トイレのフタを閉めさせる母のおもひで
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
自分の捉え方ひとつで「しあわせ」に寄せて生きていくことぐらいはできるんじゃねえか?ってふと思いました。
そこでふとふと思うのが、しあわせを感じづらい気質を身につけて生きてきてしまったのかなってこと。
自分の感情やら考え方なんてのは、親とかテレビから無意識に取り込んだモンですよってのは、コレにも書いてるんですが、
より親の影響にフォーカスしてみると、また感じるモノがあります。
私は物心ついた時からの母子家庭育ちなので、母親からの影響です。
特に波乱万丈なエピソードもなく、母子家庭ゆえの苦悩みたいなものもなく、まぁそれなりに健全に育ったんじゃないでしょうか。
もう亡くなってますが、なにかと友だちのネタになるような、比較的キャラの濃い母でした。
まず一番に思い当たる特徴は、「嫌いなもの、許せないものに対する主張が強い」ことでしょうか。
武田鉄矢が嫌い、親戚付き合いが嫌い、とか。
離婚自体も、父親が取り返しのつかないことをしたワケでなく、「覇気がない」かららしい。
ウチに遊びに来た友だちがトイレを使ったら、「さっきトイレ使ったのだぁれ?トイレのフタ閉めてよね!」って、わざわざ部屋の中に入ってきて言うとかも。
よそで言えないことを家の中だけでグチグチ言うんでなくて、どこでも誰にでもそうでしたね。
生きたいように生きてた感じで、ツラさとか悲愴感みたいなものは見られませんでしたが、楽しそうではありませんでした。
子どもが、そんな日々の暮らしの雰囲気から、なんとなく「人生ってこういうもの」みたいのを感じとりながら成長していくんだとすると、親として私にできることは、日々を楽しそうに生きていくことなのかもしれません。
あ、今思い出した。
おじいちゃん(母にとっての父親)の話をしている時の母は楽しそうでした。
えーっと、なんだかまとまりのない話になりました。
ま、でも終わります。
じゃ、おやすむ~!
「美容室と照れ」年末年始でサボりぐせがついたよ2019
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
平日ほぼ毎日更新を続けて二ヶ月ほど。
だいぶ習慣化されてきたのが、年末年始しっかりお休みしたせいか、すっかり筆が重くなりましたよ2019。
今もノープランで書き進めてますが、なにも出てきません。
出てこないので、一回書き出したけどやめたやつを改めて書いてみましょう。
はい、どうぞ。
昨日、髪を切りに行ったんです、美容室に。
おじさんになってから美容室に行ってるんです。
カットのみで、3000円ほど。
その前五年ぐらいは、近所に1500円カットってのがあって、そこに行ってたんですけど、引っ越して行けなくなりました。
そのさらに前は、十年ぐらいずーっと1000円カットです。
もうかれこれ20年ぐらい前でしょうか、上野にQBハウスができた頃から。
年をとるにつれ、髪を切るのにお金をかけるようになってるんですわ。
そりゃまぁ、年々増していく不潔感に比例して、不潔感抑制費がかさむのはしゃあないです。
っていう流れと全然関係なく、私、美容室って十代の頃からずーっと、なんかすごく照れるんです。
いやね、なんか「こういう風になりたい」っていうのを、いきなり知らない人(美容師さん)にお願いするっていう照れ。
それを予約、そう、予め約束して、時間通りに現れるっていう照れ。
で、切ってる間も、徐々に徐々に「あなたのなりたい風にしていってますよ」っていう美容師さんの仕事ぶりをひと切りひと切り、あんなに近くで一緒に過ごさなきゃいけない照れ。
鏡越しでそんなにチェックしてませんよって感じを醸し出す照れ。
で、なんか違くても「そんなにこういう風になりたいのかよ」って思われることを避けたくて言えない照れ。
それらを、毎月やる照れ。
ってな感じで、挙げればきりがないほどに照れる要素が満載なんですよ、美容室ってやつは。
まぁだからね、とにかくどうにも疲れるんですわ。
近所の幼なじみとかが美容師っていうのが私の願いです。
はい、じゃあおやすむ~!!
