無言ブクマの先にいる誰か
前回の記事に、(id:kami2775)さんより頂いたブコメ。
やはり、この嬉しみを正しく伝わる形で表現しておきたいと思う。
けっこうな頻度で無言ブクマをもらっていて、もちろんありがたいとは思いつつも、無言なだけにこちらからなにを言うこともできず(※これまでも同じような方がたまにいたが、こちらのノーリアクションにいつの間にかブクマされなくなって、なんとも寂しい&なんか申し訳ない)。
ってまぁけっこう前に、ブコメがIDコールできない仕様になったので、無言でもコメントがあっても返信はできないのだが。
あと、ちょっとしたことだが、アイコンがなんか私には「モシャモシャの前髪を垂らした謎のお化け」のように見えて、そこにつられてIDのkamiが髪のお化け?神様?とかなんか、全体的にミステリアスな存在になっていた。
私の「前髪観」はこちら。
がしかし、よーく見るとおそらく「リゾートっぽい浜辺でビーチベッドに寝そべっている二人」みたいな画像??
フツーに普通だ。
で私、どっかのタイミングでIDのリンク先見に行ったりしてるはずなんですけど、なんかその時にすんなりブログにたどり着いてなかったのか(たいがい受付で見てるのでしょっちゅう中断されてその時にやってたことを忘れる)、なんかもうブクマカっていうんですか?ブックマークだけする人、そういう人にしちゃったんでしょうね多分。
改めて見てみたら、ブログやってるじゃないですか。
プロフィール。
会社の経営危機で転職活動中の35歳会社員が、時々自分のM字ハゲと向き合うコラムを投下するハイブリッドなブログ
って、ハゲとるやないかい!!
「ミステリアスな前髪お化け」のはずが、「M字ハゲのオジさん」でしたよ。
いや思い出しました。
一回見ましたねブログ。
で今もまぁそうなんですけど、(自分もそうだし)オジさんのブログはけっこうお腹いっぱいな感じがあって、まいっかってなったんでした。
この機会に読者登録。
(※しかしはてなブログの「読者になる」ってのも、ツイッターのフォローに近いものがあるので、急に「読者やめました」って記事書き出す可能性もありますが。。最近ははてなブログでもそうでなくても、Inoreaderで管理することの方が多いですハイ。Feedlyより断然使いやすいです私は)
(オヤジさんが)ステキな記事↓
てなことで、無言ブクマの先にいたのは、「M字ハゲのオジさんブロガー」でした。
今までさんざんノーリアクションだったくせに、お化けだのハゲだの唐突に激イジり倒してすんません!!
ではでは今後ともヨロシクどうぞ!
↓地味に増えている「先にいる誰か」シリーズ↓
みなさんブログ楽しめなくなってません?《日記#049》
2020年9月2日(水)
なんとなーく、みんな感じてるんじゃないかと勝手に思ってるんですが、いまいちブログ楽しめなくなってません?
いや、私の徘徊してるせまい範囲で勝手になんとなーく感じとってるだけのことなんで、全然そんなことないのかもしれませんけども。
なんこかこう、個々で勝手にやってる感というか、そんなんが強くなってるような。
人様の考えにあーだこーだ言わないのが吉みたいな。
まぁ世の風潮っちゃそうだし、ブログって元々そういうもんな気もしたりもしますけども。
にしてもなーんかつまらんなぁと。
「特定の対象についての意思表明」がしづらい世の中とでもいいましょうか。
すると結局、なんにせよ対象濁してツイッターに投げ捨てて心のガス抜きにしちゃう。
ツイッターという名の痰ツボ。
まぁ私の場合、自分からそんな方向に持ってってる感もありますけども。
はてなスターやめたり。
フォローやめたり。
価値のつけ合いみたいなものを極力避けたいってのが動機ではあるんですけど、反面どうしてもコミュニケーションのハードルを上げてしまっているのも事実で、最近じゃすっかりリアクションのないブログになっちゃってて、どうにも歯がゆい限りですよ。
あとはまぁ、みんな余裕ないってのもあるんですかね。
自分もそうですけど、ブコメとか記事引用とかって、そこそこエネルギー使うじゃないですか。
そうするともう、内容に気ぃ使いつつ時間と労力をかけて、、ってなって「やっぱいいや!」ってなっちゃう。
せっかくの試み「フタケタの輪!」もすっかり滞りまクリスティで。
なんか、そんなのの連鎖な気がするんですよねぇ。
「特定の対象への意思表明」ってのでもうちょい思うのは、「意思」が「批評」になっちゃってるっつーかね。
感想でいいとこに○×つけちゃうっつーか、(無意識に)○×が感想になっちゃうっつーか。
