私の体調

私の体調を世界にお届け!

娘がブログはじめましたけどなにか問題でも?

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 
グハッ!小2の娘が、ブログを始めました。。
 
私の様子を見てのことです。
 
これまで、私のブログを特に隠すことはせず、勧めるなんてこともせず、娘もなにか言うってこともなかったんですが、つい数日前、唐突に「私もブログやりたい!」と言ってきたのです。
 
THE MANZAIおぎやはぎの漫才を見たばかりだった私は、つい「パパは、○ちゃんがやりたいって言ってることはやらしてやりてぇからよぉ」と答えてしまい、つい始めることになってしまいました。
 
「大丈夫なの?」って感じですよね。
 
まぁ、基本的に気をつけることに気をつけて、こりやマズそうだなってことが起きたら対処したり、ホントにヤバけりゃやめればいいかなと。
 
これも今の時代の社会勉強になるんじゃないかなと。
 
親の介入をイヤがったりする前に、サポートしながら進められるならむしろいいタイミングかなと。
 
想定外のことも多々起こると想定しておいて、私も娘も未知の体験を楽しめればいいかなと。
 
で、いきなりここで紹介というのは、若干慎重さに欠けるかと思うので、ひとまずは今のままやりたいことをやらせてみます。
 
ちなみに、THE MANZAIおぎやはぎのネタって、収録の当日に早めに入って作ったんですって。
 
んじゃ、おやすむ~。

「秋葉原連続通り魔事件」 の加藤智大の弟が自殺してたのを今知って思ったこと

​どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

たまたまツイッターで流れてきた記事で、「秋葉原連続通り魔事件」の加藤智大の弟が、もう四年も前に自殺してたことを知りました。

“突きつめれば、人を殺すか自殺するか、 どっちかしかないと思うことがある” 


加藤智大の弟の言葉です。


って言ってて、その一週間後に自殺しちゃった。


兄は人を殺し、弟は自殺ですよ。


過去様々な凄惨な殺人事件がありますけど、 私は加害者も被害者だと思っているところがあって、 そう生まれてなければ、そう育ってなければ、 こんなことしてないよなって。


当時も報道されてましたけど、母親が異常なまでの教育ママで、子どもを自分の理想の型にはめる子育てをし続けた結果の爆発があの事件です。

newsmatomedia.com

そりゃ、なにもわざわざ関係ない人何人も殺すことないだろとか、 もちろん解りますよ。


当事者になればそんなこと言えないとも思います。


悪くないって言ってるんでなくてね。


母親的にはよかれと思ってやってたことで、 世の中にはもっとクソみたいな親なんていくらでもいると思えるの がなんとも忍びない&コワいなって。


先天的に「殺人衝動」 の種みたいなものを抱えて生まれてきちゃったパターンと、 成育環境でそうなっちゃったパターンのふたつあると思うんです。


加藤智大の場合、伝えられる情報のみからですが、 後者の成育環境パターンとしか考えられませんよね。


母親の「こうあるべき」ってのが、 かんたんにいえば社会的に評価されるであろう未来像のためなワケ です。


「自分の見栄」と「子どものためを思って」 のどちらの比重が重かったかは本人にしか分かりませんけど、 やっぱりどこにでもいる親な気がしてしまうのです。


やってたことひとつひとつ知れば普通じゃないですよそりゃ。


でも、その異常な教育は、世の中の常識(からくる理想) を目指すためのものなワケです。

suzukiblog.com

「常識」が生んだ悲劇とでもいいましょうか、 普通の親が普通の子に普通(と思ってる)の子育てをしてただけ、 ただ「親の常識の捉え方」が著しく歪んでいただけで、 兄は人を殺し、弟は自ら命を断ってしまった。

 

弟は、命を絶った一週間前にも自殺を試みて失敗していて、その手段は「餓死」。

なぜ餓死か? いちばん苦しそうだから。やっぱり、加害者は苦しまなければならない。楽に死んではいけないんです

 

こういう感情を持つ、真っ当な(って私が判断することじゃありませんが・・)人間だったワケです。


親が、自分が思ってる常識とか普通ってなにからきてるのかとか、 それにどんな意味があるかとか、しあわせってなんだろうかとか、 そういうモノゴトの本質を自発的に見直すというか、 そういうことに気がつかなかっただけで、 普通であるべき(はずの)家族がこんだけメチャクチャになるってねぇ。。


なんというかまぁ、きれいにまとまりませんが、 ついつい考えさせられてしまった私でした。


じゃ、おやすむ。。

中途半端なテレビタレントって、もはや「ブラック職業」じゃない?

