とある晩に感じた安心と不安
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
とりとめのない話。
とある晩、珍しく積み木で仲良く遊ぶ子どもたち(9歳娘と5歳息子)。
ただの気まぐれだろうか、普段は開けている子ども部屋のドアを息子が閉めた。
そのまま子どもたちの遊ぶ声がドア越しにうっすら聞こえてはくるものの、キッチンとリビングが夫婦二人の静かな空間になった、ように感じた。
妻は洗い物をしている。
半ば反射的にスマホを手に取り、通知のチェックをする。
と同時に、そんな自分にやけに虚しさを感じた。
先々、子どもに手がかからなくなって、自由な時間が増えた時に、自分のすることがスマホいじりなのかと。
そんなことを洗い物中の妻に話すと、同じその時に、妻も似たような虚しさを感じたらしい。
子どもたちが遊び出したタイミングで、私も物置きの一角のパソコンスペースに潜り込んだと思っていて、一人洗い物をしながら「子どもがいなかったらなにもないわ」なんてことを感じたと。
なんとなく共通の感覚であったことへの安心と、それが「虚しさ」だったことへの不安。
ほどなく子ども部屋のドアが開き、いつもの家族の時間に戻る。
ほんの五分足らずの出来事に、少し先の未来を体感したような気分になった。
そんな、とある晩の話だ。
じゃ、おやすむ〜!!