私の体調

私の体調を世界にお届け!

メガネびいきの選曲センス対決がなんか好きだ

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©おぎやはぎのメガネびいき


おぎやはぎのメガネびいきTBSラジオ)」の、新年の恒例行事がある。

そう、企画というより行事。

おぎやはぎとスタッフがそれぞれのセンスで選曲し、リスナー投票で新年一発目にふさわしい曲を決める「選曲センス対決」である。

わざわざブログ記事にするようなことでもない気がするが、なんか書く気になったので書いておこう。

今までも「なんとなくいいな」と思ってはいたけども、特に気に留めることはなかった。

やってる方も聴いてる方も、みんなそんな感じなんじゃないだろうか。

まず、たいがいどの曲も普通にいい。

そして、それぞれの曲に(軽くでも)それぞれの想いがあるからなのか、聴く気になる。

(自分でやってみようとすれば分かるが、意外とテキトーには選べない)

あとなんだろう、「選曲」ってのがミソなんですかね。

ウケ狙い的な要素はあるにはあるんだけど、ベクトルが「お笑い」じゃないの。

まぁ、「曲」の「センス」だからそらそうなんだけど。

とはいえ音楽となるとその場にいる全員が素人なワケで、ミュージシャンのイケすかない業界ノリみたいなことにもならないワケです(ごめんミュージシャン)。

そんなんもあって、みんな自然とフラットな立場で臨めるっつーか。

演者も裏方も、ベテランも若手も。

いわゆるひとつのダイバーシティ

この辺はやっぱり、おぎやはぎのなせる技なんですかね、そういう垣根を意識させず、とはいえ馴れ合いにはならず。

まぁそんな空気感の中で、それぞれが「新年一発目にふさわしい曲」を持ち寄って、リスナーは投票という形でそんな新年の雰囲気を共有してる感覚。

えーっとまぁ、そういうのがなんかいいなと思ったってだけの話でした。

ちなみに私は、新籾(あらもみ)さんの「My Sharona/oito oitenta」に一票。

マインマインマインマインマ フー!ってやつのカバーなんだけど、激カッコよ。


My Sharona

 

そんなワケで投票結果や放送の詳細は↓

www.tbsradio.jp

若林のバイブス

数ヶ月前に、オードリーのオールナイトニッポンの書き起こしを読んだ(※聴いたって言わないあたりの正直さを買ってほしい)。

オジさんになってくると体力が落ちてくるとか、体調がイマイチだっていう流れからの。

若林正恭)でも「眠い」っていうところが……ほら、なんて言うの? それが自分たちの気持ちだから。「眠い」っていうことが今、一番ホットな話題なわけじゃない? で、そのフリーフリースタイルバトルで言うと、やっぱり「眠い」っていうことをちゃんと言わないと、バイブスが伝わっていかないんだよな(笑)。オードリー 気力、体力の衰えを語る

歳とると眠いとか疲れるとか、そういうとこでなく(それはそれで共感するが)、眠いなんて言いたかないんだけど、今まさに眠いその時に眠いってことを表明しておかないと、本当の気持ちが伝わらないっていうところ。

今からなにを言うにせよ、すべてにおいてベースには「眠い」という想いがあると。

たとえそれが、「自分のコンディション」という、トーク内容としては省いても(というより省いた方が)成立するモノだとしても、今その時の一番の想いををまず伝えておかなければ、自分としてもスッキリしないし、受け手に刺さっていかないんじゃないだろうかって。

この辺って、芸人だろうが個人ブログだろが同じようなもんなんですよね。

やっぱり、なにかしら引っかかってることが別にあると、たとえあるテーマで書けたとしても、もうひとつビシッと決まらない感覚が残るんですよ。

今だとやっぱりコロナとかね。

べつに書きたかないんだけど、ある程度自分なりの理解が深まってくると、(求められてなくても、大方の意に反するものでも)書いておかなきゃなんか隠しごとしてるみたいな気になるっつーか。

べつに頭の中全部晒す必要なんてないんだけど。

suzukiyasumu.hatenablog.com


少し前のロンハーで、小峠が言ってたのもなんかリンクしたんですよね。

ワイプの表情とか、始めのうちは大げさにうなずいたりしてたけど、なんかちがうなと思うようになってやめた、とかそんなようなこと。

こないだ佐久間さんのラジオで、麒麟の川島が言ってたのも。

ほぼ忘れたけど、「結局本当に思って出てきたものじゃないとウケない」みたいな。

なんか全部共通してるんですよね、「その時の本当の気持ち」じゃないと100 で伝わらないっつーか。

「気持ち」が「言葉」に乗ってるかどうか。

それが欠けると、若林の言う「バイブスが伝わっていかない」になるんだろうなと。

なんてことを立て続けに思わされたので書いておいた。

じゃ、おやすむ~!!

