さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
金曜日。
「ぬか漬けは一日にしてならず」のオミソ・シルコ (id:uminekoblues)さんがキャンペーンお題で、ななんと大賞を受賞した!
いやはや我がことのように嬉しい。
えぇそう、我がことのようにというか、我がことにもすり替えつつ喜べることが嬉しい。
どういうことかって?
オミソ・シルコといえば、「フタケタの輪!」出身でしょうが!!
※フタケタの輪!で紹介されると、こういう時に「出身者」扱いされることになります。
そんなワケで、ただご紹介するだけでは私の気が済みませんので、大賞受賞作【私に一番近かった東京「浅草」】へのオマージュ記事を書きましょう。
ではどーぞ!!
【私に一番苦かった東京「浅草」】
オミソ・シルコ氏の【私に一番近かった東京「浅草」】を読んだ。
おなじみの、そこはかとないシルコ風味を味わいつつ読み切ったものの、私の「浅草観」との落差もあって、特にメッセージを送ることはしなかった。
私にとって浅草は苦いのだ。
高校に入って仲良くなったクラスメイト数人のうちの一人、Yくんの地元が浅草だった。
高校では唯一、四十路を過ぎてもつきあいが続いていたYくんと一年前に縁を切ったことが、浅草が苦い理由である。
(※念のため断っておくと、浅草の皮をかぶったYくんの話でしかないので、SUUMOキャンペーンの追加特別賞は辞退させてほしい)
友人に対し「親友とそれ以外」といった区別はしないが、出会った高校時代からお互いが社会を知り始める頃までの間なら、一般的にそういわれるくらいの関係だったかもしれない。
笑いの感覚をはじめ、いろんなことが伝わる相手だった。
縁を切る前の五年ほどは、積み重なった諸々にお互いなんとなく気持ち悪さを抱えていたからだろう、年に一度連絡をするかどうかで、会ったのは一度か二度だったと思う。
先に限界に達したのはYくんの方だった。
生存確認がてら送ったLINEでの冗談がこじれ、Yくんは私に怒りの感情をぶつけた。
怒りをおさめる方向で何往復かやりとりをしたものの、最終的に私の方から提案し、双方合意のうえで縁を切ることになった。
中年がLINEで縁を切る時代である。
テレビの笑いが丸くなるのに合わせて、友人同士の冗談さえも、より丁寧にオブラートに包むべきだったのだろう。
社会の変化は友人関係も変える。
突然といえば突然ではあったが、覚悟らしきものは常にあった。
最後のきっかけはYくんの怒りとはいえ、その原因を積み重ねたのはきっと私の方だ。
「申し訳なさ」と「ンなもん知るかよ」というふたつの感情がある。
削ぎ落とすと、Yくんは私に対していつからか「変わってしまった」と感じていて、自分自身は変わっていないつもりでいた。
それゆえ、社会に出て少なくなるコミュニケーションの度に、大なり小なり違和感を感じたり幻滅させられてきたのだと思う。
私の方に気づかいが足りなかったと自覚している出来事もあるが、基本的にはやっぱり「ンなもん知るかよ」なのである。
私の変化は私が消化し対応することであって、それによる他人のがっかりやストレスまで、私が背負わされる筋合いはない。
Yくんの中の「私のイメージ」に年々沿わなくなっていく目の前の私が気に食わなかったのだろう。
自分自身、歳を重ねるにつれ面白味のない人間になっている自覚はある。
反面、まちがいなく人生はよい方向に進んでいるが。
哀しいかなキミと縁を切ったことも、人生のためのよい選択に今のところはなっているよ。
そしてひとつ「ンなもん知るかよ」よりも大きな「申し訳なさ」がある。
Yくんをそうしてしまったのは私なのかもしれないという申し訳なさだ。
出会った頃のYくんは、どちらかといえば社交的で、どちらかといえば「陽」のキャラクターだった。
私はというと、典型的なダウンタウン症候群。
芸人になるとかそういう意味ではなく、ただ漠然と松ちゃんと通ずる感覚を持った何者かになれると思っていた。
なにも知らないくせに斜に構えて他人を見下して、テンション上げないのがカッコいい、みたいな。
振り返れば恥じるべきところなのだが、当時の同世代からすると感覚的な面で早熟だったのか(って本人的にそんな意識はなく、なんとなくの周りの扱いから感じるに)、ちょっと「なにコイツの感じ」みたいなのはあったように思う。
そんなところから、意図せず「ひねくれた人間側」に引き込んでしまったというか。
中年以降のYくんに、出会った頃の「陽」の雰囲気はない。
そしてそれが、Yくんにとってよい影響があるようにも見えない。
そんな姿に、ただ一方的に申し訳なさを感じている。
おそらくYくんはこれからもずっと浅草にいる。
私にとって浅草は、これからもずっと一番苦い街であり続けるのだ。
おわり
じゃ、おやすむ〜!!
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