは、私程度の庶民にも透けて見えている。※むしろ「送料タダだと思うな」の頃ぐらいの正直なままでいいのにと思う。
イチローや為末大は、武井壮と似た系統ではあるが、「自分はコツコツ積み重ねてここまできた」ってとこまでしか感じられない。
つまり、「やるしかないよ」「やらない人のことは知らないよ」と受け止めてしまうのだ。
勝手な弱者的変換かもしれないが、今の世の中、大衆の多くは弱者的だ。
武井壮には、理由もなにも聞かずに「とにかく一緒に行こうぜ!」って、弱者であればあるほど手をひっぱってくれるイメージがある。
そう、大衆にはイメージがあればいいのだ。
ひとつ付け加えると、3大要件の前に「本人にその気がありそうかどうか」は大前提になる。
イチローで見てみよう。
イチロー杯という少年野球大会の主催を続けていることや、そこでの少年たちへのスピーチ、古巣オリックスや故・仰木元監督との関わりなどから、野球界に限れば、貢献しようという思いやりを感じさせる部分はある。
しかし、マスコミ嫌いや、チチローとの確執など、野球のくくりがなくなると、どこか冷たい印象になる。
これらも、もちろんイメージだ。
この辺りから、現役のアスリートなので当然といえば当然だが、イチローにはその気はないだろう。
キンコン西野やオリラジあっちゃんには、また別の角度から、思いやりのなさを感じる。
「こんなことを考えてて、こんなふうに発信できちゃう俺どう?」が強すぎる。
他人より自分なのだ。
そんなことで、残るのが武井壮になる。
私は、特に武井壮を年中追っているワケではない。
なんならツイッターをフォローして一ヶ月も経っていない。
なのになぜ、武井壮をそこまで信頼しているのか。
ベースはファーストコンタクトにある。
私が武井壮を知ったのは、武井壮が百獣の王を名乗ってテレビで活躍しだす前のこと。
アンタッチャブル柴田のピンのラジオ「LINDA!〜今夜はあなたをねらい撃ち〜」への電話出演である。
当時から武井と親交のあった柴田が、一般的にはまったく無名といっていい武井のことを「メチャクチャ面白い人がいる」と、ラジオで度々話していて、直接話を聞いてみようって流れだったと思う。
内容は全然覚えていないが、電話をしたらなぜかコンビニにいて、受け答えは若干ワイルドで今よりも百獣の王な感じだった。
確かに、面白い人で、ウソのない人っぽいなという印象。
そして、つい最近たまたまYouTubeで「オトナの学校」という動画を見た。
その中で話していた、当時のことと思われる内容。
知り合った芸人さんたちと一緒にご飯を食べに行くようになり、会う人会う人を笑顔に変える話術に感動して、自分も人を感動させるような話術を身につけたいと、食事中の会話をICレコーダーで録音しては帰りの車で聴いて研究するという日々を8年(!)続けたとか。
これが、点と点が線になる感覚といおうか、十種競技チャンピオンと、タレント武井壮としての活躍の二度、目標のために努力を積み重ねて実現するというプロセスを成功させたのである。
コレつまり、今もなにかしらの目標を見据えてそのための努力を積み重ねている最中である可能性が高い気がしないだろうか?
目標の変遷も、「自分自身の身体能力の追求」から、「人を感動させたい」ときたら、「世の中をよくしたい」となるのは必然ではなかろうかというのが、私の推論そして、期待につながるのである。
これだけ並べ立てておいてナンだが、武井壮ならすべてを兼ね備えていると言っているわけではない。
ただ大衆の一人として、そんなイメージを持っているという話だ。
じゃ、おやすむ~!!
と、実は【完結編】に、
【余談】もある。