2021年の抱負と黒豆きな粉オレ

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 明けましておめでとうございます。

暮れたとたんに明けましたね。

短いお休みながらも、妻が例年以上におせち料理(お雑煮、お煮しめ、伊達巻、なます、チャーシュー、煮玉子。と、私も黒豆煮)をこしらえてくれたこともあってか、なかなかのんびりお正月気分に浸れました。

歳をとると、行事ごととかってやっぱある程度ちゃんとしといた方がいいなと思いますわ。

暮れてる時にも言いましたけど、世の中的にはヤバい方向に突き進んでいきますが、個人的には年々いい感じです。

明けてこの数日でも、肩の具合が自然治癒モードに入ってきた感じがあって、それだけでなんかウキウキしてます。

そんな感覚を大事にしたいっつーかね。※「死体っつーかね」って一番に出てきましたけど気にしないっつーかね。

いかに世の中で起きてることから自分を切り離して、できるだけ「自分ごと」の中で生きていけるかですよ。

ネガティブはネガティブとして視界の隅に捉えつつも、原則ポジティブにピントを合わせておく。

さあさあ、あんまり新年からこねくり回してもアレですね。

黒豆煮の煮汁を牛乳で割ってきな粉を溶かした「黒豆きな粉オレ」がやけにうまかったという、2021年初発見を添えておしまいにしましょう。

じゃ、おやすむ~!

2020年の知ってよかったこと3選!

 さてとポテト。

なんだかあんまり振り返りたくない2020年となりましたけども、やっぱりまぁ時が経って「そーいやこんな年だったな~」ってのを残しておきましょうか。

社会全体としては、コロナ禍によってこの何十年で最もネガティブなムードに包まれた年と言っていいぐらいですが、それを抜きにすれば(って実際のところは抜きに考えられませんけども)、個人的には今年もまた右肩上がり(左肩痛め)のよい年でしたわ。

まずはやっぱり、抜きにはできませんのでコロナ。

ザックリと、新型コロナウィルスが人為的なもので、その後の(日本はモチロン)各国の対応にも、いろんな誰かしらの意図が働いてるってのを確信できたことだよね(※ここから少しの間、関暁夫でお送りします)。

自然発生的なウィルスだとしたら、不自然なことが多すぎるの。

細かい話は、しないからね。

極端に言えば、これからの生き方というか、心の持ち方が、明確になったんだよね。

今がまさに、人類のターニングポイントってこと。

軽~くだけ、説教臭いことを、言っておくよ。

いい?

今の社会は、「もうちょっと我慢してれば、また普通に戻る」と思ってる人、

もう戻らないから。

言っとくけど、みんなバカにされてるんだからね。

これだけあからさまに動き出したら、

さ・す・が・に・気・づ・け・よ!
(※関暁夫でお送り中です)

なんなら、みんなのその、なんとなくやっちゃってる社会への同調が、そんな異常な社会を、「当たり前」に、変えていくの。

異常が当たり前になる社会で、生かされていくのは、キミたちなんだからね。

信じるか信じないかは、あなた次第!
(※関暁夫終了しました)


さて。

次の知ってよかったこと。

MMS(二酸化塩素)。

suzukiblog.com

これもここでは多くは語りませんが、自分や近しい人に、癌やらなにやらそんな類の難儀な病気が発覚した時に、右往左往せず、まず試すべきものがはっきりしたという安心感。

最後。

すべり込みで、トリガー鍼灸

note.com

今のところ、すっきりすべてが解消されたワケじゃありませんが、外からの治療的なアプローチで、最も手応えを感じられたものかもしれません。

これまでも自分なりに、テニスボールとかゴルフボールとか、ストレッチポールとかなんだかんだ駆使して、筋膜リリース的なことをやってたこともありますが、独学の限界っつーかね、効果があるのか逆効果なのか、結局なんだかよく分からなくなるんですわ。