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 

お前が心配するなよシリーズ第二弾です。

suzukiyasumu.hatenablog.com
まぁ、タイトルの通り。


まずは、このネット時代に、顔と名前(本名でなくとも) が割れていて、一応オフィシャル的な( なんかやらかせば謝罪会見みたいな)立場であること。


これだけで、 本人の日常生活におけるストレスは相当なもののはず。


その上に、中途半端ゆえ、 相応の対価は得られていないであろうということ。


ネット時代以前以後で、中途半端なタレントに対して、その対価に上乗せもされていないだろう。


肝はココかもしれない。


有名じゃないのに、昔以上に「有名税」を払わされてる。


今の時代の様々なリスクやストレスの分、「無名手当」が上乗せされていて、 たとえ中途半端なタレントだとしても、 一般人からみればうらやましいぐらいの生活ができているのであれ ば、私も心配はしない。


時々、そういうタレントの自宅や日常生活(風の映像)をテレビで目にするが、 決してうらやましいと思えるような様子ではない。


日常生活だけでなく、仕事もストレスだらけだろう。


中途半端ゆえ、自分の意見が言えるワケもなく、長時間拘束され、 さんざん待たされ、やることやったにもかかわらずオールカット、 なんてこともしょっちゅうなはず。


これしかし、なんとかそこそこ売れたら売れたで、 今度はたくさん働かなきゃいけなくなるし、 露出が増えれば私生活のリスクやストレスは増える。


家庭があったりすれば、リスクは何倍にも膨れ上がる。


そしてその対価は、基本お金でしか得られない。


「自分にファンがつく」なんてこともひとつあるかもしれないが、今や、顔も名前も出さないユーチューバーでも叶えられることだ。


アレコレ考えてみても、ひと握りの存在にまで成り上がらない限り、テレビタレントであるメリットがデメリットを上回ることはそうそうないような気がする。


中途半端なテレビタレントって、もはや「ブラック職業」ではないだろうか?


いいや、私生活にまで多大な影響を及ぼすことを考えたら、もはや「ブラック人生」といっても過言ではないかもしれない。


いずれにせよ、昔ほど夢のある職業でなくなったことは確かだ。


さて、今日もまた、ふと思ったことでひと記事書けたわ。


じゃ、おやすむ~!!

根づいた「一般常識」が覆ることのない世の中になっていく

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 

テレビ、新聞の2大メディアに、インターネットがドカンと加わり、国民的アイドルや、誰もが見てるテレビ番組がなくなった。


情報の選択肢が広がり、偏りが減るという点においては、よいことではあるとも思う。


今回はそっちの話ではなくその逆の話。


誰もが知るべきこと、多くの人にとって知っておいた方がよいことを知らせる術がなくなってしまったという問題。


いろんな言い方ができると思うが、「情報格差が広がりやすい時代」みたいな感じだろうか。


私のブログまで読んでいるあなたのような人は心配ないだろうが、身近な人を見渡せば、けっこう心配になっちゃう人は多いのではないだろうか。


(こういう時代になってしまった以上、個人的には)情報格差自体は、ある程度自業自得な気もする。


私がマズいなと思うのは、前時代から正しいとされている一般常識がまちがいであった時に、それをいっぺんに置き換えることが難しくなるということ。


ひと昔前なら、新聞、テレビ、そこにご近所付き合いによる確認なんかが入ることで、自然に行き渡っていた情報が行き渡らない。


昨今、若者ならまだしも、ネットに疎いお年寄りまで新聞を読まなくなってたりするみたいなので、なおさらマズい気がする。

 


まぁ、私がこんなところで心配してもどうにもならないことだが、記事が書けるかなと思って書いてみた次第である。


じゃ、おやすむ~。

寒さは行動の敵や!