これって、自分が正しいと思いたいっていう人間の本能的な部分と、日本の教育な気がするんですよね。
「こんな考えもあんな考えもあるんだ、面白いねー」で収まるところを、(ひとつの)正解探しちゃう。
アラなんでしょうね、どうしてもこういう辛気臭い話ばっかりになっちゃって。
私なんてホントだったら、親族に無断で死んじゃった友だちのモロ顔出し実名入りTシャツ作ったりとか、そんな下らないこと(いい意味でな!?)だけを追い求めて生きていきたい人間なはずなんですよ。
まーでもね、体調もよくなってきてるし、少しずつギアを上げていけたらなによりですハイ。
妻がエキゾチックになっていく《日記#048》
2020年9月1日(火)
ここ一週間ほど調子がいい。
もしかすると、このまま回復にまっしぐらインテグラなムードさえ漂わせている。
カンジダ対策がうまくいっているのか、ほぼ毎日飲んでいたコーヒーを二週間前からやめてみてる影響か、各種アミノ酸サプリメントか。
よくなってきた当初に、吹き出物がいくつか急に出たり、なんとなく毛の生えるペースが早くなってる気がしたり、排毒が促されて代謝が回り出してきた感覚がある。
元気に任せてお料理しまくりの土日であった。
・砂肝のねぎ塩レモン和え
2割引の砂肝を買ったので作ってみた。すげー手軽でまぁまぁおいしいかった。
砂肝のねぎ塩レモン和え✿ レシピ・作り方 by はぁぽじ|楽天レシピ
・エキゾチックチリソース
妻がエラく気に入り、なんにでもコレを足していて、日に日にエキゾチックになっていく。
図書館で借りたこの本のレシピ。
レシピを丸々載せるのはどうかと思うのでざっくり言うと、おろしニンニクとスパイス(カイエンペッパーとパプリカがメイン)と塩と砂糖を混ぜるだけ。
辛旨ペーストってな感じで、けっこうなんにでも合う。し、とにかくかんたんでウマい。
・ホームベーカリーしっとりフワフワナッツ食パン
ツインバードの安いホームベーカリーで、配合を適当に変えながら作り続けて早7~8年のしっとりフワフワ食パン。
・パエリア
岩井に突き動かされてから二度目のパエリア。今回は、イカとエビとホンビノス貝で作ってみたが、前回ほど旨味が出ず塩気も足らずでちょっと物足りなかった。タコの旨味は思ってるよりスゴいのかもしれない。
・うなぎの肝の甘辛煮
「うなぎの肝」を見かけて、気まぐれに買ってみた。下処理で苦玉なるものを取るのが大変だったが、息子が思いの外気に入ったので、あったらまた作ろう。
うなぎの肝の下処理と甘辛煮 by taechi309 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが337万品
・インカのめざめキーマカレー
ひき肉とインカのめざめ(黄金色の甘いじゃがいも)があったので。
・ガトーショコラ
しかしガトーショコラってのはガトーショコラにしかならないというか、だいたい想像通りの味であまり面白くない。
・塩麹の仕込み
(おそらく)水抜きをしすぎておいしくなくなって以来味が戻らず、ぬか床をいったんやめようと思っていて、代わりでもないが塩麹でも作ってみようかと。もう少し涼しくなったら味噌を作ろうと思っている。
さてはて、そんなところ。
今週のお題「読書感想文」
「代謝」と「ミトコンドリア」の先にいる誰か《日記#047》
2020年8月27日(木)
どうやら、気分と坐骨神経痛のしびれはリンクしている。
そして、腰から足がしびれ頭がモヤモヤしている時は余裕目盛りが一段階少なくなる。
子どもの言動に対する自分の心の反応が分かりやすい。
つい咎めたくなってしまう時はいつもそんな状態の時だ。
程度(やその時の状況)によって自然と抑えが利く時もあるし、無理して抑える時もある、そうしない時も、できない時もある。
実際どうするかよりも、心がそんな反応をするかどうかってとこが肝やで。
これまでの経験から、プロバイオティクスの継続摂取で、腰と頭の両方の症状が軽くなることは分かっている。
ただ、今の状態でそこだけに頼ると、死ぬまでプロバイオティクス頼みになることが懸念される。
その間に、うまいこと代謝のサイクルが回るようになって、プロバイオティクス継続摂取の必要がなくなることも考えられるが、根本に対処しない限りそう都合よくはいかないと思う。
私の場合、根本原因と思われるものとして、「体内に蓄積した有害金属」と、「カンジダのバイオフィルム」がある。
どちらも、キレート作用のあるサプリメントなど、独力による改善方法はある。
私もその最中だ。
ただ、これの難しいところは、改善が目に見えないことである。
