コロナ緊急企画「プロのおうちごはん」シリーズがいい。【プロフェッショナル仕事の流儀(NHK)】
【プロフェッショナル仕事の流儀(NHK)】のコロナ緊急企画「プロのおうちごはん」シリーズがいい。
ものすごくシンプルな材料と手順の中に、プロの工夫をちょっとだけ(にして)入れてくれるって感じ。
サンドイッチのパンを、ホットプレートにバターを溶かしてその上でカリッと焼くとか。
パンの表面ににんにくをこすりつけるとか。
丼のつゆにあげ玉を混ぜるとか(ザクザクしてからあげ玉は網のお玉で引き上げる)。
※網のお玉の様々な呼び名よ。。
贅沢にも、「プロ一人につき5、6分で一品(orニ品)」なのが、大変コンパクトで見やすい。
かんたんそう(に見えるの)でやりたくなる。
店の厨房や自宅で撮られていて、さりげないプロの所作や道具が見られるのも嬉しい。
ネットや本のレシピの「適量」は迷走の元になるが、目の前のプロの「これぐらいかな」が適量の判断基準になる。
いまんとこ、カレーとホットサンドとひとくちかつは作りたいと思っている。
オフィシャルサイトでレシピごとの動画が公開されてるので、一品チラ見ぜひとも。
やってみたくなるから。
私はたまたま第二弾を見たが、なんともう第四弾まで放送が決まっている。
Bスポット療法の痛みは歯医者と比較したらそれほど痛くなかった【慢性上咽頭炎】《日記#029》
2020年5月16日(土)
わざわざ、他人から見て最もどうでもいいであろう「私の体調」というタイトルにしたのに、結局「思ったこと」ばっかり書いてしまう。
それはそれで、私自身の心のデトックスになってはいるが、思ったことを書くと、同時に「どう思われるか」を気にしてしまうことにもなり、それがまたちょっとしたグッタリ感の材料になる。
だからやっぱり、できるだけ他人にとってどうでもいい「私の体調」を書き留めることを習慣にしていこうと思う。
さてとポテト、昨日はシダトレン(スギ花粉の舌下免疫療法)を止めて以来久しぶりの耳鼻科に行った。
ここ数日、右耳が塞がるというか詰まるというか、そんな感覚(耳閉感「じへいかん」というらしい)が続いたためだ。
それと、右の顔面辺りにむくみというか、麻酔が残ってる時のうっすらした麻痺感みたいのもある。
心当たりは「鼻うがい」。
私の体調を模索する中で、「慢性上咽頭炎」という症状に、ちょっとした怪しいムードを感じていた。
それ以外にも怪しいムードはいっぱい感じている。
慢性上咽頭炎に関する本の中でセルフケアとして紹介されていた鼻うがいを、ここ1、2ヶ月の間ほぼ毎日やっていて、耳閉感との関連を調べたところ、鼻うがいのやり方や直後の鼻のかみ方などにより、鼻うがいの水が耳に流れて中耳炎を起こす恐れがあるようだ。
健康のための模索が、出会わなくて済んだかもしれない病気につながる。
出会うはずのない二人が出会ってしまうなんて、ロマンチックじゃないか。
これだから健康追求は奥が深い。
と、ここまですべて私の推察に過ぎないため、いっぺんちゃんとお医者さんに見てもらおうということ。
耳の検査で異常らしい異常はなく、耳閉感の原因ははっきりしないが、慢性上咽頭炎ではありそうとのことで、不意の「Bスポット療法」スタート!