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 

いや~、東京もいよいよ寒くなってきました。


改めまして、私はビルの受付係でして、ガラス扉の向こうは外という、 環境で働いております。


私の労働風景はこちらでチェック!

suzukiblog.com
そんなことで、限りなく屋外に近い屋内で、ストーブ一個を頼りに冬を越さなければなりません。


業務としては、基本ただいるだけなので、なんら問題はありません。


ただ困るのは、仕事中にブログの下書きができるという、この仕事の最大のメリットが脅かされることです。


ワンランク上のストーブ(※ジジイ記事参照)のおかげもあり、全体的にはなんとかしのげる寒さにはなりますが、いかんせん手先が冷えて、書く気が失せるのです。


なので、平日毎日更新はちょっとキビしいかもしれませんよ、というお知らせです。

 
と、このように「寒さ」は、ヒジョ~にあっさりと「やらない言い訳」になります。


皆々様におかれましては、くれぐれも体調に気をつけて頂き、私の分までブログを書きまくって下さいませ。


じゃ、おやすむ~!!

我が子への伝言[4]初期衝動を逃すなよ。の続き

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

前回の続き。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 初期衝動からの行為そのものが目的だったはずが、いつの間にか、結果を求め承認欲求を満たすことが目的になって​ない?​って話。

​てゆーか、コレ子どもに伝えるのっていつになるんだろうか??

大人になる前に伝えたいけど、小学生じゃまだまだピンとこないだろうし、中高生になったらオヤジのマジメな話なんか聞かないだろ。。​

こういうのは結局、経験から学ぶしかないのかねぇ。

そんなマンガでもあるといいけど、そんな都合のいいマンガもないだろうし。。


ま、せっかくここまで考えたし、もう少し考えましょう。

だからそう、いかに初期衝動をうまく消化させるかってとこですよね。

行為そのもので満足するならそれはそれでいい。

それが、承認欲求みたいな方向にまで向かっていく場合の対処をどうするか。

コレですね、私の経験を反面教師とするなら、まず浮かぶのは「健康であれ」ということ。

この「健康」という、若者に最も響かないアドバイスを、響かせるにはどうしたらよいだろうか。

そんなマンガでもあるといいけど、そんな都合のよすぎるマンガ、さっきのよりないだろうし。。

一応、私の場合を軽く語っておくと、しつこいですが「坐骨神経痛」。

suzukiblog.com

坐骨神経痛による、腰から足先までの慢性的な痛み・しびれ、そこからさらに意欲低下やうつっぽさなどメンタルを蝕まれたことが、Tシャツ屋をやめるきっかけにもなったし、その後のカフェ自営も中途半端で終わった要因だった、と思ってるワケです。

私はおそらく、もっと変な人として生きていく方が似合ってたような気がしてます。

どうにもやっぱり、慢性症状が長引くにつれ、変人感を発揮するパワーそのものがどんどん失われて、変人感の影に隠れた中途半端なマジメさだけが残った結果、「変人感が強かった時に積み重ねてきたロクでもない職歴を持つ中途半端にマジメなおじさん」になったって感じ。

どうです?我が子には二の舞になってほしくないでしょう??

だから、探してるんです、そういう都合のいいマンガを!!

じゃ、おやすむ~。

我が子への伝言[3]初期衝動を逃すなよ

どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 勝手に始めたこのシリーズ。なんかちょっと独りよがりになりすぎる気がして、 どうしようかなと思ったんですが、 私がまとめておきたいので続けましょう。

 

suzukiyasumu.hatenablog.com


今回は「初期衝動」について。


と思って、正確な意味を調べてみたところ、 初期衝動って辞書に載る正式な言葉としてはないみたいですね。


まー、「初めて触れた時に衝き動かされる」 モノって感じですよね。


必然的に、 若ければ若いほどいろんな初期衝動にブチ当たれるワケで、 そしてその波が寄せては返し続けてる間は、 その波を大切にしろよってこと。


なぜそれを伝えたいかって、そりゃ自分自身の経験からですよね。


私の場合、「Tシャツ屋」。


え?!なんですか?!