もうひとつの問題として、(おそらく)なにかしらの毒素の長期的な影響によって、(おそらく)身体の生命活動が低下していると思われることが挙げられる。
これもまたやっかいなのが、正しいアプローチができていたとしても、身体の反応が鈍っているばっかりに、改善が日々の中でハッキリ体感できないことだ。
さらには、改善に有効とされる栄養素も、代謝がうまく回らなければ負担を増やすだけになる。
自分自身の身体がおぼつかないとなるとやはり、共生するプロバイオティクスに頼るのが道理なのかもしれない。
と、こんなことがグルグル頭を巡っている。
この5年10年という長期間で見て、「去年より今の方がいい」という確信は毎年あるので、おおむね正しい方向には進んでいるはずなのだが。
だがしかしここにきて、ひとつなにかをつかんだ感覚がある。
このふたつを理解することが、様々な原因不明の症状の解消につながる気がしてならない。
カンジダ対策のダイオフ症状《日記#046》
2020年8月26日(水)
やっぱりどうにも「日記」が書けない。
前回のは日記じゃないよな。
より心がけて、他人にはどうでもいい日記をかいていこう。
さてとポテト。
実は昨日の仕事中、すげー気が滅入っていた(※上の記事はあらかた昨日書いてたもの)。
これはいよいよどうにもおかしいと思いつつ一行日記を見直していたところ、なんとなくモヤモヤするなぁと思い始めた時期と、カンジダ対策(2度目)を始めたタイミングが一致していた。
ハハ~ン、これはおそらくダイオフ症状やな(日記なので説明はハショる)。
きっちりクレイを飲んだところ(日記なので説明はハショる)、今日はかなり脳みそがスッキリしている。
前にカンジダ対策をした時は、いっぺんだけモーレツにお腹が痛くなった。
おそらく、(息子のお気に入りスポット「くるまやラーメン」の麺の安い小麦に反応して)デカめのバイオフィルムが剥がれて(日記なので説明はハショる)、有害ミネラルがお腹の中にブチまけられたと考えられる。
今回は、ジワジワ溶け出してるような感じか。
ちなみに、今回はカンジターゼ(84カプセル)。
前回はカンデックス(40カプセル)。
前回のモーレツのあと、体調が大きく変化した実感がなかったことに加え、今回のモヤモヤからも、まだカンジダのバイオフィルムは残っているのだろう。
とりあえず、今のボトルが空になるまで続ける所存だ。
なにかしら残しておきたい感じになれば、もうひとつのブログにまとめよう。
↓ 2020.1.11追記 うん、成功! ↓
「みんなやってるから」の先にいる誰か《日記#045》
2020年8月26日(水)
WHOからこんなん出た。
細かな内容は置いといて、子どもはもうすっかり、「マスクがないと不安」ができあがっている。
「大人たちが恐れる感染への不安」
「みんなしてるのにしないことへの不安」
「コロナをなんとも思っていない私」の子たちでもそうなのだから、まぁだいたいの子どもはそうなってるように思う。
緊急事態宣言の解除で学校や幼稚園が再開されてから徐々に、子どもたちは家の中以外では自分からマスクをするようになっていった。
そう「みんなやってるから」だ。
これぞニッポンの教育であり、その教育でできあがったニッポンの社会。
子どもたちに罪はないし、オジさんにだって罪はない。
「みんなやってるから」は、考える力を奪う。
「みんなやってるから」は、自分らしさを奪う。
「みんなやってるから」は、みんなやってるから安心する。
「みんなやってるから」は、やってない人を許さない。
「みんなやってるから」は、親の言葉よりも強い。
「みんなやってるから」の先にいるのは、みんなと同じ顔の自分だ。
島、ついて行ってイイですか?に感じたこと《日記#044》
2020年8月20日(木)
昨日の「家、ついて行ってイイですか?(テレビ東京)」は、【島、ついて行ってイイですか?スペシャル】。
単純に「憧れ」みたいなモノを感じるだけかなと思って見てたんですけど、ちょっと違ったんですよね。
共通してたのは、「生きたいように生きることを最優先させている人生」ってこと。
なんかもう、これに尽きるなと。
波乗りとか自然に負荷をかけない生活だったり、希少なサメを自分の目で見ることだったり、在来種のヤギを守ることだったり、それぞれですけど、確固たる「人生のメインテーマ」がある。
自分の中の「こう生きる」を中心に見据えている限りは、多少のことはなんてことない、ってゆーより、たとえ「多少のこと」が多少でなくなり「こう生きる」を上回ったとしても、「こう生きる」がハッキリ見えていて、それに向かって生きている限りはどうってことないっつーかね。
分かりにくかったですか?
