わずかな生活の余白が奪われただけの緊急事態宣言《日記#018》
2020年4月9日(木)
緊急事態宣言で、それまで「ネット予約と受け取り」という形(本棚スペースは立ち入り不可)で利用できていた図書館が休館になり、すべてのサービスが利用できなくなった。
本が借りられなくなるという具体的な不便さよりも、緊急事態宣言によってこれまでできていたことを制限された窮屈さを感じる。
「受付にいること」が業務のほぼすべてであるビルの受付係にテレワークはない。
金もらって休めるってのはまぁ理想ではあるが、個人的には意外と「極めて労力の少ない仕事をしながらお金をもらえている」今の状況は悪くないなと感じてもいる。
自転車通勤で、業務での人との接触もほぼないため、感染リスクは極めて小さい上に、日頃の健康管理で、自分自身が感染して重症感染者になるかもしれないという不安もない(無症状感染者としてウイルスの媒介になるかもってのはある)。
ハッキリ申し上げて、「自粛生活の気分転換」気分で仕事をしている。
あれだけ「働きたくない」と思っていた人間が、こんなことを感じる。
家族水入らずの休日も、それを強いられるとなればストレスを生む(こともある)。
人間って不思議だ。
えーっと、言いたかったのは、緊急事態宣言の恩恵を受けられる一部の人以外は、より自由が制限されて、この状況の中で(ただでさえ少ない)できることがさらに減らされただけじゃねーかってこと。
「生活は守るから全員一ヶ月だけ外出しないで」
初動でコレが言えていれば、「要請」だったとしても多くの人が受け入れただろう。
それが、「3連休の気の緩みで~」って、入りからいきなり国民に非があるかのように責任を押しつける。
それも「オリンピックの都合」を隠すために。
1万2000円でいい?お肉券でいい?
で結局マスク2枚。
緊急事態宣言したけど一部の人以外は普通に働いてね。
緊急事態だけど電車通勤してね。
でも土日は外出しないでね、緊急事態だから。
一部の人?まだ決まってないんだ、緊急事態だけど。
今タイマーズがいたら、人がまばらな「渋谷スクランブル交差点ゲリラライブ」でこんな感じの曲(ってゆーかもっと痛快なやつ)を聴かせてくれたかもな。