芸能人を呼び捨てにする時代は終わったのかもしれない
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
ビルの受付は、雨上がりの晴れで気持ちがいい。
さて。
武井壮には、政治家になってほしいと思っている。
その前に、今武井壮って書いて思ったこと。
芸能人・有名人を呼び捨てにする時代じゃなくなってきてるような気がする。
キートンさんの記事を書いた時も実はちょっと思ってて、途中からさん付けにすることに、わざわざしてみた。
簡単に言うと「テレビの中の人」ってだけじゃなくなってきてるから。
ひと昔前ならその線引きで、別世界の人というか、物語の登場人物みたいな扱いで成立してたのが、まぁ完全にSNSの影響で、リアルタイムで双方向につながってる感覚になった。
同じ地球に生きてる人、今この時、同じ日本に生きてる人になった。
するとまぁ、かかわりが濃くなった気になる。
そう、気のせい。
気のせいを軽視しない、と昨日書いたばかりだ。
かかわりの感覚の変化を感じているのは、我々一般人の側だけではないと思う。
若干飛躍気味かもしれないが、嵐や西野カナの活動休止も、安室ちゃんの引退も、そんな感覚が要因のひとつになっているのではないだろうか。
一般人からすると、芸能人一人に対する濃さの変化なので分かりやすいし基本ポジティブな要素になるが、芸能人からすると、(本人が気づいていなくても)不特定大多数の一般人とのかかわりがほんの少しでも濃くなるワケで、精神的な負担は計り知れない。
加えて、これまでなら、ライブやイベントなどに訪れるファンか、自分が直接会った人が主な一般人とのかかわりで、その多くはポジティブなものだったのが、SNSでの薄いつながりとはいえ、自分のことが嫌いだと表明する無数の人とも、かかわらないわけにはいかない時代になってしまった。
せっかくつかんだスターの座であっても、そんな境遇から離れたくなるのかもしれない。
現状は、SNSやブログなど、ネットを活用しない芸能人の方が珍しいぐらいになっているが、少しずつ潮目が変わっていくのではないだろうか。
さて、急に思い立ってズラズラ書いてきたが、いくらかかわりが濃くなった(気がする)といっても、テレビを見ながら「出川さんのリアクション最高だな〜」なんてやっぱり言えない。
せいぜいこんなふうにブログに書く時は「さん付け」しようかな、ぐらいか。
そう、そんなところ。
なお、武井壮さんに政治家になってほしい話は明日にしよう。
あ、このフルネームにさん付けの不自然さも、どうしていいか迷う要因になってる。。
すると、、分かった。
初出時に、武井壮(敬称略)ってする。
これだ。
そうだ、これだ。
うん。
じゃ、おやすむ〜!!