私の体調

私の体調を世界にお届け!

これからの人生の立ち向かい方が見えてきた

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 月曜日。

混沌とした世界にナーバスになっている繊細な私がいる。

そんな中、あーだこーだ考えを巡らせて、なんとなくこれから先の人生の立ち向かい方が見えてきたので吐き出しておこう。

いやね、まずとにかく「思ってるより人類の先は短い」だろうってことですよ、やっぱり。

今回のコロナでも日々実感するし、(話が長くなるのでサクッと書きますが)二酸化炭素削減ももちろん大事だけど、亜酸化窒素(主に燃焼や化学肥料などの人間活動から発生するガスで、大気中に100年とどまり二酸化炭素の100倍の温室効果があるとされる)も地球温暖化の大きな原因なんじゃないかみたいなのを知ったり、はたまた、人為的な要因よりも太陽活動の周期やら宇宙線の影響(もちろん私はよく分かっていない。)の方ががはるかに大きい、みたいな考えもあったり。

あと、グイッとオカルティックムードを漂わせますが、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの話。

あの方、宇宙人に会ったことある的な人で、ある時UFOの中に連れて行かれて、中に貼ってあった「地球カレンダー」の残り枚数がやけに少なかったので宇宙人に聞いたら「そこで地球は終わりだから」って言われたんですって。

でその残り枚数、あと十数年とかそんなレベルの話みたいです。

ってまぁすんなり信じられる話じゃありませんけど、残り十数年ってのは今の地球環境の中にいると全然あり得る話な気がしません?

とか、今の新型コロナコロコロパニックの中でそんなんをポンポンと仕入れてしまいまして。

終わり方としては、真綿で首を絞めるパターンが現実的なんだろうなと。

未知の脅威の頻発により、「カオス感溢るるパニック状態」みたいの(要は今のもっともっとヒドい版)が終わりなく重なり続け、争い、裏切り、略奪などなど数々の人間の醜さを目の当たりにしながら、失望だけを抱えて弱い順にバタバタと死んでいく。

からの「人間の証明のテーマ」(エンディング曲)ですよ。

おーコワいですねぇ。。

とまぁ、とどまることを知らない私のネガティブイメージはこのくらいにして、だったらどうしていこうかってのが本題です。

おそらく、これまで当たり前にしてきた「普通の暮らし」ができる残り時間は思ってるより少なくって、いろいろ制限されたり、生命を脅かされるような、今より厳しい状況が増えていくでしょう。

なんなら、今もう始まってて、これからは「なにかしらの脅威」に晒されながら生きるのが「常識」になっていくのかもしれません。

私は、持ってせいぜい次の世代までだと思ってます、地球。ってゆーか人類がまともに暮らせるの。

となると、この貴重な時間をどう過ごすかにかかってくるワケですよ。

私の行き着くところは結局「健康」。

怠惰の方向に舵を切るという選択は、私の中にはありません。

なぜなら、私の主たる役割は「父であること」だから。

そう、ビルの受付係であることなんかよりも、なんなら私が私個人であることよりも、「父であること」がなにより最も重要な私の存在意義なのです。

健康を守ることで、いかに心地よく本来の自分で生き続けられるか。

それを子どもたちに残していくことが私の使命と感じ、ちょい前に健康サイトを起ち上げたワケなんですが、、いや実際やってみるとちょっとしんどいですわ。

なんでしょう、筆が進まない。

そんなことで、生き方と共にブログの在り方もまだちょっと模索中!

じゃ、おやすむ~!!

桶田(フォークダンスDE成子坂)が自殺じゃないことがハッキリしてスッキリした

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 風で飛ばされそうな木曜日。

桶田の訃報からなんとなくどんよりしていた心が、ようやくスッキリしました。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 爆笑問題太田が「爆笑問題カーボーイTBSラジオ)」内で桶田について語ってくれたからです。

www.sponichi.co.jp

私の最大のモヤモヤとして、この件についての芸人さんたちのムードからしてなんとな~く「自殺」なのかなぁってのがあったんですわ。

「病」としか公表されず、誰も死因に触れないから。

実のところは「癌」だったそうです。

それ以上具体的な病状なんかは話してなかったので、さらに勘ぐって「でもやっぱり、、」みたいなことも感じながら聞いてましたが、最初に癌が見つかったのが、相方の村田渚くも膜下出血で急逝してまだ間もない頃だったそうで、その辺りのエピソードも併せてようやく受け入れられた感じです。

まぁしかしそもそも、すぐに公表されなかったり、死因その他諸々について芸人たちが多くを語ろうとしなかったのも、基本的には本人の意向が尊重されてのことだったようで、本人の「こうしてくれ」に、周りはなんとか合わせようとしてきたんたけど「やっぱムリ!」っていう、今回の流れも含めて「桶田敬太郎」を物語っているというか。