Bスポット療法(上咽頭擦過治療〈EAT〉ともいう)ってのは、鼻の奥のノドとの境目というか突き当りの辺りに、それ用の綿棒で塩化亜鉛液をコシコシこすりつけるという慢性上咽頭炎の治療法である(※保険適用だが、やってるとこは少ない。私がどこでやったかは、WEB上でリアルと結びついちゃうのがちょっと抵抗あるので、もし知りたきゃメールで聞いてほしい)。
相当痛みがあると本で読んでいたので、なかなかの覚悟をしていたが、全然想定内な感じだ。
歯医者の方がはるかに痛い。
親知らずの抜歯が10、神経削るのが7とするなら、綿棒コシコシは3ぐらいのもの。
もちろん、炎症の度合いによっても違うだろうが。
でも血はまぁまぁ付いてた。
鼻水と薬液もあるので真っ赤ではないが、濃いめのピンクな感じでまんべんなく。
こすることが大切だと言っていたので、そのへんの重要性を理解してしっかりコシコシしている先生だと思う。
先生曰く、「鼻うがいは風邪の予防ぐらいにはなるだろうけど、治すことは難しい」と。
コシコシ自体はせいぜい1~2分で終わるため、なおさら歯医者の方が負担が大きい。
だんだん歯医者に腹が立ってきた。
で、治療翌日から、耳閉感はなくなってる。
右顔面の麻痺感はまだうっすらある。
慢性上咽頭炎は、様々な不定愁訴的症状の原因かも?って感じなので、継続治療してたらなにかしらよい変化がありそうだ。
あー、耳が変になってよかった。
最後に、私の日記なんかよりもすげー具体的な体験リポート記事がこちら↓
その他、カンジダ除菌の記事なども大変参考になるゾ。
周りに合わせて生きてたら周りと一緒に死んじゃう時代《日記#028》
2020年5月14日(木)
さて、なんかもうコロナに飽きてきた。
ここまでされたあとだったら、図書館と公園とプールがある程度普通に利用できるようになるだけで、意外と困らない気がする。
あ、地方が「来ないで」って言うのも、お互いヤな感じになるのでやめてほしい。
あとはもう、一人ひとりが信じるものを信じて生きていこう。
手の消毒を正しい対策だと思ってやってる人が今これだけいて、減ることなくより強固な「新しい生活様式」になりそうな雰囲気。
マスクもねぇ、オッサンのくしゃみを浴びるリスクに備えて国民全員常にしてなきゃいけない勢いって。
社会ってやっぱコワいわ。
周知さえできてしまえば、不安だったり本能的な感情に触れることでコントロールされて、勝手に相互監視まで始めちゃうんだから。
なんか、その感情の振れ方も日本的で、同調圧力チックというかね。
みんなやってんだからやれっていう。
正しいかどうかとか、メリットデメリット並べた上でどっちがいいとか、立場による事情とか考えない。
この記事、フムフムってなるのでぜひ。
いやウン、でもアレが正しいとかコレは違うとかはひとまずやめよう(ひと通り言ったけどな!)。
自分が信じるものを信じて、その上でなるべく他人に迷惑をかけず、とはいえ意識過剰にならないように生活していくだけ。
周りに合わせて生きてたら、周りと一緒に死んじゃう時代になってきた。
でも正直、多くの人を苦しめる中途半端な対策が、(数字が当てになるものとして)ここまで感染拡大を抑えられていることには、ちょっとびっくりしてる。
日本に広がってるコロナの感染力っつーか致死力?が弱いのか。
日本人の体質や文化なのか。
対策どうこうよりも、偶発的な要因が大きいように思う。
この感じだと、今後の渡航制限の緩和がけっこうなポイントになるかもしれない。
にしても、日毎に感じ方が変化してくたびれる。
今ある感覚を頭がまとめる前に、次の感覚に上書きされてしまうような。
情報が多すぎる上に、世の中の変化が早すぎるからか。
しかし外で起きてることをイチイチ敏感に感じとって違和感感じちゃう人間の心と体すげーな。
家の中しか安心できない人類の居場所《日記#027》
2020年5月8日(金)
単調な毎日はツラい。
制約のない中で、自分を律して面倒なモノゴトに立ち向かうことの困難さを実感したゴールデンウィークだった。
今やらなくてもいいこと、なんならやらなくてもいいことをやろうとする時の腰の重さたるや否や。
ただただ続く緊張感のない時間。
そんな中では気分転換さえままならない。
私にできるのは、「米粉の抹茶スノーボール」を作ることぐらいだ。
とはいえ、「気分転換しよう」と思ってする気分転換は、たいした気分転換にならない。
あれほど忌み嫌っていた「仕事」という制約に、ありがたみさえ感じる今。
仕事に行くことが、適度な緊張感と社会とのかかわりを生み、無意識な気分転換にもなる。
自分にとってのよいことイヤなことは、自分の決定だけでなく、社会の在り方が変えてくれるものでもあると学んだ。