Tシャツ屋ですよ!Tシャツのデザインを考えて、作って、 売る人!!


な、なんだっていいでしょう?!

 
おっと、取り乱しました。。

 


高校中退してニート生活を満喫してた時に、 B級ニュースマガジンGON! っておかしな立ち位置の雑誌があって、ある号の「 殺人鬼Tシャツ特集」を見た時の、


「オレもこういうの作りたい!」


コレが、私の初期衝動。

 

suzukiblog.com


なぜコレがそんなに大切なのか?


この初期衝動の「こうしたい!」がうまく消化されないと、 中年になっても、心にずーっと引っかかり続けるからです。

 

この記事もそんなんを思い起こされました。

r25.jp


こういうのってなんでか男性の方が強い気がしますが、 若かりし頃の「こうしたい!」を引っかかったままにしておくと、 時間の経過とともに「こんなはずじゃない!」に変化して、 中年の心をむしばむのです。


この、初期衝動の消化というものが、たとえば「 想いを歌にして叫びたい」だとして、 その行為をしただけで片付くならいいんですが、 おそらくそこではおさまらず、誰かに聴いてほしい、 共感してほしいとか、 他者からの承認みたいなものにまで膨らんでいくんでしょう。


それがやっかいというか、結局のところ( その要求レベル次第ですが)、一般的にいう「成功」 がゴールに設定されちゃうと、 まぁたいがい叶わぬ夢になってしまうと。


※言い忘れましたが、私自身答えが出ていないので、ほぼ考察になります。

 


初期衝動でやってたことが、 承認欲求を満たすことに置き換わってる。


「過程」(を楽しむこと)で得られるはずのものに「結果」 を求めてる。


ほぉ、コレは面白くなってきましたよ。。


これつまり、子どもから大人に変わってるんですわ。


子どもってなんでも「やること」が楽しいからやるんであって、 結果はどうでもいいんですね。(※もちろん達成感みたいな喜びもそれはそれでありますが)


お手伝いでも、ごほうびがほしくてやるんでなくて、 やることが楽しいからやる。(※ 大人がごほうびで釣ってばかりいれば、 そういう子どもになりますが)


それが、大人になるにつれ、「過程」は「結果のための我慢」に変わっていく。


ほぉ、なるほど。。


ちょっとまぁ、行き着いてませんが、時間もないのでこの辺りで。


んじゃ、おやすむ~!!

 

で続き↓

suzukiyasumu.hatenablog.com

M-1グランプリ 審査員だけでなく視聴制限を15年にしておっさん視聴者も世代交代させよう

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

 

おっさんはみんなM-1が好きだ。

 

それぞれがそれぞれのM-1観を持っている。

 

私はモチのロン、はてなブログ【シニア部門】のみなさんも、M-1グランプリの記事を上げている。

gattolibero.hatenablog.com

gattolibero.hatenablog.com

www.maskednishioka.

suzukiyasumu.hatenablog.com


それこそ、「M-1批評-1グランプリ」が開催できるんではないだろうか。


※この記事は、中高年グループのおっさんたちの記事をなんとなく読んだだけで、なんとなく決めつけて書いた記事である。


共通しているのは、皆なんとなくM-1を憂いている感があること。


上沼・志らく問題など、具体的に気になるポイントは多々あるが、私はなんとなく「霜降り明星を優勝させたこと」に答えがあるような気がしている。


主な審査員 > 主な演者、既存の視聴者 > 次世代の演者、次世代の視聴者


老人世代、中年世代、若者世代が、こんな感じの分布になっている中で、老人世代がメイン層である中年世代をスッ飛ばして、「次世代の演者」をM-1チャンピオンに選んだのである。


この選択が、おっさんM-1ウォッチャーの憂いにとなって漏れ出してるんではなかろうか、というのがなんとなく思い浮かんだ考察である。


この結果から、旧来の漫才の型に固執してしまう老人世代の審査員はこの先やはり不要なのだろう。


演者が必然的に若くなり続けるシステム上、当然といえば当然かもしれない。

 