いやね、今ポッドキャストも聞いてるんですけど、ザックリと言えるのは、そもそもいわゆる「普通」のラインみたいなものが普通のとこにない人なんですよね。

本人的にはちょっとしたイタズラのつもりなんだけど、普通の感覚からするとかなり度を越してる、みたいな。

なので、「面白さ」という感覚においてはそのズレがうまいこと実を結んだけども、こと私生活の人間関係なんかにおいては、おそらく無数の「あらぬ誤解」を生み散らかしたんではないかなと想像できます。

「ナニ考えてんだか分からない」的な。

ポッドキャストで言ってましたけど、父親がものすごい無口で、自分もそれを受け継いでるって。

加えてカーボーイで「企画ライブのゲストに佐野元春を呼んでトークしたり歌ったりひと通りやるんだけど、偽物とも本物とも言わずおそらく偽物っぽいけどもしかしたら本物かもしれないみたいなまま終わって、そのままタネ明かしもしなかった」ってエピソードを聞いて、ファンとして、コンビ解散、芸人引退、音楽活動などひとつひとつに不可解さが残るのも、なんとなくその辺が影響してるんだろうなと。

「言わない方が面白くない?」ってのと、生来の無口が相まってのもの、みたいな。

まぁしかし、後追いながら当時の心境を知ってスッキリすると同時に、近年の様子からは(お笑いに向き合うという意味での)「再起」みたいなものも感じられて、無念だったろうなというところもあったり。

「お別れの会」的なものがあって、来てる芸人さんたちを前に「お父さんってこんなに有名人だったんだ」って息子が言ってたってエピソードにもほっこりしました(奥さんと息子がいることも知りませんでしたけど)。

で桶田は、息子に最近のバラエティ番組を見せず、ドリフばっかり見せてたらしいです。

そんなところで、引き続きポッドキャストを聞いていこうかなって感じです。

じゃ、おやすむ~!!

誰か桶田敬太郎(フォークダンスDE成子坂)のドキュメンタリー映画撮ってくれ

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

金曜日。

フォークダンスDE成子坂桶田敬太郎氏が亡くなっていたそうです。

www.daily.co.jp

テレビで活躍していたのがもう20年以上前とかなので、知らない人は知らないし、見てた人も忘れてるし、好きだった人もほとんど思い出すことのない存在になっていたことでしょう。

当時の私の中では、ダウンタウンバカルディの次に名前が出てくるぐらいの、そんな存在でした。

知らない人には「亡くなってしまったからこその過大評価」に聞こえるかもしれませんが、当時を見てるお笑い好きならまったく大げさでないことは分かると思います。

そんなコンビだったフォークダンスDE成子坂は、若手から中堅に落ち着きかける手前あたりの頃に桶田の意向で解散し、桶田は芸人引退。

「音楽(バンド)活動がしたい」っつースットンキョウな理由に、オイオイ・・となったのは私だけではないはず。

ウィキペディアを読んでみたところ、事務所とのモメ事がきっかけみたいなことが書いてありましたが、実際なんなんだかはよく分かりません。

一方、相方の村田は新たなコンビを組んだり、芸人として活動を続けるものの解散から6年後に35歳で急死。


こっからは私の雑感みたいなことになります。

とにかくまぁ本人がそうしたいんだからしゃあないんですけど、そのバンドってのがやけにダサくて、金谷ヒデユキを恨んだものです。

いや、金谷ヒデユキってのは同時期にいたギター芸人みたいな人で、たいして面白くもないんだけど、桶田と親交が深かったらしく、そのバンドも金谷と一緒にやってたんですよ。

バンド名が「The3cm」って、なんかもうハズしてるじゃないですか?

お笑いやめたんだったら、完全にそういうの抜きで音楽として質の高いものを目指すか、お笑い要素があるならいわゆる「お笑い」を超えた新しい形の表現とか、やっぱりこっちもなにかしら期待するワケですよ。

名前もtaroとかって、ンン??ってなるでしょ。

だからなんか、すべてを金谷のせいにしてましたわ。

大事な時期の桶田をそそのかして、ダサいお遊びバンド(決めつけ)に引っ張り込みやがって、って。

まぁでもそもそも本人、ファッションとか髪型とか見ても、お笑い以外のセンスはだいぶビミョーだったので、金谷にすべてをなすりつけるのもまったくの筋違いなんですが。

当時のお笑い界の風潮として「いかにして冠番組を持つか」がすべてみたいなところがあって、成子坂は解散前の数年間、もうふた息ぐらいのところでやや下り気味に停滞してる感じでしたか。

んで、(ホリプロの先輩)バカルディもまだまだ苦労してて、三村が金髪にしたり、名前カタカナに変えたりしながら一人リポーターで食いつなぐみたいな感じでした(※でも振り返るとああやって三村が汚れ役っぽくお茶の間にアタックし続けた結果の今ですよね)。

多分そんなんを見てて「俺らの番来そうもないな」なんてのもあったんじゃないでしょうかね。

印象に残ってるのが、中継先からのリポートみたいなので、スタジオから「どこどこのフォークダンスDE成子坂さーん」ってきて、桶田が「は~い!行きかけて落ちたフォークダンスDE成子坂でーす!」って。

