新型コロナで不信や不安も感染する《日記#012》
2020年3月31日(火)
一人世帯は15万、複数世帯は一人当たり10万。
必要ない世帯には税負担を軽くする。
やるなら、これで一ヶ月がっちりロックダウンでよくないかい?
今の状況見てたら、コロナ終息して社会が元通りになるなんて多分もうないんだから、これまでの常識で経済がどうとか言ってる時じゃなくないかい?
土日外出しないでね、平日働いてもいいけど。
平日縛られ休日縛られ。
お店行かないでね、やっててもいいけど。
行くなって言われてんのに店開けさせられ。
こんな安倍コベ(うまい!)続けてて収まるかい?
いつまで続けりゃいいのかい?
コロナが収まる前に人間が爆発するんでないかい?
さすがにみんな気づいてきた。
こんだけ矛盾してちゃ国を信用できない。
国を信用できないから不安になる。
新型コロナが、ウィルスだけでなく不信や不安も感染させているようにみえる。
志村けんが冗談みたいに死んでしまった《日記#011》
2020年3月30日(月)
志村けんが死んだ。
冗談みたいだ。
本人もまさかコロナで死ぬとは思ってなかっただろう。
誰もが「自分は大丈夫」だと思っている。
有名人がコロナに感染。
そしてそれが志村けん。
その志村けんがコロナで死んじゃった。
みんな、グッと「自分事」にさせられたはずだ。
私も少し考えが変わった。
自分は重症化しないだろうからと、別段なんの対策もなく今までと変わらない生活をする(※外出自粛はした)。
「自分にとっては無害なウィルス」に感染している無自覚な自分が、自分と接した誰かの命を危険にさらし、最悪奪うことになるかもしれない。
より身近な人がその相手になる方が自然だ。
自分にとってなんともないことで死んでしまう人もいる。
自分が死ぬことはもちろん怖いが、自分が誰かの死のきっかけになり、それを背負って生きていくことが怖い。
志村けんで言えば、たとえば自分がADで、普段は口をきくことさえままならないのに、たまたまエレベーターで一緒になった時に、マスク姿の志村けんが労をねぎってくれて、初めてまともに言葉を交わした。
その後、自分の家族からコロナ感染者が出て、あの時の(マスクもしていなかった)自分にも感染していた可能性が極めて高いことが判明。
なんてことになったらって話。
そんなワケで、図書館に予約の本を受け取りに行く時と、ライフのレジではマスクをしておこう。
つーか、それ以外人と近距離で正対する機会がない。
つーかつーか、客対応のリスクって半端ないな。。
外出自粛で手作りピザ《日記#010》
2020年3月28日(土)
外出自粛要請の中ではあるが、というより自粛の中だからこそ、早朝に子どもたちと公園に行った。
私はうんていが好きだ。
うんていをやると、日常生活では使いたくても使えないような肩回りの筋肉がゴリゴリに使われる。
その感覚が気持ちいい。
小学生以来うんていしてないわって人はぜひ一度やってみてほしい。
何十年ぶりの一発目なんかは、むちゃくちゃキツくてバッキバキになること請け合いだ。
お昼は、思いつきで手作りピザ初挑戦。
生地をホームベーカリーで捏ねてる間に、トマトソースを作り、トッピング(チーズ、ジャガイモ、たまねぎ、チキン、マヨ)を用意。
じゃがマヨチキンピッツァの完成。
上出来だ。
焼き時間と温度、薄力粉と強力粉の比率など、生地の食感さえつかめればそれなりのものにできるだろう。
元気ならこんなことをしてわざわざアップまでできる。
窮屈さを感じるかと思っていた外出自粛要請だが、むしろ開き直ってのんびりした時間が過ごせている。
殺そうとするから殺される《日記#009》
2020年3月27日(金)
この土日は、お料理とか、お掃除とか、そんな感じで過ごそうかと思っている。
果たして帰りのスーパーになにが残されているだろうか。
しかし、カップ麺ばっか食いながら、感染を怖がって除菌しまくったり、マスク奪い合ってるって、私にはトンチ話としか思えないんだが。
自ら免疫力を下げる生活を続け、ウィルスを招き入れるかのごとく除菌して常在菌を殺すくせに、ペラペラのマスクで守ろうとしてるって。
「ウィルスと戦う」とか「ウィルスをやっつけろ」っていう、敵扱いにもすげー違和感がある。
人間もウィルスも、目的は生存であって、目指すべきは「殺し合い」でなく「共生」。
地球に共に生きる仲間だ。
人類の知恵があれば「共生」のバランスをとれるはずなのに、なにがなんでも皆殺しにしようとするからこんなことになっちゃう。
見えない命を軽視してきた人類の驕りとしかいえない。
なんだか、(受付の陰から)カッコつけたことばかりのたまい過ぎたようだ。。
それでは、よい終末、、でなくて週末を!