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演者に15年の出場制限があるように、視聴者にも15年の視聴制限を設けて中年視聴者を淘汰させてしまいましょう!(※唐突かつ意味不明ですが、区切り線内は思いつきであとから付け足したので私だけがそんな気がしてるのかもしれません)

 

あ、そしたら審査員は出場制限失効後15年以内のM-1出場経験者にしましょう。

 

演者、視聴者、審査員すべてに年数制限を設けて平等にむりやり新陳代謝を促せば、いろいろ丸く収まるんじゃないでしょうか?!

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今回、サンド富澤、ナイツ塙の審査員起用がなんとなく好意的に受け止められたように、この流れのまま数年後には、笑い飯や千鳥あたりが審査員席にいてもいいんではないかと、なんとなく思っている。


※(タレント適応がうまくいかずにずいぶん小粒に収まってしまっているのは個人的に非常に残念だが)笑い飯は、旧来の漫才の型にあらがい続けながら、毎年決勝に残って優勝までしているワケで、これからのM-1審査員としては(二人とも)適任ではないだろうか。


そんなこんなで、運営側の課題としては、審査員の若返りと、次世代視聴者の取り込みということになり、我々中年世代の視聴者は、ほったらかしにされながら推移を見守るだけだ。


演者の層としては(今年を例にしてみると)、霜降り明星やミキのような、キャッチーなボケをワイワイ繰り出す、「現代風アクティブ漫才」が主流になっていくだろう。


そこに、和牛、かまいたちあたりの「正統派しゃべくり漫才」寄りのコンビや、ジャルジャル、トム・ブラウン的な「型破り漫才」が食らいつく感じ。


さ、とりとめもなく書き連ねてきたが、そろそろ終わろう。


最後に、若返りという点でいくと、アシスタントの上戸彩は、そろそろお役御免でいいと思う。

 

じゃ、おやすむ~!!

 

 

 

初回から見てるおじさんのM-1グランプリ2018審査結果と総評。優勝はかまいたち。

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。


なんだかんだで、最初から欠かさず見てまして、 高円寺のカフェ自営の頃は、お店には来ないのに、 私の審査結果を待っているお客さん(?)がけっこういた気がします。


では。

 

M-1グランプリ2018審査結果


見取り図 85点


「誰ぇ?!」は面白いんだけど、そこに至るまで、 なんの変哲もない漫才でフリ効かせてる時間が長すぎて、本来「 誰ぇ?!」のコンビでありたいはずなのに、 なんの変哲もないコンビって方の印象になっちゃってた。

それから、見取り図にはなんの落ち度もないが、息子(4歳) が騒がしく、笑える精神状態ではなかった。


スーパーマラドーナ 88点


ドアバタンのあと、「こっからくるゾ〜」と思わせてからの畳み掛けがうまくいかなかった印象。


かまいたち 94点


くだらない面白さをジワジワ積み上げていく感じがうまく、 やっと普通に笑えた。
前二組がもうひとつつかみそこねてたので、なお映えた感あり。 がっちりハマりかけた最後の方で若干ゴチャゴチャしなければ、 最終3組に残れたはず。
わたしの中の今日イチ。


ジャルジャル 86点


ジャルジャルの姿勢はとても好きで、ネタも面白かったが、 このスタイルを今になって評価するなら、 決勝初進出か二回目の年に優勝させてほしかった。
漫才の時に着るあのテロテロの青のスーツ姿が、 イマイチ好きになれない。「漫才に媚びない漫才」なのに、衣装だけ媚びるなよと思ってしまう。


ギャロップ 87点


オーソドックスすぎた。特にジャルジャルのあと。
ハゲの人の顔つきがハゲっぽくないのがもうひとつウケ切らない要 因のような気がする。笑っちゃいけない感じのハゲというか。