それが、スッスと数十本の鍼で、(全部じゃないけど)痛みを消し去られて、原因が「筋膜」にあって、それが解消されれば痛みがなくなるってことが実感できたのは非常にデカいです。

さぁそんなところ。

これからますます社会が危うい方向へ突き進む中で、個人的には日々QOLの高まりを感じていまして、自分のやってきたことが実を結び始めている充実感さえ感じておるこのところであります。

唐突に、お題「#買って良かった2020

えー、買ってよかったものは、バリカン!

suzukiyasumu.hatenablog.com

って、記事によると昨年末あたりに買ってるようで、買って良かった2019でした。

ということで、2020は特になし!

それでは皆々様、よいお年を~!

&おやすむ~!!

みんな苦しいマスク着用おゆうぎ会

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年長さんの息子のおゆうぎ会を見てきた。

ある程度のことは予想していたが、なかなかしんどいコロナ禍のおゆうぎ会の様子をリポートしておこう。

会場は区の施設。

入口での検温、消毒はもはや当たり前の儀式だ。

有無を言わさず大人に振り回される子どもたちが一番しんどいのは大前提として、子どもたちを除くと、とにかくキツそうだったのが先生たち。

子どもたちの学年や出しものにより(基準に意図のよく分からない部分もあったが、演奏か劇かなど)、舞台上でもマスクをつけさせたり外させたり、マスクをつける出しものの時は幕を下ろす前にいったんマスクを外して写真撮影の時間を設けたり、その度に先生たちが動く。

洗濯ハンガーの洗濯バサミに園児の数だけビニール袋をはさみ、そこにマスクを入れさせるという、この日のために編み出されたオリジナルアイテムを手に、マスクを外す度、先生たちが舞台上へ回収しにくるのだ。

本当に気の毒でならない。

それを思うと親の方はマスクをしてるだけで(私はほぼアゴマスクだったが)、あとはフカフカのシートに座って見てるお客様。

とこのように、窮屈にマスクをさせられていても、もっとしんどい人が目の前にいれば、(無意識に)自分は恵まれてると思えてきちゃうから、社会全体が一人の人間の心理に与える影響ってもんは恐ろしい。

そんなんを、出しものの数だけくり返す。

行事の時ぐらいしか先生たちと顔を合わせる機会がないので尚のこと、様子の変化が目につく。

疲弊しきった感じの先生がチラホラ見られて、にんともかんとも忍びない。

数々の衣装も大半は先生たちの手縫い手作りらしい。

でもね、私のことを「○○くんのパパはやさしそうだしイケメンだね♡」って息子に言ってたらしい担任の先生、息子は和風な衣装の「鬼滅感」が気に入ったようで、家に帰ってからも衣装を着て走り回ってますよ!!(※走ってヒラヒラする感じが鬼殺隊っぽくていいらしい)

え~っと、先生はチーズケーキがお好きなんですって??

私けっこうおいしいチーズケーキ焼くんで、今度ぜひ食べにいらして下さい。

だ、旦那さんも一緒に!?

えぇ、モモ、モチロンですとも。。

そっか、新婚さんでしたもんね・・・


な~んて冗談ぐらいは通じる世の中であってほしい今日この頃です。


いやでもホントに、今の世の中で先生になろうって人なんて、少なくとも私よりは(職業についてはまちがいなく)志の高い人なワケで、そんな人たちの職業から「しょ」を奪わないでほしいものです。

え?

しょですよ、しょ。

しょくぎょうから「しょ」を奪ってみて下さい。

「くぎょう」

そう!

職業を「苦行」にしないでってこと!(※うまい!50円ぐらいの価値あり!)

じゃ、おやすむ~!!

