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「今この時の体験」を奪われ続ける子どもたち《日記#023》

2020年4月24日(金)

もっと脳天気に書きたい。

だがしかし、世の中の状況がそれを許さない。

12連休を強制した上で、そのステキなネーミングを披露してほしかったものだ。

「体験」を奪われた日々を過ごす子どもたちが心配になる。

その心配に私の方が蝕まれていると言った方がいいかもしれない。

数年前を「ついこないだ」と感じられる大人の感覚で「たかだか数ヶ月」と片づけたくなるが、この毎日を幼稚園や学校に行きながら過ごした場合の、様々なバリエーションの「今この時の体験」がごっそり奪われ、家の中で家族とだけ過ごし続けることの影響は、子どもの時間の濃密さなら相当に大きいだろう。

まして、待ち望んだ休みではなく、登園登校を禁じられているのだ。

そんなことを思うと、緊張感のない環境で、さして不満もなく、ただなんとなく似たような毎日を過ごさせることに抵抗を感じる私がいる。

それがまた、できてしまうし、できてしまう環境の中、制限を課すことで生じる不満が子を感情的にさせ、そんな子の反応が親を感情的にさせる。

なんというか漠然と、「気づいてしまった以上のほほんと生きさせられない」みたいな感覚がある。

ひと昔前は、クソみたいな親でも「親」として世の中に許容されながら共存している雰囲気があったし、そんな親の子もそんな親の子として皆と共存して生きているのが自然な風景だった。

今はもう、「親である以上まちがえられない」ようなプレッシャーが、人と人との間にはびこっているような気がしてならない。

てゆーか私は一体なんなんだろうか?

こんなことをクドクドと書き垂らしているヒマがあるなら、家族を笑顔にさせるギャグのひとつでも考えた方がよっぽどみんなのためになるはずだ。

やっぱり根がマジメなのだろう、どうしても理屈をこねてしまう。

TVチャンピオン理屈コネコネ選手権」があったら、三連覇ぐらいできそうな勢いだ。

まぁ、私の認識を改める他ないのだが、しっくりくる着地点を見つけあぐねているのが今。

感受性豊かでありながら、社会的に結果を出せていない人間は、自分にも他人にも面倒をかけるものだ。