ま、私が分かればいいです。
結局、「夢」とか「希望」とか、ありきたりな言葉になるんでしょうけど、そういうことなんですよね。
ンでやっぱりみんなお金じゃないんですよね。
あと、そういうとこに集まる人たちってのは、それぞれの「こう生きる」を尊重し合ってるような雰囲気も感じました。
都会(足立区含む)だと全部逆でしょ。
妬んで、足引っ張って、よくても慰め合うぐらい。
あ、それより、そういう人を変人扱い(して自分を正当化)するってのが一番かも。
とそんなことを感じて、自分はどうかなと。
それ以前の問題っつーかね。
「こう生きる」っていう目的を持つ気力がなくなっちゃってる、みたいな。
そういうのってムリヤリ作るもんじゃないじゃないですか。
ないからツラいのが分かっていても、ムリヤリ作るもんじゃない。
ここで止まっちゃう。
自分は止まっても時間はどんどん流れると。
今の若者たちの「やりたいことが分からない」みたいなのも同じですよね。
私は言ってみれば最先端のオジさんですから、若者が悩み出す頃にはもう枯れてシボんでるぐらいのもんです。
現代病先取り世代。
(物質的に)だいたい満たされてるっていう、社会的な背景ももちろんあるでしょうけど、私に言わせてしまうと行き着く先はやっぱり「健康」になるんですわ。
意欲とか活力とかそんなんを奪われる要因が、「現代社会の当たり前」のそこかしこに顔出してくるワケですよ。
いかにそういうのをよけてツブして、見えづらい本当を見つけて、「こう生きる」を自然に持てるような、本来の健康にたどり着けるか。
これが自分自身の救いにもなるし、これからを生きる我が子たちに親として残せるものにもなるのです。
さ、堅苦しくなってきたところでおしまい!!
岩井とパエリア
三年ほど前に、ゴッドタン(テレビ東京)の腐り芸人セラピーで出た名言。
『こっちの30点を100点だと思ってる芸人が売れる』
この言葉を聞いて以来、私は岩井を信用している。
それ以前は半信半疑だった。
理由は前髪だ。
初期の岩井は、前髪を目に入りそうなぐらいの長さで下ろして分け目を作らないという、微妙に独特なヘアスタイルをしていた。
上下黒のジャケットとともに、私にはそれが、ミステリアスとか、シュールとか、センスとか、そういった類の演出に見えた。
名前は「勇気」なのに。
澤部のアラスカもジャマだった。
前髪に頼る人間を見る度に思うことがある。
それはズバリ「上げた方がきっと素敵だよ」ってこと。
高校時代、となりのクラスに岩井のくせっ毛バージョンみたいな前髪でミステリアスな雰囲気を醸し出していた、ハマタシンタロウくんという男がいた。
三学期のある日、彼が髪を短く切り、前髪を上げてきた。
笑顔がとても素敵だった。
同じ笑顔のはずなのに、前髪のある時は「なにかを企んでいる人間」の笑顔に見えた。
見えない、つまり隠すということは、なににせよ相手にネガティブなイメージを与えるのだ。
逆に澤部には、「坊主」と「岩井」を自身のイメージ向上に利用してやろうというあざとさが見え隠れする。
澤部はいつだって30点のお茶の間に狙いを定めている。
澤部にはそういうところがある。
岩井が前髪を上げてヨコ分けにしたのがいつからか定かではないが、岩井がありのままの岩井として認知され出したのは、ヨコ分け以降ではないだろうか。
