私の体調

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「世を忍ぶ仮の姿」だと思いながら働き続けて四十過ぎ

 さてとポテト。

私基本的に、望まぬ労働をしてる時ってのは「世を忍ぶ仮の姿」だと思ってるんです。

昔からずっと。

コレの時とかはモチロン。

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自分の趣味とか好き嫌いとか、なるべく「個」を感じさせるような感情を抑えて。

するってえとしかし、本来の自分ってどんなんかなと。

家族を除けば、学生時代の友達といる自分ってのは、自分らしい自分なんですよね(※他にもそんな相手は数名ぐらいはいる)。

それで面白いのが、べつにたいして仲のよくない友達でも同級生という関係性があるだけで自分でいられる感覚がある。

なんなんでしょうね、共に過ごした学生時代という履歴を共有してるからなんでしょうか。

なんか、みんなそんなもんかもしれませんけど、なかなか社会に出て素の自分でいられる場所がなくて、一体オレは誰を生きてるんだ?みたいなことを、オジさんになったって思うんですよね。

ず~っと「世を忍ぶ仮の姿」じゃねーかって。

これってしかし、やりたいことで食えてればいいのかっつーと、そんなこともない気がするんですよね。

バッティングセンターの時と、カプセルホテルの時は、素の自分でいられたんですよ。

いやバイトね。

しばらくの間、ものすごくどーでもいい話失礼しますよ。

バッティングセンターの時は、初めの頃に息子と母ちゃんでバイトに入る親子がいて、息子が(バイトだけど)店長。

自分らだけサボったり地味に遅刻したりすんのを他のバイトと共有しなかったりとか、あと普通になんか気持ち悪かったので、私主導で本社の偉いオバさんを説き伏せて追い出して以降は、すっかり居心地がよくなって。

私史上では帰りの遅い仕事でしたけど、そんなイライラとかもなく、仕事のことを考えると憂鬱になるとかもなく、ナチュラルにいられたんですよね。

いやそれでもなんだか鬱屈としたものは抱えてるんですよべつに。

カプセルホテルの受付(受付好きだな!)の時も、なんか自然と自分でいられました。

カプセルホテルとビジネスホテルが半々になってて、カプセルはバイト、ビジネスは社員がフロントなんですけど、バイトも社員も、なんなら客もみんなロクでもない感じで、なんか気が楽になるっつーか。

社員2名バイト2名で一晩。

思い出話でもしましょうか。

〇リさんってハゲたいつも死にかけみたいなジイさんがいて、個性派揃いのメンツの中では控えめな存在なんですけど、口癖があって、フロントで立ってる時によく言うんです。

「そういうことかぁ・・」

って。

不意にしょっちゅう謎を解くんです。

でもその前後のことは言わないし、誰も聞かないっていう。

客が途切れた夜中のホテルのフロントで、「そういうことかぁ・・」が、時報のごとく繰り返されます。

そんなモ〇さんが、ある日急に具合が悪くなって、明けまでカプセルの一室(従業員は奥の方の空いてるカプセルで仮眠する)で寝てたんです。

なんかずっと唸ってるし、本当にこのまま死ぬんじゃねえかと思って、水買って枕元に置いて帰ったの。

「お供えかよ!」って思いながら。

そんで次の日行ったら、どっかの端っこによける感じでその水が置かれてて「どうせなら死ねや!」って思ったっていう、特になんでもない思い出。

なんかねぇ、カプセルのバイトはそんなんばっかりでしたねぇ。。

一体なんの話してるんだか分からなくなりましたけど、なんでしたっけね。

あーそう、原則「世を忍ぶ仮の姿」である望まぬ労働でも、素の自分でいられる場合もある、みたいなこと。

思い当たる共通点というと、、う~ん、なんでしょう。

話してて楽しい相手がいるかどうか。

イヤなんか違う。

勝手に自分の話をしてきて、それが面白くて、こっちも自分の話をして、それをまた他の人に面白おかしく話してくれて、全体的になんとなくつながりを生むような、そんな潤滑油的な存在の人がいるかどうか?

その前にまず、話をせざるを得ない環境があること。

うーん、まぁそんなにビタッとはこないけど、そんな感じだろうか。

前に書いた、バッティングセンターの時のKくん。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 (※その後、ダウンタウンの番組に出演!おめでとう!もう引退していいゾ!)

カプセルの時は、(今も多分)売れないお笑い芸人のSさんって人がいた。

本題とは関係ないけど、2人とも日常の会話は面白いのに、ネタになるとものすごくフツーになっちゃうんですよね~。

いやまぁ、舞台に立ってネタをやること自体が尊敬の対象ではあるのでアレですけども。

えーっと、なんだかよく分からなくなってきましたけど、なんの仕事にしたって初日から居心地がいいワケなんかなくて、結局のところ「コミュニケーションの深まり」みたいなことなんでしょうかね。

コミュニケーションに長けた人がそこにいるかどうか。

私自身、断然それが欠けた人なので、運良くそういう人が近いポジションにいなければ、どこであろうと「世を忍ぶ仮の姿」でい続けるしかない、っていうことなのかなと。

そう考えると、KくんとSさんに感謝の念が湧き上がってきた。

思えば学生時代の友達でも、そういうタイプの人間のおかげで、私の数少ないつながりが保たれてきたように思う。

つまり、「人と人とのつながりがあってこそ自分が自分らしくいられる」ということなのではないだろうか。

急にマジメに終わりましょう。

って、終わりかけになんか仕事の一覧みたいの書いたなと読み返してみると、テレビのADの時もまあまあ自分でいられましたね。

suzukiyasumu.hatenablog.com

でもまぁ、十代ってちょっとなんかベクトルが違いますわ。

カムバック若さ!!