おしゃれにnoteデビューしたボク

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遅れてきたルーキー、林やすむです。

noteデビューしました。

note.com

いやまぁ、とりあえずのところお試し感覚でして、特にはてなブログから引っ越しとかは考えてませんが。

noteには、(近年ウェブ検索上で急落した)個人の発信の価値を少しでも高めようという努力を感じます。

一方のはてなブロ、、イヤやめておきましょうね。

その辺の憂いみたいなことはちょいちょい書いてきてますし。

suzukiyasumu.hatenablog.com

ましかし、はてなブログで書いてる意義みたいなものが日々薄れていってる気がするのも事実。

なのでまぁ、ちょっと新しい刺激がほしいんですかね。

そんなとこですハイ。

6歳の息子が「死んだらつまらない」と思ったそうです。

朝起きてきた息子(6歳・年長さん)とのやりとり。

息子「夜寝たり起きたりしたよ」

父「怖い夢でも見たの?」

息子「パソコンがあって、その前に人が並んでて、男の人がナイフを持ってて、前の人の背中をグサッて刺したの」

父母「えーッ!」

息子「そしたら起きて『夢かぁ』ってなったの」

母「夢でよかったね~」

息子「死んだらつまらないって思った」

父「哲学者かオイ!」


最近の息子のエピソードをもうひとつ。

前々から、クリスマスプレゼントは炭治郎の日輪刀がいいと言っていた。

音の出るカッコイイやつだ。

それがつい先日、ママにこんなことを言っていたそうだ。

息子「クリスマスは服がいい」

母「え?日輪刀じゃないの!?」

息子「刀はパパのがあるじゃん」

母「音も出るんだよ?」

息子「音は口で出せばいいよ。炭治郎も自分で言ってるじゃん」

母「そ、そっか、服ね」

6歳にして、物欲に踊らされず、炭治郎のごとく遊びの本質を嗅ぎとっている。

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父作の日輪刀(ダンボール製・手前は腰ひも付きのさや)

作って3ヶ月以上経つが、今でも「全集中 水の呼吸・・・」なんつって刀をシュインシュインして飛び回りながら一人鬼滅ごっこを楽しんでいる。

まだある。

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左から、伊之助の刀(折れてるバージョン)、上弦の壱の刀、胡蝶しのぶの毒の刀、伊之助の刀、刀のツバ各種(付け替えることでいろんな人の刀になるという息子のアイデア

もっとある。

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息子作の悲鳴嶼さんの武器

じゃ、おやすむ~ッ!!

suzukiyasumu.hatenablog.com

まさに他人事!最近の私の気になりごと3選!

このところ、ちょっとした気になりごとがコマゴマと積もっている。

大きなところでは、やはりコロナ。

なにを訴えても届いて欲しい人には届かないという現実をいい加減受け入れてはいても、ちょっと知ってなにかしらの意図があることぐらい分かろうゼェ??って思いは、時間が経過して情報が多くなるほどに増していく。

マスクでも消毒でもワクチンでも、みんなが気づかなきゃ道連れにされちゃうワケで。

それぞれ中長期的に(人権とかもあるけども)衛生上大きなリスクを背負わされることには無関心(というよりテレビが言わなきゃ知らない&信じない)で、身内も友人知人も誰も死なないコロナをただひたすら恐れるだけ。

おっとっと、こういうのはコンパクトにいきましょう。

そんなんでやっぱり心がゴチョゴチョッとしたり。

あでもね、最近すご~く心強いなと思えたことがひとつ。

コロナの嘘とか、健康の重要性とか、その辺りのことを理解してて、聞くところ私なんかよりもシビアに実践してるらしい人がリアルで確認できたんですわ。

妻の友人の旦那さんっていう、まあまあ近いとこで。

いくらネット上で、本質を理解してる人の存在が確認できてても、けっこう近くに実際にいるんだって感覚は精神的に全然ちがいますわ。


とあとはまぁ仕事とか。


中年死す 34歳以下を雇えば120万支給される地域雇用開発助成金

いやなんか、中高年の就業事情なんかを見聞きすると、まったく他人事でなくて、ゆうてもやっぱりこう、自分ならではの感覚なり能力によって食えるようになっておけなかったってのは自分の中でかなりの痛手で、ゆうても社会が不安定になればなるほど、自分の身の置き方がそんな社会に左右されてしまうワケですよ。

泉沢さんも大変そう。

 私は今んとこ運よく受付のボロッボロのイスに数年座り続けてますけども。

いやまぁコレもこの辺にしときましょう。

あとはね、あとはあとは、、娘(小4)のパソコンとかね。

佐世保小6殺害事件ってありましたよね。

あれの本を読んだんですよ。

www.whitepapers.blog

↑コレ見て読もうと思ったのがもう一年も前ってねぇ。。

そこに至る背景を細かく知ると、インターネットやら、交換日記やら、バトルロワイヤルやら、大人の感覚だと、そこからホントに殺しちゃうとこまでいく!?って感じなんですけど、やっぱりそういう「さじ加減」みたいなものを身につけていく年頃において、ストッパーだとか導きのない環境が心を暴走させていったっつーかね。