そんなんで、解散自体はそれとして、なーんかこう、けっこう早くから地味~にツイッターやってたりするわりに、なんの変哲もないツイートするだけだったり、裏方として演出的なことに携わってるらしいけどなにやってんのか全然分かんなかったり、(全部本人の自由なんですが)どうにもモヤモヤさせられ続けました。

そしたら死んじゃってた。。

病死ってことみたいですけど、そこもそれ以上は公表されず、またモヤモヤ。

でね、ちょっとツイッター辿ってみたら、この2~3年あたりでかなり自分語りとかお笑いについてのツイートなんかもしてたみたいなんですけど、さすがに遅すぎたよな~と。

私みたいな一般人でこれだけ気になってるんだから、それまでの間にさんざんいろんなところで求められたはずで、それを断り続けてたはずなんですよ。

解散やら引退やらお笑いやらの核心を語る作業を。

ってまぁホント、なにからなにまで全部本人の自由なんですけど、な~んかね。

当時の芸人仲間ともあんまり交流なかったみたいで、結局ずっとなんとなくミステリアスな存在のままこの世を去ってしまいました。

これからしばらく、冥福を祈りつつここ数年の間に上げていたポッドキャストをゆっくり聴いてみようかなと思っています。

じゃ、おやすむ~!!

自然淘汰をリアルに感じる【新型コロナウィルス】

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旧型コロナこと田中邦衛

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

いい感じの水曜日。

新型コロナウィルスこと【COVID-19】が収束しません。

なーんか本当に、知らないこと、知ろうとしないこと、自分で考えないこと、こういうののヤバさばっかり感じますわ。

マスクしててもしてなくても感染する人はするし、しない人はしないんだってば。

マスクの行列にズル込みしたしないで取っ組み合いのケンカする元気があれば大丈夫だってば。

だいたい、人間という動物として「マスクしてないと不安」って、すでに退化っつーか虚弱化っつーか、(今に限らず)マスクをすることが常識になってる異常を異常と認識できてないことがコワいわって。

みんながやってるから当たり前、当たり前だから正しい、っていう謎理論。

それなりの事情がある人とか、残りHPの少ないお年寄りが不安がるのはしゃあないとしてね。

寿命の心配のない年頃の人らがなんで感染するかって、一番はテメーの腸内細菌(含め体内外の常在菌)をないがしろにした生活習慣の結果なんだっちゅーの!

だっちゅーの!

菌を笑うものは菌に泣くの。この後に及んでせっせと除菌シュッシュしてるヤツがいること、それを国が推奨してることが信じられない。

シンジラレナ~イ!

で多分そういうヤツは「この店は除菌シュッシュもないのか!」ってキレるんですよ。

キレてないですよ

おっとっと、こんなことするつもりじゃなかったんです。

さて。

私がすげー感じるのは、自然淘汰ってこういうことなんだなって。

シンプルに「生存に適さない人間から順番に死んでいく」。

まず、寿命の短いお年寄りが死に、次にそもそも病気のある人が死に、健康に無頓着だったりムリを重ねてる中高年が死に、慢性不調を抱え始める若い世代も死にってな感じで、子どもが最後。

japan.hani.co.kr

本当に大切なものが見えてきます。

「生命力(=健康)」よな。

学歴よりお金より、生命力。

まぁ学歴やお金で生命力を補完することもできなくないかもしれませんが。

なんかほら、インド人の感染が極端に少ないってのも理解できる気がしません?

積み重ねてきた歴史の差が民族単位で見えてくることにもホ~ってなります。

カレー(スパイス)のおかげって説がメインな感じみたいですけど、私ガンジス川もじゃないかなって思うんですよね。

実際のところムチャクチャ汚いらしい。

xn--5ck5a4gob177z170cgian33q.com

ガンジス川で沐浴しても病気にならない」ってのが、生命力のバロメーターっつーかね。

どんだけ不衛生な環境に耐えられるかが日常としてあり、そこにスパイスがまさにスパイスとして存在してる。

しかしまぁ、今後パンデミックで先進国の子どもがバタバタ死にだすなんてことになってくると、いよいよ人類滅亡が現実味を帯びてくる感じですかね。。

つっても、感染症では人間が絶滅するとこまではいかないみたいですけどね。

致死率の高いウィルスが広まったとしても、人間が死ねばそのウィルスも生き延びることはできないわけで、どっかの時点で収束するってのが、今のところの「ウィルス感染の考え方」のようです。

が、再感染が確認されたとなると、短期間で変異を繰り返し、そのうち「コロナの最後っ屁」みたいなの(※顕微鏡でよーく見るとちっちゃい田中邦衛が「コロナッ!」って叫んでオナラして息絶える)を放出して死ぬようになったりして、ウィルスと共に人類滅亡ってのもありえるかもしれません。

suzukiblog.com

さあさあ、これだけのたまいまくっといて、私がコロナに感染なんてことにならないように、マスクと除菌の徹底を心がけます!