never young beachの安部勇磨が高橋一生の弟だと知ってびっくりしている件
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
今さら知ったシリーズ第二弾。
私まぁ、意外といい耳を持ってると思ってるどこにでもいるおじさんなんですけど、近年いいなと思ってるバンドで、never young beachって人たちがいるんです。
何年か前にyoutubeでなんか別のバンドの曲を聴いてたら、レコメンドで出てきたんだと。
このバンドのボーカルが安部勇磨さんって方です。
でタイトルの件、役者の高橋一生の弟って話。
なんとなく子どもたちに年越し気分を味わわせたくて録っておいた、年越しの2355(Eテレの0655って子ども番組の夜版)を、元日の昼間に見てたんです。
ええ、大晦日も9時に寝てたので。
そこでなんともノスタルジックな曲が流れてて、「なにコレ?なんかよくない??こういうのを軽くギターつま弾きながら歌える人になりたいわぁ」なんて、子どものアンパンマンのギターをかき鳴らして、一人でベラベラしゃべってたんです。
ええ、ギター弾けませんけど。
そしたら、最後のテロップで「歌:安部 勇磨(never young beach)」ですって。
曲との出会いと、私の耳の反応と、そのくせに安部勇磨だとは気づいていなかったことに、なんともいえない心のゆらぎを感じました。
で、その曲聴きたくて検索してたら高橋一生の弟って情報が出てきてびっくりしたワケです。
苗字違うし、顔も違うし、どういうこと?!
ちょいと複雑な家庭らしく、父親が違うんですって。
5人兄弟で父親が3人いるとか。
しかし、5人中2人が、それぞれ兄だから弟だからっての抜きで、エンターテイメント界隈の別ジャンルの第一線で活躍してて、父親は違うとなると、母親に目がいきますよね。
なにかしら説明もつかないそういう種を持ってたんでしょうねぇ。
すでに癌で亡くなっているそうですが、なかなか奔放な人だったみたいです。
勝手に想像するに、不自由のない暮らしとか世間一般の価値観でいうしあわせみたいなものとは多分だいぶ違う生い立ちを背負いつつですからね、二人とも。
なんというか、負のエネルギーをうまいこと表現活動に活かせたというか、それができること自体も才能なのかもしれませんけど、なんかへぇ〜ってなりますわね。
って勝手に負のエネルギーって決めつけるのもアレですけど。。
ましかし、ネガティブな感情と表現活動ってのは相性いいなと。
だからネガティブなとか決めつけるなってオレ。
そんなこんなで、2355の曲は「尾道の渡し船」って曲でした。
コレの11分頃
なんとなく加山雄三感があるんですよねぇ。
せっかく加山雄三ひっぱり出してきたので、こちらもどーぞ。
じゃ、おやすむ〜!!
2018年のはてなブログおさめ
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
一応、区切りとして書いておきましょう。
今年の三月頃に、メインブログの息抜きとして、はてなブログを始めてみた。
ツイッターでたまたま遭遇したはてなブログの人たちが、なんか素でいる感じがよくて。
私の中の、はてな御三家。
並べてみたら、クセがすごい!
なんでしょう、モチのロン他にも面白いブログたくさんあるんですけど、ひよこが生まれた時に見たものを親だと思う的な感覚でしょうか、ちょうど興味が湧いたタイミングで、ハートをつかまれたというか。。
なんとなくその頃は、いわゆる「商業ブロガー」っぽい界隈に目がいっていて、その辺の(丁寧だけど)嘘臭い感じとか、もったいぶった感じに辟易してたのの反動もあったかも。
で、始めた。
こんな感じで、日常を切り取ってユーモア混じりにやってこうかなと。
がしかし、ビルの受付係という恐ろしいほどに変化のない日常と、ユーモアを混じらせようとこねくり回す面倒臭さ、そしてそれをまず誰にも見られていないという現実。
息抜きどころか、息が詰まる。
私の筆もピタリと止まった。
でまぁ、数ヶ月なんとか月イチ絞り出すのほぼ放置状態が続く。※ただなんとなく、月ごとの表示で書いてない月が抜けるのが気持ち悪いってだけ。
一、二ヶ月に一回ぐらい、溜まった心のウミを出す場所って感じ。
そんな時に、ひょんなツイートにひょんに遭遇。
高齢?ブロガーの新着情報をまとめて一気に!そんな夢のグループが爆誕、でございます。 / “来たれ!大人げない大人たちよ!はてなグループ「シニア部門」爆誕。 - 自由ネコ” https://t.co/EjsQh17890 #はてなブログ
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) 2018年9月4日
とりあえずひょんにポチッと参加してみたところ、気持ちいいぐらいにモチベーションが上がりました。
自由ネコ(id:gattolibero)さん、本当にありがとうございます。
が、そのモチベーションも長続きせず、どげんかせんといかんと、モチベーションの残りカスを絞りに絞って、ムリして毎日(のように)更新する方針にチェンジしました。
でまぁ、時々サラリとサボったりはしてるものの、一応現在までそのスタイルでなんとかやってるって感じです。
いい流れだと思ってます。
こんな感じで来年もやっていければいいかなと。
ハイ、そんな私の2018年はてなブログでございました。
ではでは、本年は大変お世話になりました。
来年もヨロシクお願いいたします!