それはつまり、岩井の見せた「ありのままの笑顔」が、視聴者に伝わったということだ。
そんな岩井が、冒頭の名言以来3年ぶりに私の心を動かした。
地球最後の日に食べたいものが「パエリア」だというのだ。
「パエリア」に決まっていると。
魚介の旨味がつまっていると。
岩井の言葉は点と点を線にする。
私はパエリアを食べたことがなかった。
いつからか食べてもいないパエリアについての思考を放棄していたことに気づかされた。
パエリアのパッと見だけで、なんかリゾット的なチーズとトマトとかのよくある洋風みたいな地中海みたいな味のやつだろうと決めつけて、パエリアを私の人生から追い出したのだ。
なんなら、ピザーラ系列のパエリア専門店の宅配のチラシが入る度に、「誰が頼むねん!」と何度チラシをゴミ箱に投げつけたか分からないほどにまで、パエリアを見下すようになっていた。
パエリアを見下すことで、ほんのわずかでも自分を大きく見せたかったのかもしれない。
「パエリアには魚介の旨味がつまっている」
岩井に繋げられた線の上を、私は走った。
気づけばフライパンのフタを閉じ、タコとイカを米と一緒に炊いていた。
堅めの米とともに噛みしめる度、口中に染みわたる魚介の旨味。
岩井の言う通りだった。
パエリアがパエリアとして存在し続ける理由、ピザーラ系列のパエリア専門店がツブれない理由が、はっきりと理解できた。
きっと澤部には理解できていないだろう。
岩井が、これからの私の人生にパエリアを与えてくれた。
今度はエビや貝も入れたい。
今日も朝から、ヨコ分けの岩井が笑うおはスタを真顔で眺めている。
※「魚介の旨味がつまっている」という言葉は、その後に「おぎやはぎのメガネびいき」に出演した時だった気がします。
「精神的ソーシャルディスタンス」の模索《日記#043》
2020年8月13日(木)
ど~も頭の中がモヤモヤする。
最近は、これさえなくなればかなりいい感じなんだが。
自然と気分がローモードに落ち着いてしまう。
すると、自発的になにかに取りかかることが億劫になってしまっていけない。
逆に言えば、この気分の波みたいなものがなくなって基本的に心地よくいられたら、それだけでハッピーだ。
うん、いい気の持ち方じゃないか。
実は今、「心地よくいられたら、あんなこともこんなこともできるかもしれない私はまだまだ捨てたもんじゃない」みたいな、自分自身への過度な期待という重荷を背負う方向に向かいそうになったところを踏みとどまったのである。
今の世の中、ささやかなことに幸せを感じられるモン勝ちだ。
唐突に自由ネコさんの記事。
いやなんかね、突き詰めれば突き詰めるほど無力感に苛まれるんでないかなって。
ちょい前にツイッターでこんなメンションをしたんですよ。
「人は事実では動かないし、事実を知ろうともしない」ってのを学べたことでしょうか。。
— 林やすむ@あなたに届け私の体調! (@hayashiyasumu) 2020年8月7日
偉そうでしょ??
つっても真理なワケですよ、今の世の中見てたら。
なにも成し遂げてないビルの受付のオジさんがこんなことばっかり言うから人から好かれないんですけどネ!
でも、だったらナニ?成し遂げてたらすんなり受け入れるの?同じ人が同じこと言ってて、成し遂げてなかったら鼻で笑って、成し遂げてたら「ハハー(ひれ伏し)、ありがたや~」って?