じゃ、おやすむ~!!

ヴィレッジヴァンガードお茶の水店閉店に感じる人類の退化

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黒木香のワキ毛ステッカー


さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

水曜日。

泉沢さんの記事で、ヴィレッジヴァンガードお茶の水店の閉店を知りました。

www.izumisawasan.tokyo

20数年前、神保町の古本屋を巡っては「黒木香のワキ毛ステッカー」などのお宝バカグッズを漁り歩いていた頃に、その近くの路地の親子でやってた廃れ気味のやけにお茶のおいしいとんかつ屋でランチをしたあとたまたま入ったのが、ヴィレッジヴァンガードお茶の水店。

ちょっとした嬉しさとちょっとしたヤラれた感みたいなものを感じた記憶はあるが、あくまでも私個人の当時の境遇からすると、出会いのタイミングが少し遅かった。

そういうのにワクワクする時期をちょっと過ぎてしまった頃で、まぁ好きなお店ではあったが、さほど思い入れはなく、なんとなくちょっと妬んだ視線で、そこで働く変人(と思われたい)風雇われ店長や、そんな客をじっとり眺めていたぐらいだ。

本来そういう店は、自分のことを変人とも思っていない真の変人店長が自分の信じる「よさ」を、そいつのさじ加減で表現しつつ一人で切り盛りしてこそ、似たような変人感覚の客が集まって面白い店になるもんだろ、なんて思いながら。

あなんか、思い出語りになりかけてますね。

やめましょう。

私が言いたいのはね、ビレバンみたいな店をビジネスとして成り立たせちゃったとこが、もうゴールでありピークっつーかね。

私のように、「二輪教習中の稲葉さんの下敷き」をいつか出番がくるはずと宝もののように保管している人間からするとやっぱりヤワっつーか、まぁ必然でしょうけど大衆向けなんですね。

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一本橋チャレンジ中(決めつけ)の稲葉さんの慎重な表情と「B'z」の飾り文字のマッチング

当たり前のモノの中から異質なモノを見つけるからこそ面白いのであって、異質なモノが寄せ集められてちゃたいして面白くないんですよ。

でも、「あ、大衆がこういうものを面白がる時代になってきたのか」みたいなことは当時思って、嬉しい方の世の中の変化な気がしてたんです。

まぁ、私のビレバン観が最初から私の都合のいい方にズレているような気もしますけど。

で店舗がどんどん増えるにつれ、私の中での存在感はどんどん薄くなってって、現状特にどうという対象でもなかったんですけど、ついこないだレイクタウンかなんかにあった店舗をちょっと覗いたら、(泉沢記事でも書いてた感じで)まー深刻につまらんのですわ。

場所柄そんな商品展開にするしかないのかなと思ってたんですけど、今回のお茶の水店閉店で確信しましたね。

人類の退化を。

いや最近私の中で、空前の「退化」ブームなんですよね。

ここんとこあらゆるモノゴトをなんでもかんでも人類の退化と結びつけちゃうんですわ、私。

ビレバンのせいじゃないし、ビレバン的には戻そうと思えば戻せるし、本当は戻したいんですよ。

ただ、ビジネスとしてはそうするしかない(大衆の求めるモノを並べる)ってことになるんですよね。

人類の退化により、ビレバンビレバンのままでいることが許されない時代になったっつーことですよ。

まだ言いますけど、これもこないだのGoogle記事と同じなんですって。

企業が利益のために大衆に寄り添っちゃマズいんですよ。

大衆がどんどんバカになって、世の中全体が「バカに合わせた社会」になっちゃうの。

この先の、便利(ラク)とか分かりやすさとかって、慎重に受け入れないとホントにただ人間として劣化させられていきますから。

肉体的にも感覚的にも。

ちょっと思いついたので書くだけ書いときますけど、芸術家なんかでも、岡本太郎とか横尾忠則とか(草間彌生もいれときましょうか)みたいな、作品的にもキャラ的にもガツンとくるような若い芸術家が出てこないのも、なんか似たような要因を感じません?(※ふんわり思っただけでアートとかなんも知らずに言ってることですハイ)

「ほとばしるパッション」的なものが削がれちゃってる世の中みたいな。

エネルギーが枯渇してる。

ツイッターには(いい意味で)変な人いっぱいいますけど、現実社会では結局部屋の中にいる人ばっかなんだろうなとか。

こういうのも格差なんですよ。

当人にそんな意識なくたって、収まるとこに収まるしかないっつーかね。

大衆の立場に身を置く限りは、一部の「社会をコントロールできうる立場の人」にどうにでもされちゃう。

なんだかねぇ。。

そんな世の中で中途半端にここまで生かされてきちゃった身としては、今からでもなるべく無関係で生きるように努めるぐらいしかできませんけども。

まぁそんなとこで。

じゃ、おやすむ~!!