じゃ、平成最後の年越しおやすむ~!!
去年の今頃通い始めた、太い鍼を鬼のように打ってくる鍼灸院の話
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
年末だし、去年の今頃の話でもしましょうか。
ちょうど去年の今頃、ジョギング中に股関節を痛めました。
二週間ほど経過しても、痛みというか、違和感(寝て起きて歩くと左足が着地する時になんか関節がズレてるような感じ)が軽くなる気配がなく、ちょうど坐骨神経痛の治療で鍼を試してみようと見当をつけていたこともあって、まずはその鍼灸院で股関節の治療をお願いしてみました。
まぁ、経過をたどると長くなるので手短に話しましょう。
三ヶ月ほど、週イチペースで通って、半年経過した頃にほぼ完治した感じです。
せっかくですし、そこの鍼灸師さんの特徴と、やりとりで印象に残っていることをテキトーに箇条書きにしておきます。
・三十代半ば。一見おとなしそうだが、こっちがなにか言うと意外と強く出てくる
・自宅の一室が治療室で、一人でやっている
・患者を治したい気持ちは強い
・それなりに修行をしているようで、そこら辺の鍼灸院よりはしっかり治してくれそう
・私の症状に思いの外手こずり、次第に私の生活習慣を疑ってきたり、チャリ通を続けていたら治るものも治らないなどと言い出す
・昨日来た患者さんは相当ひどかったが、一回の治療でよくなって帰っていった、などと私以外の人を治した話をしきりにしてくる
・遠回しに、治ったらグーグルの口コミを書いてほしいようなことを言ってくる
・治りが悪いと、(同意はしているが)鍼を太い鍼に変えて、鬼のように打ってくる
・別の箇所と並行して数を少なく打った時に、本人的にごくごくオマケ感覚で打った鍼が、私的にはこれまでで唯一、筋肉がフワ~ッと緩むような「鍼が効いた」っぽい効き方をしたので、これからは少なめに打ってほしいとお願いしたが、自分のスタイルではないと受け入れられず、その後もガンガン打たれた
・なかなか治らないのに毎週やってくる私がイヤになったのか、卒業を持ちかけてくる
こんな感じ。
まぁでもですね、あの時は「これ治らなかったらキツいなぁ・・・」って日々かなり憂鬱だったので、ちゃんと治って本当によかったです。
ありがとう、太い鍼を鬼のように打ってくる鍼灸師さん!!
じゃ、おやすむ~!!
