一日ひとつは得るものがなければならないという囚われ
ちょっとハッとしたのでメモ。
なーんか、いつからか常に「日々に追われてる感」に追われている。
ただタスクをこなすかのような日々の中で、さらには、なにかしら「得るもの」を求めている。
いわゆる物質としての「モノ」ではなく、情報やそれに伴う理解が主だ。
得るものを求めることは、前向きに捉えれば成長欲求みたいな収め方もできる。
だがしかし、今の自分にとっては弊害の方がはるかに大きいのではないだろうかということに対して、ハッとしたワケなワケなのである。
四六時中得るものを求めているということは、四六時中得るものを手に入れていない現実と向き合い、そのフラストレーションを抱えているということ。
なんとなくいつも「こんなはずじゃない」みたいな気分が抜けないのはそのせいだろう。
常に得るものを求めていると、常に「得るもの」のためになにかをしていなければならないと思うようになる。
なにもしないこと、身にならなそうなことを許せない。
なんともしんどい日常ではないか。
今しかない目の前の子どもの成長に「全集中」せず、常になにか得るものを探して落ち着きなくフワフワしている。
これを書いている途中に気づいたこと。
得るものは「モノ」ではなく情報や理解だと書いた。
だがしかし、それなりに情報や理解を得てはいる。
なのに、それでもなぜフラストレーションを抱えるのか。
正しくは、情報やそれに伴う理解の先、そこからの行動だ。
そして、私の「こんなはずじゃない」感は、行動できていないことから生まれているっぽい。
大小はあるが、大きな行動はそうかんたんには起こせない。
それを毎日、「今日も動けなかった」なんてやってたら、そりゃくたびれる。
さて、「今日の気づき」が得られたところでおしまい。
じゃ、おやすむ~!!
今週のお題「大人になったなと感じるとき」