地球はバカになり爆発する

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

木曜日。

私は、高校中退のビルの受付係だ。

(だいたいのバカもそうであるように)自分のことをバカではないと思っている。

いやなにも、頭がいいと言っているのでなく、バカではないと思っているだけだ。

それでも、学歴や収入、資産で測られる社会の分類の上では私はバカとなり、他のバカではないと思っているバカではない人や、バカではないと思っているバカや、ただのバカとの共存が求められる。

そのことに別段不満はない。

そんな私がここんとこニョキニョキと不安を感じるのが、このまま行くとこの社会は、バカをだましごまかし、バカのゴキゲンをとり、バカの支持を得て、バカ最優先の仕組みを作り上げ、バカを心の中でバカにしながら寄り添い、最終的に爆発するのではないだろうかということ。

バカではない人もバカに歩調を合わせた『77億総バカ』の星となり、世界の中心でバカが叫び爆発する。

こないだ滅入っていたGoogle検索にしてもそうで、Googleはユーザーの行動を元にアルゴリズムを変えていくらしい。

Googleに見えているユーザーとは「数字」だ。

ってことはつまり、数だけ多いバカがバカな検索をすればするほど、バカなサイトの価値がバカみたいに高まる。

ほら、バカの価値観で社会が決まっちゃうの。

頭のいいGoogleは、難儀な価値づけに立ち入らず、「価値を決めるのはユーザー」なんつって、バカの行動の責任をバカに背負わせる。

バカは背負わされた背中の荷物に気づかない。

世の中全部だいたいそんな感じになってる。

なんでもかんでも安くしろと血眼になるバカに応えて、頭のいい利己的な社長たちがバカを使って安く作ったものをバカに売る。

安いだけで(害はあるけど)栄養のない食べ物を食べ続けて、いつの間にか『心ゾンビ人間』になってもなにも気づかない(※余談だが、とあるサプリメントの扱いから、日本は国ぐるみでただ働くだけの『心ゾンビ人間』を意図的に量産してるんでないの?的なことを、前記事でコッソリ告知した私が始めた健康サイトの記事に追記した。けどもうリンク消しちったかんな!)。

菌と共に生きている意識もなく、ただやみくもに除菌殺菌を繰り返し、感染が拡大したらマスクを求めて大パニック。

除菌した方がいいのはあなたたちの心なのではないだろうか。

「社会の常識」は「バカの生き様」だ。


さてさて、ずいぶんトゲのある記事に仕上がってしまいましたが、ここにきてなんだか一人で悪ノリしてるような気分になってきました。

次から気をつけます。

それから、なんとなく最近ネガティブっぽい雰囲気を漂わせていますが、実はすこぶる快調です。

好転反応みたいな感じで、心にこびりついていた悪いものがはがれて排毒されているのかもしれません。

いずれにせよ、安易に大衆の意(基本怠惰の方向)に沿ったり、不都合を隠して経済を優先させるようなことを繰り返していれば、そのうち本当に地球はバカの星になると思っています。

で、爆発です。

じゃ、おやすむ~!!

ブログのシフトチェンジ

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

日曜日。

前回記事のような気分で、まあまあブログに萎えてます。

suzukiyasumu.hatenablog.comブログって基本ネガティブな作業というか、(多少労力は感じつつも)書くことで『日々すり減る心をちょっと埋められる』ぐらいのもんなんです、私の中では。

あ、雑記ブログの話。

でまぁ、おまけとしてアクセス数とか、読んでくれた人の反応があるって感じ。

続ける中で積み重なるものもあって、こんなんが求められるならもうちょいこういうの書こうかなとか、多少なりとも検索されるんであればお役立ち記事っぽいのも書いとくかなとか、そういう自然な心の動きの中で一層ずつ重ねてきたものが知らず知らずモチベーションになってたりもするんだなってのに気づかされたというか。

この「個人の発信に価値はない」的な流れが続けば、日毎にGoogle検索に乗らなくなっていくワケで、届いていたであろう人たちに届かなくなっていくし、積み重ねても意味がないってのは、やっぱやる気失せますよね。

そうなると、こういう『吐き出し系』みたいな更新をするか、それをしたくないとなれば黙るしかなくなるっつーかね。

なんかそんな感じで更新が途絶えてる人、多いんじゃないでしょーかッ??