「家と公園とスーパー」。
こんな状況の中働かなければならない人のいるスーパーはともかく、せめて公園は「今までどおりの風景」であってほしい。
駐車場を閉鎖したり、遊具を囲って使用禁止にしたり、テントやレジャーシートを禁止することにどれほどの意味があるのだろう。
それにより生じる社会全体の閉塞感の方に敏感になる。
特に、なんの不具合もない遊具がつい立てやヒモでグルグル巻きにされている様には、「人間の過ち」を感じざるを得ない。
安心できる場所が家の中しかないとすれば、地球はもう人間の居場所ではないのだろう。
薄々気づいていても、地球を人間仕様に造り変えることをやめないのが、人間の愚かさだ。
まして、地球を使い捨てて火星に移住だなんて、この後に及んで他の星にまで迷惑をかけるつもりとは。
追伸
米粉の抹茶スノーボールは、「ウマ~」ってなるほどのものではなかったが、かんたんでトリッキーな見た目がイイので、別バージョンでまた作ろうと思う。
ラーメンとモチベーション《日記#026》
2020年5月3日(日)
料理が息抜きになっている。
このラーメンは料理というほどの手間もないくせに本当においしい。
調理時の洗い物も鍋とヘラのみ(生のにんにく・しょうが・ネギを使う場合は包丁まな板おろし器ぐらい)で、手も汚れない。
作り置きしとくと、時間がない時や料理がちょい面倒な時にヒジョ―に心が軽いのがまたイイ。
製麺機が意外と気軽なものと知り、麺づくりにも興味が出てきている(うどんやソバの麺づくりにチャレンジしてみたことはあるが、あの手間では腰が重すぎる)。
冒頭レシピのラーメンのような気軽さはズドンとなくなるが、ラーメンに限らず子どもはとにかく「麺」が好きなので、いろんな麺(や生地)ができるといいかもしれない。
安価な麺は相応のもので、健康面でいえばあまりすすんで食べるべきでないという心の引っかかりもなくなる。
このように、子どもは私にモチベーションをくれる。
「自分のため」だと面倒でも「他人のため」ならやる気になる。
こんな世の中を「自分のため」だけに生きなければならない状況はきっとツラい。
ハラリがEテレで言ってたこと《日記#025》
2020年4月29日(水)
Eテレのコロナ特番のハラリ60分インタビュー。※再放送は4/30の0時から(今日の深夜ってこと!)
サピエンス全史を、(図書館の返却期限に追われながら)下巻の序盤まで雑に読み進めたっきりの私としては、Zoomお茶会で再会した友人の話を聞くようなものだ。
なんつって動くハラリ、しゃべるハラリを初めて見た。
ハラリの言ってた(感じの)ことと、オジさんの思ったことがゴチャゴチャになっていることをご了承願いたい。
コロナに気を取られず、政治を見張っておく。
今目の前の命を守るために集められたデータが、この先なにに使われるか。
監視社会が進む。
今は、起こした行動のみがデータになるが、これからは(体の外で起こる)行動だけでなく、体の中のデータが利用される。
スマホに触れる指から、体温や心拍数なんかを読み取ることで、持病が分かったり、感情が分かったり。
なんなら、行動と感情と個人情報が紐づけられちゃう。
こんなニュース記事を読んで、怒りを感じている、○歳の既婚男性、とか。
それまでに得られている様々な情報も紐づけられて、より具体的になっていく。
衛生のための情報は、独立した衛生のための機関(を新設しその機関のみ)が持つべきで、秘密警察のような機関と共有できるものにしてはならない。
健康データについては、国と国民が双方向にアクセスできるものであるべき。
パンデミックにより、これまで遅々として進まなかった物事が、数日や数週間で決まる。
「緊急時だから」よしとしたものだとしても、平時の社会に戻ってその決定が覆ることはない。
権力者が、一度手にした権力を手放すことはない。
覚えてるのはこんなとこか。
日々刻々と、ノン気に生きていられない時代になっていくのを実感する。
ハラリには教えられることばかりだが、ひとつ教えてやりたい。
ティーバッグは入れっぱなしにしない方がおいしい紅茶が飲めるぞ。
「命を守るために」で押し切る政治《日記#024》
2020年4月28日(火)
ダラダラダラダラとお願いばっかりする。
んで、話の最後には「命を守るために」お願いしますねって。
それってなんか、お願い聞いてくれないんなら、あなた間接的な「人殺し」ですからねって言われてるようなもんやん。
なんなら脅迫っつーか。
自粛要請に従わないパチンコ屋を公表するってのも同じ。
「要請」でしょ。
お願い聞いてくれないから「さらし者」にするって、国のやることじゃないから。
法律ってなんのためにあるのよ?
