十代後半頃は、いろんなモノが「好き」で「意欲」があった。
「好き」のための行動に迷いはなく、面倒なことでも「好き」の過程ならネガティブな要素にはならなかった。
今なら、ちょっとしたひとつひとつがハードルになり、「行動」にたどり着くまでが、遥かなる道のりとなる。
なんなら行動しないことを正当化するために自分でハードルを設置していると言ってもいい。
さて、今この冒頭のムードから、なんとなくエモみのあるイイ感じの文章を連ねられる気がしていたが、ちょっとつっかえてしまって、もう無理みたいだ。
流れのまま、抽象的な「感覚」主体で続けようか、具体的なあの頃の「好き」の例を掘り下げていこうかで迷った。
抽象的パターンは、正直なんか面倒臭くなり、それこそ意欲を削がれた。
具体的パターンをいくつか思い巡らせたが、どれもいい感じの展開が見えず、やはり意欲を削がれた。
意欲を求めている私から意欲を引き出すほどの何かが、どこにも見当たらない。
だがしかし、このまま終われないだろう。
ムリして続けてみるので、「この人はムリをして書いている」と感じながら読んでほしい。
当時の私が胸躍らせる対象といえぱ、「シリアルキラー」そう、連続殺人犯だ。
ジェフリー・ダーマー、アンドレイ・チカティロ、アルバート・フィッシュ、エド・ゲイン、ジョン・ウェイン・ゲイシー、テッド・バンディ、エド・ケンパー、デビッド・バーコウィッツ、、
これぐらいの、オールスター級の名殺人鬼の名前なら今でもスラスラ出てくる。
う~む、なんだろう、やはり先のビジョンが見えてこない。
なにか別のモノにしよう。
広島東洋カープ、というよりも、前田智徳が好きで、、いや、違うな。
仏像とか、懐メロとか、ショーケンとか、Tシャツとか、「好き」と言えるものが山ほどあった。
今ふり返ると、それほど詳しいワケでもなく、イベント的なものに出向くワケでもなく、仲間と交流するワケでもないのだが、それでも間違いなく「好き」と言えた。
そこかもしれない。
「好き」と言えるほどの興味が持てないというか、、
うーむ、やっぱりいい着地点が見当たらない。
それでも、これだけ乗らない中、やれるだけのことはやった。
今も、気の利いた最後の一行を紡ぎ出そうと粘ってみたが、サッパリ出てこない。
こんな日もあるさ。
じゃ、おやすむ~!!