にしても最後の章の、お兄ちゃんの綴る言葉たちがスゲー心にググッときます。

って、我が娘がそんな可能性を秘めてるなんてことでなくて、むしろ親としてサボってないかいってこと。

なんかこう、教えるとかより、環境を整える(過保護でなく、失敗も含めて大ケガしない程度のデコボコ道ぐらいは作ってやる)ことの方が重要かもしれませんわ。

suzukiyasumu.hatenablog.com

そんなんでなんかちょっと野放しのネット環境が気になっちゃって、今その辺の対応をしてるとこで。

おばあちゃんの遺したiMacを主に絵を描く用に使わせてて、まぁグラフィックソフト使うのに検索とかも必要だろうし、その辺はゆるくOKにしてたんです。

ちなみにクリップスタジオってソフト。

↓いいタイミングでこの記事見て買ったこの本片手にせっせと描いてます。

mangaenikki.com

そしていつの間にやらこんな絵を描くようになりましたよ、天国のおばあちゃん&おじいちゃん!

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娘(小4)がクリップスタジオで描いた絵

suzukiyasumu.hatenablog.com


さて。

そんでまぁやっぱり、フィルター的なもんは必要だろうなと。

がしかしね、一度与えて当たり前にしてしまったモノを奪うってのは、親のミスなんですよ。

suzukiblog.com

※ちなみにこの記事の見出し画像は、3年前の娘の絵です。なんたる激急成長!!

ついでに3年前の父親の絵はコチラになります↓

suzukiblog.com

そして今。

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全集中!

 ハイ、戻ります。

なので、ちょっと申し訳ないなって。

娘がまたそういう時に、「心にダメージ受けてます」って顔するんですわ。

結果的にそれまでとたいして変わらないとしても、自由を奪われたという心の傷だけは残る感じの。

でもやっぱり、ポチポチしただけでドぎついエログロなんかにたどり着いちゃったりすることもフツーにあり得ますしね。

とそんなことで、なにかと複合的にモヤモヤしておるここんとこですハイ。

やけにリンクだらけの気が散る記事に仕上がったことを、心を込めずにお詫び申し上げておしまいにします。

んじゃ、おやすむ~!!

 

あー、そんな日々に感謝。※お題ネジ込み大作戦

今週のお題「感謝したいこと」

なぜ人は誰よりも自分を信じるのか

本当に不思議だ。

どんな人間だろうと、誰よりも自分を信じる。

誰かの言うことを信じたように見えても、「それを信じた自分」を信じている。

そして、自分の信じたこと以外を信じようとしないのも人間だ。

さらに、自分の信じたものが「正」、それ以外を「誤」と振り分ける。

様々な考えを受け入れようとはしない。

意識しない限り、誰でも本能的にそうなる。

社会はそれの集まりだ。

正しいかどうかでなく、より多くの人が信じたものが「標準」となる。

そして多くの人が無意識に、ごく自然に、標準を「正」に置き換える。

それが今の世の正体だ。


っていう長い独り言。

じゃ、おやすむ~ッ!!

ツイッターで見た「いろんな次元の動画」で思ったこと

 

 

 これを見た次の日にふと思ったこと。

ものの見方って、まずいろんな見方をするための行動があり、いろんな見え方があることを知り、その見え方の理由を見た実感も加えて解釈し、そのすべてが(正解不正解でなく)そこにあることを受け入れる。

ってなこと。

まぁそれだけなんですけど、なにかしら考えごとをする時に、なにかしら身になる答えを導けそうな気がしません?

なんにせよ自分が動くことがスタートなのかなとか、ただ知ることも大事だけど実際の体感による感覚とか感情とか疑問なんかにさらなる価値があるよなとか、それぞれの立場で見える景色が違って、その景色だけを見続ける人もいて、また別の景色を知ることや見ることが正しいワケでも間違っているワケでもなくて、そんなすべてをただ受け入れたり、受け入れられなければ、受け入れられないことわざわざ表明する必要はなくて、自分自身の中でだけ受け入れられないと受け入れればいいとか、そんなこと。

じゃ、おやすむ~!!