ってゆーか、そんな時だけやけにキリッとキビキビ動いてるように見えるのは私だけだろうか。
だいたい、好き好んで営業してるワケじゃなくて、十分でなくともせめてツブれないだけの補償さえあれば休むんだってば(確認してないけど)。
これスルーしちゃうのってけっこう危険だと思うんだが、国民。
なんか、「やる企業が悪い」「行く客(国民)が悪い」ってムードにされてるけど、認められた自由だから。
自分らのやってること棚に上げて、国民同士をケンカさせるって。
自粛警察ってヤツや。
いや、私はパチンコしないし、今パチンコ屋行く人を擁護するつもりもない。
でも自分自身、最低限の補償もなく、正しい方向かも分からない中途半端な自粛要請に、考えなしに頑なに従うつもりもない。
べつにウェーイってお出かけするようなことはしないが。
しかし、個人に対しても企業に対してもやってることは同じで、矛盾がある。
そう、「矛盾」が不信を生む。
矛盾してるから信じられなくて、信じられないけどみんなやってるから自分もやる。
それ続けて病む。
日本の社会活動の大半がそうなってる。
そんなやり方してりゃ、自殺が増えるのも、生産性が上がらないのも当たり前だから。
結局、国民一人ひとりの感情を軽視すれば、国全体がそんな方向に行く。
今回の国の対応って、日本政治の縮図のようで、私みたいな政治を知らないオジさんにもヒジョーに分かりやすい。
「今この時の体験」を奪われ続ける子どもたち《日記#023》
2020年4月24日(金)
もっと脳天気に書きたい。
だがしかし、世の中の状況がそれを許さない。
12連休を強制した上で、そのステキなネーミングを披露してほしかったものだ。
「体験」を奪われた日々を過ごす子どもたちが心配になる。
その心配に私の方が蝕まれていると言った方がいいかもしれない。
数年前を「ついこないだ」と感じられる大人の感覚で「たかだか数ヶ月」と片づけたくなるが、この毎日を幼稚園や学校に行きながら過ごした場合の、様々なバリエーションの「今この時の体験」がごっそり奪われ、家の中で家族とだけ過ごし続けることの影響は、子どもの時間の濃密さなら相当に大きいだろう。
まして、待ち望んだ休みではなく、登園登校を禁じられているのだ。
そんなことを思うと、緊張感のない環境で、さして不満もなく、ただなんとなく似たような毎日を過ごさせることに抵抗を感じる私がいる。
それがまた、できてしまうし、できてしまう環境の中、制限を課すことで生じる不満が子を感情的にさせ、そんな子の反応が親を感情的にさせる。
なんというか漠然と、「気づいてしまった以上のほほんと生きさせられない」みたいな感覚がある。
ひと昔前は、クソみたいな親でも「親」として世の中に許容されながら共存している雰囲気があったし、そんな親の子もそんな親の子として皆と共存して生きているのが自然な風景だった。
今はもう、「親である以上まちがえられない」ようなプレッシャーが、人と人との間にはびこっているような気がしてならない。
てゆーか私は一体なんなんだろうか?
こんなことをクドクドと書き垂らしているヒマがあるなら、家族を笑顔にさせるギャグのひとつでも考えた方がよっぽどみんなのためになるはずだ。
やっぱり根がマジメなのだろう、どうしても理屈をこねてしまう。
「TVチャンピオン理屈コネコネ選手権」があったら、三連覇ぐらいできそうな勢いだ。
まぁ、私の認識を改める他ないのだが、しっくりくる着地点を見つけあぐねているのが今。
感受性豊かでありながら、社会的に結果を出せていない人間は、自分にも他人にも面倒をかけるものだ。
都心から8割人が減ると近所に8割人が増える《日記#022》
2020年4月21日(火)
しっかし、緊急事態宣言で明らかに「近所」への外出が爆増している。
まぁこの状況だと、スーパーか公園しか行くとこないからそうなるわな。
そもそも渋谷新宿なんてめったに行かない人間からすると、近所のスーパーと公園の「いつも以上の人混み」に晒される方が感染リスクがはるかに高いような気がする。
都心から8割人が減った分、近所に8割人が増えたっつーか。
ウィルス感染よりも「他人の目」や、外出&社会とのつながり不足による子どもたちの心身への影響を心配している。
でこの、緊急事態宣言による外出自粛。
日本の2~3週間先の姿で、ロックダウンが順調なら大幅な感染減が見込めていたはずの欧米諸国からその知らせはない。