ゆにばーす 84点


まだ力量不足か。(確か)巨人師匠も似たようなことを言ってたが、はらの「 昔の漫談風」の部分がやけに聞き心地がよく、ああいう器用さ? みたいな部分をもっと推していい。川瀬名人が「俺がおもろい」 アピールをいかに捨てられるかで今後が変わりそう。


ミキ 87点


なんか弱かった。全体的にありがちなボケが多く、その割に兄ちゃんの反応が過剰でうるさい。


トム・ブラウン 88点


無名でキワモノっぽいコンビが決勝まできたのは嬉しい。どうせならもっとキワキワで。


霜降り明星 87点


ネタによるのかもしれないが、ひとつひとつのボケが、ちょっとずつ大衆に迎合してる感じがある。本当はもっと面白いんではないかと。
と、あのツッコミのテイストは東京ホテイソンとどっちが先なのかによって評価がまたちょっと変わる。


和牛 88
ちょっと安定しすぎてて、安心して見てたら安心したまま見終わってた感じ。去年優勝でよかった。

 

最終決勝(霜降り明星・和牛・ジャルジャル


和牛


どれも僅差だったが、一本目より二本目が面白かったのが和牛だけだったような印象。川西のババア演技がムカついて好き。


総評


なんとなく小粒な大会だった。


気になったのは、優勝した霜降り明星もそうだし、ミキとか、若くて腕のあるコンビが、ボケを気持ちキャッチーにして、(おそらく)あえて大衆に迎合した漫才をしてるんではないかと思えた点。
それがウケる世の中だから仕方ないが、どうせM-1決勝まで行ったんなら、本来持ってるはずのフルスイングの発想で勝負してほしいなと、そんなことを思ったおじさんでした。

あ、あと上沼恵美子の極端な採点が、けっこう決勝3組残るかどうかのとこに影響したのがちょっと迷惑だった。

 

最後に、さりげなく先週金曜日の更新をサボったことを記録しておく。


じゃ、おやすむ~ッ!!

 

 

私は出がらしなのだろうか?

どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。

近年の悩みは、「私は出がらしなのだろうか?」ということ。

とにかく、やる気とか活力みたいなモノを感じることが減り、常になんとなくモヤモヤしていることが多い。

元来私は、(デキる人ではないようだが)動ける人なんだと思う。

でなければ、十代で死体のTシャツ屋をわざわざ原宿で始めたり、高円寺というキワキワの街の中でもう一歩半ほどキワをいくようなカフェを飲食未経験から始めたりしないような気がする。

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失敗を繰り返しているのは特に気にならない。

気になるのは、やる気?意欲?熱量?そんな類の情動が年々湧き上がってこなくなっていること。

それを「老い」と捉え、「動ける人だった。デキないけど」と過去形にしてしまっていいのかということ。


自分に疑念を感じる理由が、二十年以上私を苦しめ続けた坐骨神経痛の存在だ。

もう治らないと思いながらも、様々な対処をし続けていたところ、ここにきて劇的によくなっている。

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意欲低下と坐骨神経痛の慢性的な痛みしびれは、私の実感としてほぼ間違いなくリンクしている。

ということはつまり、このまま坐骨神経痛の症状がよくなり続ければ、意欲低下も解消されるのではないかということである。

今のところ、なんとな~く心が軽い日が増えているような、そんなこともないような、そんな毎日。

そこでまた問題。

もし再び私に、やる気元気勇気の情動が沸き起こった時に、再び不死鳥のように死体Tシャツ屋を始めてしまうのではないか?!というのがひとつ。

はたまた、やっぱりこのままずっとモヤモヤし続けた場合、子育てを終えてからのおおよそ70年(今の調子でQOLを追求し続けていれば人生100年時代と言われる現代、私なら120歳まで生きかねない)を出がらしのまま生き続けなければならないのか?!ということ。

個人的にどちらがいいかと言われれば、やはりやる気が湧いてくる人生がいい。(※が、父親としてはモヤモヤしていようが健全な家庭の維持の方が大切だろうとも思う)

だから私は、毎日毎日「今日こそやる気が湧いてくるんじゃないか」とモヤモヤした日々を過ごしているのである。

じゃ、おやすむ~!!