届かなかった、たかしくんへの年賀状
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
子どもたちは今日から冬休み。
さて、私の冬休みの思い出を。
あれはたしか小学4年生の時。
毎年仲のよい友達に出していた年賀状で、ある失敗をした。
幼稚園から一緒で、よく二人で遊び、もちろん毎年年賀状を出していた、たかしくんに年賀状を出し忘れてしまったのだ。
単なるド忘れであり、他意はまったくない。
出し忘れたことに気がついたのは、すでに3学期も始まっていた一月の半ば過ぎ。
気がついたと同時に、年が明けた冬休み中に一度二人で遊んでいたことも思い出した。
たかしくんはそのことになにも触れなかったが、そういえば変な空気だったような気がした。
私とたかしくんは、あとにも先にも一緒のクラスになったことはなく、学校ではほとんどしゃべらない間柄だったので、気づいたあとも、私からそのことを話すきっかけもなかった。
最後に遊んだ冬休み以来、それまで月に一、ニ度はあった、たかしくんからの遊びの誘いはなくなり、そのまま中学卒業まで、私とたかしくんが遊ぶことはなかった。
言い訳なりゴメンなり、私がすぐにそのことに触れていれば、二人は仲良しのままだったかもしれない。
たかしくんは、私から年賀状がこなかったこと、私がそれになにも触れなかったことで、「友だちやめよう」ってことかな?なんてことをずっと思っていたかもしれない。
自分の失敗で、自分とたかしくんの人生を少しだけひん曲げてしまったことを今も少しだけ後悔している。
んじゃ、おやすむ。。
政治を知らずにすくすく育ったおじさん
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
望むところではないのだが、近頃ツイッターの私のリツイートやリプライから、政治臭が漂っている。
その時の興味のままにタイムラインにアレコレ流していると、「この人は変わってしまった」と思われてかねないのが、ツイッターのコワいところである。
なのでまぁ、より誰にも見られていないこのブログで消化しておこうと思う。
政治に精通している人であれば、昔からそうだよってなもんなのかもしれないが、近頃ホントに、到底国民のことを考えての判断と思えないような法案が次から次へと可決しまくっているように感じる。
「法案が可決した」で合ってるかどうか知らないが、軽く緊張しながら書いてみた。
無知でも表現することが大切だ。
外国人労働者の受け入れとか、水道の民営化、辺野古の埋め立て、IWC (国際捕鯨委員会)脱退とか、ここ最近だけでも、なんか、オイオイ!って言いたくなるような。
個人的に思うのは、私のような、政治に無関心でいさせる教育にまんまと乗せられた日本人が、日本の政治にだまくらかされて困るのは自業自得な気もするんだが、外国の人から「日本クソだな」と思われそうなことばっかなのがツラい。
素朴な疑問なんだが、国民のことを第一に考えてる政治家っていないんだろうか?
だってなんか、生きるって原則ツラいこと、みたいなのが当たり前な感じの世の中になってて、それに手を差し伸べる人もいない。
で、国民がやめてくれって言ってることばっかりゴリ押しで進めるって、一体なんのためにやってんだか目的がよく分からんのですよ。
嫌われるためにやってるぐらいの開き直り感ありません?
いやべつに、考えがまとまってるワケでもなんでもないし、実際のところなにがどうなってるとか全然分かってないし、だからなにってこともなんもないんだが。。
まぁ、そんなことを思っているってだけ。
じゃ、おやすむ!
我が子への伝言[6]欲求のコントロール 後編
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
さて、前編は主に「物欲」について気をつけたいことでした。
もうひとつ、これからの世の中で特に気をつけたいのは「楽をしすぎない」こと。
つまり「楽をしたい」という欲求についてです。
世の中はどんどん便利になります。
やりたくないことを、ロボットやAIがやってくれる世の中になっていくでしょう。
そういう生活が当たり前になる前に、ぜひ理解しておいて下さい。
「面倒くさいな」「疲れるからヤダな」と思った時に、ひと踏ん張り、そんな気持ちをはね返して、ロボットやAIに頼らずに、まずは自分でやってみる。
「楽をする」というのは「動かなくなること」「考えなくなること」です。
人間は、動かなければ動けない体になるし、考えなければ考えられない頭になっていきます。
自分の頭と体を使って、まずはやってみる。
実際にやってみると「こうした方がいいかな?」とか、考えて動くワケです。
とにかくまずやってみることで、自然と「考えて」「動く」のです。
あらゆる欲求に言えることは「○○したいな〜」というその欲求に、無意識に流されないこと。
まず、その欲求に気づく。
どうしてその欲求が生まれたのか考える。
そして、その欲求に従うかどうかを自分で判断する。
そんなふうに、自分の欲求と付き合ってみて下さい。
さて、なんだかきゅうくつな話ばかりになりましたが、なんでもかんでも全部ガマンってことではありません。
時には、(体に悪くても)おいしいものを食べたり、楽しいことをして欲求を満たすと、いい気持ちになります。
「いい気持ち」は、心にもいいのです。
ただ、すぐ手に入る「いい気持ち」は、たいていすぐになくなります。
大切なのはバランス。
欲求のままに生きていれば、体も心もバランスが崩れて、困るのは自分自身なのです。
無意識の欲求に流されず、自分の判断で適度に息を抜いて、うまいことバランスをとりましょう。
ハイおしまい!
ではでは、おやすむ~!!