って、はてなブログに関してはそんな感じで、受付という制限がある中だから書いてるみたいなここんとこです。

もう一個の『生きづらいいとも!』。

こっちはこっちで、そもそも権威性だ信頼性だでカバーしきれてないと感じるからこそ、一当事者として有益なコンテンツにできるんではないかなってな気持ちで(やってるかやってないか分からないぐらいのペースで)やってるワケです。

でまぁホントに、カメのように歩み続けて、地道ながらもここんとこようやく「どこかの誰かの役に立ててる感」を少しずつ実感できるようになってきてたところに、ガクンとGoogle変動。

ようやく変動の影響を受けられるようになったとも言えますが、まー萎えますわね。

このサイトをこっから改めて、困ってる不特定多数の人の元まで届けるってのは、正直もうしんどい気がしてます。

ま、書きたいことがポンッと出てきたりもしますんで、べつにやめようとは思ってないけども、積極的に取り組める感じはないかなと。

なんか負け惜しみっぽいですけど、すげー自分に役立ったのでムダだったなんてことはまったく思わないですし。

ただね、子育ての中、限られた自分の時間を割いてきたのには、月に数万円(あわよくば二桁とか)にでもなったら先々の定期収入になるかなとか、そういうコンテンツを持つことが自分自身の向上やら可能性にも繋がるんじゃないかとか、自分なりの言い訳みたいなものがあったりして、そういうのがないなら、常に全力で子どもの遊びに付き合うとか、もっと妻のゴキゲンをとるとか、(子どもによりよい教育を受けさせるためにも)もうちょいまともな仕事らしい仕事に就く努力をするとか、他にやった方がいいことなんてのはいくらでもあるワケです。

まぁそこは、私自身が「日本の教育の中でちょっといい学校に行くぐらいのことでしあわせに生きられるなんてことはない(そのために子どもの時こそ必要と思える家族の時間を削りたくない)」と思っちゃってたり、学歴とか実績を積むとかスキルアップみたいなことに乗ってこなかった以上、仕事は必要最低限の対価を得るものとするしかないっつー現実があったりもします。

なんかずいぶんゴチャゴチャと書いてますねぇ。

そんなんでね、自分の身の丈も踏まえると、どこかの誰かの役に立つより前に、家族や身近な人のためになりたいな~なんて思うワケです。

『生きづらいいとも!』からの延長で、「なんだかんだいろいろあるけど、なによりまず健康!」ってのに行き着いて、いつの間にか私の中の「一般的ではない(けど確かっぽい)健康知識」がなかなかのものになってる気がするんですわ。

だからね、『健康』系のブログを始めようかなと。

こんだけウダウダ言いながらまたやるっていう。

いやね、PVだ収益だ言い出せば、よりデリケートなジャンルになりますから、私の作業量じゃやるだけムダってことになるんですけど、まず「ちょっと先の子どもや妻のため」と考えたら、やっておきたいことになるワケです。

もうね、アレやれコレやれじゃ、子どもも妻もだいぶ聞く耳持ってくれない感じになってきてますけど、一般常識的な食生活を続けてたら、まずまちがいなくそのうち変な不調が出てくる(そしてその不調になんとな~く人生全般を煩わされる)ってのが私にはもうハッキリと見えているので、やっぱちゃんとしときたいっつーかね。

ちょっとググったぐらいじゃ『権威性のある常識的な情報』しか出てきませんので、これからますます辿り着けない『権威性はないけど確かめる価値のある情報』として残しておくだけ残しておきたいなと。

「パパは健康健康うるさかったな」なんて記憶だけで語り継がれても不本意ですからして、死んだあとでも「これ知ってよかったぁ」って思ってもらえるように(いや生きてるうちの方がいいですけど)。

でまぁ、そんなに頑なにそう思ってるワケでもないんですけど、『林やすむ』として残してきたものとはなるべく切り離しときたいという気持ちがあります。

ってのは、情報としてリアルの誰かに伝えたい時に『林やすむ』としっかり紐付いてるとなにかと気になっちゃうので。

ま、『生きづらいいとも!』のサブドメインでやるので、そういうのちょっと知ってりゃ分かるんですけど、そこまでのことでなくてね。

そんなワケで、このブログを継続して読んでくれてるあなたっつーのは、私の中ではすっかり「身近な人」扱いですので、こういう話までしといて教えないのもアレですし、(まだひと記事アップしただけで他なんにもしてないですけど)一応URLとツイッターアカウント教えときます(※予告通り消去済みですが、消したあとに見た方、知りたがってくれるなら全然教えますので、メールなり下さいまし)。

ま、「健康とか気にしないで生きる方がしあわせ!」って人にとってはウザウザ情報でしかありませんので、華麗にスルー願います(※逆に言うと『林やすむ』トータルの人格としてはイチイチ言わないでいたことを言っていく感じになるのかなと思います)。

そんなとこで、前2週は業務の都合でしたが、これからしばらくは健康サイトに注力したいのもあって、(なるべく)週イチ更新ぐらいのペースになるかと思います。

じゃ、おやすむ~ッ!!

 

Google検索ってすげーつまらないモノになっていくんではないだろうか

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

木曜日。

近頃ちょっとブログにモヤッとしている。

いやね、なんか最近というか近年の流れ的に、検索上位の要件として「信頼性・権威性」みたいなものがずいぶんと幅を利かせてるようで、なんにせよ「公式ページ」とか、お偉い先生が監修してる同じようなことが書かれたページばかりが上位にズラズラ出てくる。

でなんか最近特に変わってきた感覚があるのが、それっぽいページがひとしきり並んだあと、そこからガクンと関連性の低いページになって、いかにもGoogleさんがとボケた顔で「あとはロクな情報ないからここらで引き上げてくださいな」って言ってるのが見えるんですよ。

その間にあったはずの、一個人の意見とか理解とか、経験とか、感覚みたいなコンテンツがごっそり抜けちゃったような。

ちょい前までもっと無数に出てきてた気がしません?