ニューヨークがピークを過ぎたというニュースも、ロックダウンの成果としては弱い気がするし、アメリカと中国については、このウィルスの火種的要素が濃いため、なにかときな臭く数字を鵜呑みにできない部分がある。
外出自粛をしていない台湾のコロナ封じ込めが順調だったり、極端な対策を取った国よりそうでない国の方が感染が増えていないという情報もある。
その辺り、現状王道ともいえる厳格な規制による対策の有効性が乏しそうだとなれば、ただ外出自粛要請に従い続ける日々に疑問符が浮かぶ。
もちろん、我が国のこれまでの面白い対策の数々も踏まえた上で。
そこで改めて怖いのが、有効な対策ではなかったのかもしれない外出自粛に従わなくなる人間に向けられる「他人の目」。
「有効な対策かどうか」より、「言われたことを守る」ことが正義となり、考えない多数派が考えて動く少数派を潰しにかかる。
結局ウィルスと戦えば人間同士が争うことになる。
それこそまさに「戦争」。
殺菌やマスクが必須だと思ってる人にぜひ読んでほしいけども、伝えたい人にこそ伝わらないのがブログ記事だ。
残念だが、多くの人がこういうのに気づいて行動を起こすことはないだろう。
個人個人の考え方と行動で、日々を心地よく生きられるかどうかが、よりハッキリと分かれていく時代になる。
ガッポリ建設小堀さんの「ザ・ノンフィクション」にコンビ再開を願う
さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
雨の月曜日。
小堀さんの「ザ・ノンフィクション」見ました?
ザ・ノンフィクション 2020年4月19日(日)放送 52歳でクビになりました。~クズ芸人の生きる道~ - フジテレビ
思ってた以上にクズでよかったですね~。
いやいい意味でですよ(※ご本人向けフォロー)。
仕事は増えずとも、これでギャラ飲みの単価はちょっとぐらい上がるでしょう。
面白くないとか、ネタぐらい作れとか、言う人は言うんでしょうけど、やっぱり私は「芸人ってスゴいな」と思っちゃうんですよね。
誰に何を言われようが「自分が一番面白い」という信念を貫いて舞台に立つ。
その生き様がすべてというかね。
他人がとやかく言うことがナンセンスっつーか。
弟子から金を借り、仕事をもらう。
受け取ったギャラから借りた金を返したと思ったら、改めてその場でまた金を借りる。
この事実だけでも十二分にクズでありながら、生々しいその姿を全国民に晒せる芸人そういないですよ。
(無給前提とはいえ)ゲイバーの面接に履歴書を持っていかないあたり、同じく履歴書を持たずに、頭にタオルを巻いて未経験の漁師の面接に出向き、「履歴書まで頭が回らなかった」とうそぶいたビッグダディに通ずるゆるぎなさを感じた。
まぁ放送については、見られればどこかしらで見てもらうとして、相方の室田さん。
放送後にブログを更新。
このブログ、タイトルの通り元々は「ガッポリ建設とその弟子たち」が持ち回りで更新するスタイルだったんですが、室田さんも弟子たちも早々に更新しなくなり、もう何年も小堀さんが一人で更新を続けている状況なのです。
そこに、このタイミングを狙いすました室田さんの更新。
内容見て下さい。
放送では、クズ過ぎる相方を見限った「常識人」風に登場していましたが、負けず劣らずのクズっぷりに嬉しくなりました。
いやね、やっぱ改めて思うのは、コンビ再開してほしいなって。
10年以上前に新宿のどっかのライブで見たガッポリ建設の破壊力。
小堀さんもまぁまぁデカいんだけど、室田さんがまたさらにデカくて、デカい二人のオッサンが、昼飯食い終わって定食屋から出てきたかのようにあのカッコで舞台に登場して、「物好きな客共め」みたいな顔で客席を眺めては、ただ世の中への悪態をつき合うの。
またアレが見たい。
あ、あと素人審査員目線になって恐縮なんですけど、小堀さんヘルメットでも巨人帽でも、ネタの時は前髪をしまった方がいいと思うんですよね。
二人とも絶妙に腹立つ顔してる(スンマセン!)ので、ちゃんと表情が見えてる方が客からするとすげー笑いやすいんです。
そんなところで、この機会にぜひともコンビ活動再開ご検討下さいませ。
あ、クズといえば、「踏んでもいい男」でおなじみの岡野陽一さんと一緒になんかやってくれたりしたら面白そうですねぇ。
どなたか、小堀さんと岡野さん、新旧クズコラボの実現ヨロシクお願いします!
じゃ、おやすむ~!!