我が子への伝言[5]欲求のコントロール 前編
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
ふ〜。
我が子への伝言シリーズは、子どもたちが中学生とかになって、なんかのきっかけでもし目にした時に、なんとなくでもなにかしら感じてくれたらいいかなぐらいの感覚で書いてたんです。
が、娘がブログを始めたりしたもんだから、どうせなら今でも伝わるように書こうかなと思ったら、けっこう大変になりました。
書いてみると、なーんかやっぱり、独りよがりというかなんというか、まぁ、せっかく書いたので上げましょう。
では。
人にはいろいろな欲求があります。
「○○がしたい」とか「○○が欲しい」とか「○○になりたい」とか。
そう思うのは自然なことなので、なにも心配はいりません。
大きくなると、その欲求を叶えるためにどうするかを、自分で決めることになります。
その時に、気をつけておきたいことを伝えておきます。
前編は、主に「物欲(ぶつよく)」について。
※子どもの「お菓子食べたい」とかも食欲というより物欲な気がするので、その辺も含めます。
まず、今もこれからも、世の中には「人の欲求をコントロールしようとする仕組み」がたくさんあるということ。
テレビのコマーシャルも、ユーチューブの広告も、なんなら動画そのものだってそうかもしれません。
たとえば、食べ物屋さんにガチャガチャがあるのも、ガチャガチャが必要だからあるのではなく、そこにガチャガチャを置けば、家族でご飯を食べに来た子どもたちがやりたがって、ガチャガチャが売れると思うから置いているのです。
ちなみに、ガチャガチャで買ったおもちゃで、今も大切に遊んでいるモノはありますか?
ないでしょう?
ガチャガチャは、「○○が欲しい!」という欲求よりも「ガチャガチャやりたい!」という欲求をコントロールされて買ったモノだからです。
べつにそれがいけないワケではありません。
ガチャガチャは、商品プラス、その「体験」を売るモノなのです。
モノだけが価値ではありません。
お金を入れて、ガチャガチャを回して、中身の分からないモノが出てきて、カプセルを開けて中身を見るという体験に価値があるワケです。
目的は、欲求をコントロールすることではなく、モノや体験を売ることなのです。
コマーシャルでおいしそうなハンバーガーを見れば、食べたくなりますよね?
ユーチューブで面白そうなゲームをやってれば、買ってやってみたくなりますよね?
そういうひとつひとつが、あなたの欲求を刺激してあなたを動かそうとするのです。
日本は今、世界の中でも豊かな国のひとつで、食べたいものや欲しいものが、かんたんに手に入ります。
その欲求のままに、食べたいものばかり食べていれば、体も心も調子が悪くなります。
ゲームばかりやっていれば、目は悪くなるし、他のことをする時間もなくなるし、お金もなくなります。
子どものうちは、パパやママに言われて仕方なくガマンしてきたことを、大人になるにつれ、自分の意思でやめなければなりません。
そのために大切なのは、まず「気づく」ことです。
このコマーシャルは自分にハンバーガーを買わせようとしてるんだな?とか。
まぁだいたいは、モノやサービスを売るためです。
まずそこに気がつけば、その先の、(欲求のままに)ハンバーガーを毎日食べ続けたら自分の体はどうなるとかってのはイメージできるだろうし、自分で判断できると思います。
欲求をコントロールされそうになることに気がついて、その判断を自分で決められば、それほど大きな問題にはならないでしょう。
えーっと、今日はここまでにしましょう。
じゃ、おやすむ!
人が増えた。とにかく人が増えた。
どうも、鈴木やすむ[@suzukiyasumu]です。
人が増えた。
とにかく人が増えた。
小さい頃から、実家のある足立区周辺を行ったりきたりして過ごしてきた。
ラッシュ時以外ならたいていすわれた電車も、座れないどころか、いつだって思ったより混んでる。
自転車でスイスイ走れた駅周辺も、今や人波を縫って走ることが迷惑行為になりそうなくらい混んでる。
お店も混んでる。
おいしい店もおいしくない店も、チェーン店も混んでる。
人が多いとセカセカする。
人が多いだけで、気持ちがセカセカする。
いつも自分だけしか通らなかった路地にも、たいてい人がいるし、気をつけなくてよかった曲がり角からも、人が飛び出してくる。
たまに、千葉の外れや東京都下に出かけると、やけに心が休まる。
人が少ないから。
人が少ないだけで、やけに心が休まる。
いつか子どもが大きくなったら、人の少ない土地へ移りたいと思う。
人が少ないだけで、心が休まるから。
じゃ、そっとおやすむ。