「どこの誰が書いたか分からない文章に順番付けて並べてあげるのも、いい加減しんどいんですよね~」って言ってますよね、Googleさん。

となるとですよ、この流れのまま進めば、「Googleで検索しても教科書とか説明書みたいな情報ばっかり」みたいなことになっていくワケで、コレ検索する側としてもされる側としても、相当につまんないモノになりませんか??

価値判断を放棄しちゃってるっつーか。

公式情報、専門家のお墨付き、なにかしらのきっかけで数字が集まったコンテンツぐらいですか。

まぁ、ジャンルにもよるんでしょうけども。

しかし、Googleが、「本質」とか「エモさ」とか「シュール」とか「緩急」とかそういうところの価値判断をしないorできない状況が続くのであれば、(いるのか知らんが)競合にとってはチャンスでもあるのかなとか。

若者のブラウザ離れ(それはそれで退化な気もしてますが。。)が話題になる昨今、『検索』という概念自体が新たなフェーズに向かうなんてこともあるかもなとか。

とはいえ、ブログがブラウザに依存するしかない限りは変わりませんよね。

そんなんでいうとnoteなんてのは、ちょっとイイとこ突いてるんですかね。だからこそ出てくるというか。

noteで言うとちょっと驚いたのが、ちょい前にルサンチマン浅川さんのnoteが面白いよって記事書きました。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 で、記事に書いてないですけど、そんな内容の他薦メールをすげー軽い気持ちでnoteにもメールしたんです。

はてなブログ」の記事を貼り付けて「note」にね。

そしたら、(自動返信みたいのだけでなく)人からお返事が来まして、「たしかにこうこうこうで興味深いですね。関係部署とも共有します」みたいな、ちゃんと読んで考えてるのを伝えてくれたの。

なんかやっぱ乗ってるサービスは違うなと思いましたよね。

(べつに悪口じゃないですけど!)はてなブログなんて、末端ブロガーがいくら心配したって、モチロンなにかしらのアクションはおろか、変わっていく気配みたいなものすら感じられませんもの。

まぁなんというか、よく言えば老舗感でしょうか。どっしりと。

でそんなことを感じつつ、はてなブログを見渡してみると、 Googleに測れない価値を「はてなブログ」というプラットフォームで相応に得られてきたであろう、中堅からトップクラスのブロガーさんたちから、なんとな~く黄昏ムードみたいなものが漂ってるような気がしてきたり。

ブログはストック型の作業だから、続けてれば少しずつでも積み上がっていくよなんつって続けてはいるものの、Googleのさじ加減ひとつで「個人の発信に価値はない」ぐらいの判断をされ、ここのところは積み上げ感もなく、むしろ積み下ろされだしてる、ってな具合に。

えーっとまぁ、だからなにってこともない話です。

ちょっと今週も業務の都合により、このひと記事になりますハイ。

じゃ、おやすむ~!!

真冬に半そで短パンの小学生はあなたより優れたホモ・サピエンスである

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 しとしと冷える木曜日。

受付の前の道路は通学路で、小学生がよく通る。

その中に、1~2%ほどの割合で『半そで短パン』の子がいる。

そういう、真冬に半袖短パンの小学生(や、Tシャツ姿の外国人バックパッカーなど)を見て、「ようやるわ・・」とか「寒そ~」なんて思ったりしないだろうか。

私はずっとそう思ってきた。

なんというか、ちょっとぐらいはやせガマンしてるんじゃないのかなと。

だがしかし、毎日行ったり来たりする半そで短パン小学生の様子や、長期的な自分自身の体調の移り変わりなどから、確信するようになった。

真冬に半そで短パンの人間は『優れたホモ・サピエンス』なのだと。

4人(全員男子)いる半そで短パン小学生は、全く寒そうにしていない。

なんなら、口をとんがらせて口笛を吹いていたりする。

我々一般的なホモ・サピエンスなら衰弱し死に絶えていくような(ズボンの下にタイツ、ジャケットの中にインナーダウン、ジャケットの上にドカジャンを羽織り、電気ホットマットを敷いたボロボロの事務イスに丸まりながらストーブに当たっていなければいられない)過酷な環境に置かれても、彼らなら半そで短パンで口をとんがらせて口笛を吹いている可能性が極めて高いということだ。