もしもビルの受付係が総理大臣だったら〜《日記#008》
2020年3月26日(木)
昨日の日記どおり、半額ブルーベリーと皮なしレモンのクリームチーズパウンドケーキを焼いた。
今晩のデザートだ。
リクエストも頂いたことだし、映えるようなら明日の日記にアップしよう。
コロナの話。
(トータルどんな人かは分からんが)海外のリーダーたちから聞こえてくる力強い言葉に、ちょっとした安心をおぼえる。
一方、日本のリーダーたちは各方面への忖度とか、「よその国がこんなこと始めたからこれぐらいまではやっとかないとな」とか、トップなのにやらされ感の漂う対応ばかり。
見えないところでは都合よくコントロールしようとするくせに、自分の言葉で大衆を動かすことはできない。
やることはざっくりふたつあると思う。
まずは、より多くいる平均層(からうっすら底辺層)を救うための分かりやすい手をドカンと打つ。
それによって、現実としても精神的にも(ささやかでも)安定を感じさせる。
それから、高齢者をはじめとする生命を脅かされやすい層をきめ細やかな対応で救っていく。
今は、世界全体が「最弱(言い方悪くてゴメン)」に合わせた制限を強いられている状況で、大多数の平均層に日々フラストレーションが溜まり続けている。
医療現場でのトリアージ(重症患者優先)の考え方が浸透してきたためか、まず明確に弱い命から救いたくなるが、多くの平均層も同じだけの「見えない不安」を抱えている。
結果重症だろうが無症状だろうが、抱える不安は同じようなものなのである。
このままだと最弱を救うために、ただでさえ余裕のない平均層まで共倒れになるのではないだろうか。
そのためにも、より多くの人に少しでも「安心感」を与えることをまず始めにやろうと思う。
私が総理大臣なら。
半額ブルーベリーと皮なしレモン《日記#007》
2020年3月25日(水)
今日は元気。
半額のブルーベリーを見つけたので買った。
国産レモンが2個で150円だったので買った。
レモンの皮は、昨日ぬか床に入れた。
今のところ、家族からは(まさに)鼻つまみ者にされている「ぬかどこくん(5歳息子命名)」だが、私はあきらめていない。
私の頭の中にある、「キラキラ眩しい笑顔でぬか漬けをつまみ合う家族」の風景が、いつの日か現実になることを信じている。
半額ブルーベリーと皮なしレモン。
早めに使いたいので、帰ったらなにかスイーツでも作ろうと思う。
ブルーベリーとレモンのクリームチーズパウンドケーキなんてどうだろうか。
元気ならこんなことをしようと思える。
そうありたいから、健康を追い求める。
手のかかるものは作らないが、シンプルなスイーツ(チーズケーキやプリン、スコーンなど)であれば、そこら辺で売ってるのより安全でおいしいものが、私には作れる。
元気でないと、「あまりおいしくないぬか漬けには迷惑顔をするくせに、スイーツなら喜んで食べる家族」に不満を感じる。
そうありたくないから、健康を追い求める。
ぬかどこくんを見ていると、まるで自分自身を見ているかのようだ。
不遇な時にどう扱われてきたかは、いつまでも忘れないだろう。
なんか、意図せず家族を「欲望の権化」かのごとくディスり気味になったことを反省し、最後の一行で帳消しにしたい。
※この日記はフィクションです。
「価値観は否めない」を否まない《日記#006》
2020年3月24日(火)
なんか急にくたびれている。
世の中の状況もあるだろうし、ずーっと家にいる子どもの様子を気にしたり、なんかしら余計に神経使ってるのかもしれない。
あと花粉か。
明らかに困る症状が出てなくても、体の内外の炎症はあって、それが心身を消耗させる。
いつも通り寝てもまだ眠いってのも、花粉の時期ならではな気がする。
しかし、花粉症は(薬以外で)必ず治るものだという確信はある。
もちろん自信が確信に変わっている。
私はいつまでも訴え続けたい。
松坂のコレと、セロリの「価値観は否めない」っつー日本語おかしいだろって。
本人インタビューで「使い方間違えました!タハハ!」みたいのがないかなとググってみたところ、「『人それぞれ違う価値観』は否定できない、と解釈できるしなんなら私はそっちの方がいい」というファンのブログを見つけて、思わず「ぺこぱかッ!」と髪を振り乱してツッコんでしまった。
私も「傷つけないブログ」を目指そう。
ふぉれの名ふぁ、ふぁやし、、ひゃすむだ!
まさよふぃ、すまなひぃ!
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やっぱりなんか疲れが出てるな。。
不可能を可能にした男《日記#005》
2020年3月23 日(月)
日記のつもりで書き出したものの、ちょっとダラダラ書いてしまったので、日記とは別にそれはそれとして週のどこかでアップしよう。
日記はよりかんたんに。
3連休明けの月曜日。
最近は心も体もまずまず調子がいい。
昨日は、買った砂利をホームセンターの軽トラを借りて家まで運ぶという、初めての体験をした。
ペーパードライバーだった一年前の私にはできなかったことだ。
四十を過ぎて「不可能を可能にした男」と言い切っていいだろう。
子どものポテンシャル《日記#004》
2020年3月22日(日)
栃木県の山っぽい公園に行った。
いつもはたいていへこたれる、というか、体を動かすことにあまり意欲を示さない娘(9歳)が、上の方にあるすべり台に「行きたい!」と。
体力的にも息子(5歳)はしんどそうで、途中でグズり気味になったが、お姉ちゃんの持つ長い木の棒につかまって歩くことで、遊びに変換。
目的のすべり台まで楽しく到着。
あまり時間もなかったため、何度かすべって帰り道。
姉と弟ふたりで、下り坂を楽しそうに駆け抜けていた。
普段からすると、軽く10倍以上の運動量で「こんな体力あったんかい」と。
気持ち次第で「できること」が変わる。
いかにナチュラルに、心の中の「やりたい気持ち」に触れる機会をつくってあげられるか。
ゆっくり流れる時間がいい《日記#003》
2020年3月21日(土)
草むしりをした。
ただ目の前の草をブチブチとむしる。
頭ではこういうのがいいと分かっているし、やってみても実際いい。
新型コロナの影響もあるのか、近所がやけに静かで今の家に来て初めて時間がゆっくり流れているのを感じた。
都心からちょっと離れた人の少ない場所なんかで時々感じるやつだ。
時がゆっくりと流れるポカポカ陽気の中、無心で草をむしり、背中越しに時々、数日前に乗れるようになった自転車でどこか誇らしげな空気をまとい息子が通り過ぎる。
こんな日々をより多く過ごしていけたらそれがなによりだ。