いや自分で考えろやって。
他人の意見は手がかりなんだよ。
ってね、私が成し遂げてないからここだけで終わる話ですけど、多分成し遂げてても、それぞれの成し遂げ具合で同じことを思うだけで、結局成し遂げれば成し遂げるほど反動がデカいっつーかね。
で、どんどん突き詰めちゃうから周りにそんな話できる相手もいなくなっちゃって。
で結局、話し相手は神という名の自分自身(つまり独り言!)だけっていうね。
ちょっと似たようなこと書いてる。
自由ネコ記事のリンク先で小池都知事のことなんかも書いてますけど、それも。
今の状況で、もう1回小池さん選ぶの!?って私個人も思ったの。
「普通」に。
まして、東京アラートにみんなキョトンとしてた(はずの)あのタイミングですよ。
誰を選ぶかは一致せずとも、「小池百合子を選ばない」ってとこは共通認識なんじゃないのかなと。
そしたら圧勝って。
普通に選ばれないと思ってた人が、圧倒的に選ばれてる。
自分の「普通」はどうやら普通じゃないらしい。
そんな「普通」を分かち合えない東京都民と共に、同じ東京都民として生きていくのが「社会」なワケで、そら神ぐらいとしか腹割って話せなくなるでしょう。
なんかねー、「知ること」ってある程度までは役に立つけども、心地よく生きていくののジャマになっていくなーって最近思うんですわ。
ただ知るだけで成し遂げてなければ尚更。
いや、人より物知りだなんてまったく思ってなくて、自分ごときでそんなことを感じ出しちゃうのがコワいっつーか。
コロナで確信させられちゃったっつーか。
それでも(特に社会常識的な部分で)自分の信念を貫くってのは、ほぼイコールで孤立するし、楽しくないんですよ(ついでに、孤独は一日タバコ15本分のストレスになるらしいですよ)。
とはいえ、社会に合わせりゃ息苦しい。
なんなんですかコレ!?楽しくないか息苦しいかの二択って!?
さてとポテト。
実際は二択ってこともありませんので、私の今後としては「社会との適切な距離の模索」ってのが長期的なテーマになりそうです。
「精神的ソーシャルディスタンス」とでも申しましょうか。
あーなんか結局辛気臭い内容になりましたね。
まぁそろそろにしましょう。
最近マジっぽいことしか言えなくなってる自分がしんどい《日記#042》
2020年8月5日(水)
不意にこんなツイートを漏らした。
なーんか最近、マジっぽいことしか言えなくなってる自分がしんどい。
— 林やすむ@あなたに届け私の体調! (@hayashiyasumu) 2020年8月5日
もっとバカらしい表現とか発想が湧き出るようにならんものか。。
(最近=ここ10年ぐらい)
すると、いついかなる時も華麗にスルーを決め込んで頂いているフォロワーの方々から、ポンポン、ポン、おまけにポン、といいねがついた(あぁ、4つだ)。
励ましというよりは、共感かなと思った。
いやホントね、結局マジっぽく語ることになりますけど、やっぱ世の中に引っ張られるんですよね、人間。
世の中にある程度満足して、ある程度安心して、ある程度健康で、ある程度余裕がなけりゃ、手放しで下らないことなんかそうそうできないんですよ。
いつも心のどっかになにかしらが引っかかって。
ましてオッサン、まして人の親ともなれば。
そんなんを思うとホントこの、日本のバランスって(国からすれば)うまいことコントロールされてきちゃったよなぁとか思うんです。
ギリギリ食える労働というルーティーンで日々を埋められ、必要なものやサービスは適度に手に入り、娯楽はどんどん手軽になる上に質が上がり。
SNSでは、眩しい人やらはたまた無数の同類に心をかき回され。
楽なこと、おいしいものはやめられず、そこそこに不調を抱え活力奪われ、活かさず殺さずでゾンビ長寿国。
さて、こういうのはやめましょう。
つっても、こんなんしか出てこないんですよね、こんな世の中じゃ。
言いたいことも言う気力を奪われるこんな世の中じゃ♪って、反町も字余りになっちゃってね。
今日だって、「日本列島は中国大陸の端っこが引きちぎられてできた島なんだよ」って、ちょい前にNHKで見たやつを私が娘に話してたら、愛する妻から適当なことを子どもに教えるな的に突っかかられて、私は私で「30年も前に学校で習ったことだけを信じ続けて、愛する夫のトリビアを確かめもせず否定しにかかるなんてそこら辺のババアと同じだ」と朝から、愛する妻とそこら辺のババアを罵倒するだけの不毛な口論に発展したりとか。
朝の話なので実際まだこんなとこに書けるほどにほとぼりが冷めているワケではないのだが、楽しい日々、明るい未来を誓い合った二人が、これほどの些細なことでお互いに気分の悪い時間を過ごさなければならないのも、こんな世の中だからに決まっている。
www.nhk.jpいやでも実は、地道な生活習慣の改善で、心身ともにかなり調子はよくなってきてはいるんですわ。
ここんとこは、もうちょいメンタルが上向きで安定してくれるといいなってぐらいで。
だいたい、私が健康健康言ってるのは、世の中がどうあろうとも、活き活きと自分の人生を生きるためであって、ひとまずそこにたどり着けたら、また改めてなんかしらできるんじゃねえかなって思ってるワケです。
では。