自然災害が激増する昨今、いつどうなるか分からない地球環境の中で、最終的に生き残るのは『半そで短パン』小学生だろう。

確信に至る理由に、 “長期的な自分自身の体調の移り変わり” も挙げた。

私自身、これでもこの十数年の自分の行いによって相当に寒さに耐えられる身体に変化してきた実感があるからだ。

十数年前、二十代後半の私は、寝る時に、ありったけの布団6枚すべてをかぶり、寝返りどころか指先ひとつ動かすこともままならないほどの重みの中でさえ、耐え難い冷えを感じ、足元に湯たんぽ、肩から首元にネックウォーマー的なおやすみグッズを装着し、エリマキトカゲの産卵を思わせる姿で眠っていた。

それでも歯をガタガタいわせるほど寒かった。

それが今、厚手の羽毛布団一枚で寒さを感じることなく安らかに眠っている。

共に眠る家族のぬくもりもあるだろう。

しかし一番は、この頃から今も続き、これからも終わることのない、QOL(Quality of life:生活の質)追求の成果だと断言する。

まずは銀歯の除去。

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これによって、青年期から体内に絶えず溶け出していたと思われる毒性の高い重金属(アマルガムやその他の金属歯科材料)の悪影響から逃れることができた。

それからは、加工食品、ジャンクフード、お菓子、ジュースなどを極力控えたり、調味料を見直したり、特に長期的に常食するものに注意を払うようになった。

同時に、玉石混交の健康情報を自らの嗅覚で選り分け、実現可能なもので有用と思われる手段を試し続けてきた。

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今、寄り道しかけている。

とはいえ、結論は書き終えている話、のんびり進もう。

『真冬に半そで短パンで口笛』までになると、先祖代々生きながらえ積み重ねてきたものを受け継いだ『運』が大きい。

もしくは、遺伝子の突然変異かもしれないが、それも運。

だが、『歯をガタガタいわせたエリマキトカゲの産卵』程度なら、自分自身の行いにより免れることができるのである。

私はこんなことが言いたかったのだろうか。

現代人は、冷え性だ便秘だ、高血圧だ低血圧だと現代病を現代人ぶって、さも自慢話かのようにおかしな常識を吹聴する。

私には、年老いたその類の現代人が、周囲に過度な負担を強いて、ムダに長い人生を終えていく様がありありと見える。

『真冬の半そで短パン』を見て、自分の常識だけを基準に、まるで変な人を見るかのようなリアクションをしてしまう現代人たちに言っておく。

あなた方は『真冬の半そで短パン』小学生よりも『歯ァガタガタ産卵エリマキトカゲ』よりも、はるかに劣ったホモ・サピエンスなのである。

じゃ、おやすむ~!!

※週2回の更新を課しているこのところですが、業務の都合により今週は今回のみの更新とさせて頂きます。

テンションの低い相手に対してテンションを上げて接する自分のクセに気づく

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 木曜日。

ふと気づいたので記録しておきましょう。

私って、声と収入とテンションが低いことでおそらくおなじみなんです。

声と収入は安定して低いんですけど、たま~にテンションが高くなってるというか、テンションを上げさせられてる時があることに気づきました。

どんな時かというと、相手のテンションが自分より低い時です。

無意識に、トータルテンション(今作成の新語。)のバランスを自分のテンションで調整して平均化しようとしてしまうみたいです。

具体的な心理としては、なにかしら気を使ってるんですよね。

「信用されてないっぽいかな?」とか「俺といるとつまんない??」とか、ゴキゲンうかがってる感じ。

なんか分かんないけど、接待させられてるような。

私の中では、テンション低くいられる側の方が優位に立ってる感覚があるんですよ。

どっしり落ち着いてテンション低く座ってるヤツの周りを、落ち着きのない犬みたいに舌出してハァハァいいながらじゃれつかされてるみたいな。

そもそもの立場が上とか下とかそういうことは関係なく、とにかくトータルテンション(トータルテンボスみたいでハジケきらない雰囲気が語感から漂っていますがもう一度使ってみました。)のバランスをとろうとしてしまうのです。

で、本来のマイローテンションでいられないことでくたびれるんでしょうか、とにかく、そういう時はなんとなく不本意というか違和感を感じている自分がいるワケです。

うわ、今気づきました。

娘(小3)に対してもそんな時がけっこうあります。

マイペースというか、なんとなくフワッとしてる感じで、(特に家では)あんまりキャッキャしないタイプの娘でして、傍から見てると「つまんないのかな?」って思っちゃうんですよね。

でなんか、こっちがちょっとテンション上げめに絡みにいくみたいな。

いやまぁ、だからなにってことでもないんですけどね、ここまで全部。

でもコレをはっきりと認識できたってのは、自分の中でなかなかの収穫な気がしてます。

自覚できていれば、今後同じような状況の時に、「あれ?いつの間にかテンション上げてるやんオイラ」なんつってなんだか楽しめるようになっちゃって、ゆくゆくはテンション高め、声高め、収入高めな男に生まれ変わっているかもしれません。

ってなことで、おしまい!!(※ハイテンションで笑っています。・・・あ、いえ、受付で真顔です。)

じゃ、おやすむ~!!