私の体調

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ガッポリ建設小堀さんの「ザ・ノンフィクション」にコンビ再開を願う

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室田さんによる姑息なブログ更新

さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 雨の月曜日。

小堀さんの「ザ・ノンフィクション」見ました?

ザ・ノンフィクション 2020年4月19日(日)放送 52歳でクビになりました。~クズ芸人の生きる道~ - フジテレビ

思ってた以上にクズでよかったですね~。

いやいい意味でですよ(※ご本人向けフォロー)。

仕事は増えずとも、これでギャラ飲みの単価はちょっとぐらい上がるでしょう。

面白くないとか、ネタぐらい作れとか、言う人は言うんでしょうけど、やっぱり私は「芸人ってスゴいな」と思っちゃうんですよね。

誰に何を言われようが「自分が一番面白い」という信念を貫いて舞台に立つ。

その生き様がすべてというかね。

他人がとやかく言うことがナンセンスっつーか。

弟子から金を借り、仕事をもらう。

受け取ったギャラから借りた金を返したと思ったら、改めてその場でまた金を借りる。

この事実だけでも十二分にクズでありながら、生々しいその姿を全国民に晒せる芸人そういないですよ。

(無給前提とはいえ)ゲイバーの面接に履歴書を持っていかないあたり、同じく履歴書を持たずに、頭にタオルを巻いて未経験の漁師の面接に出向き、「履歴書まで頭が回らなかった」とうそぶいたビッグダディに通ずるゆるぎなさを感じた。

まぁ放送については、見られればどこかしらで見てもらうとして、相方の室田さん。

放送後にブログを更新。

gapoken.jugem.jp

このブログ、タイトルの通り元々は「ガッポリ建設とその弟子たち」が持ち回りで更新するスタイルだったんですが、室田さんも弟子たちも早々に更新しなくなり、もう何年も小堀さんが一人で更新を続けている状況なのです。

そこに、このタイミングを狙いすました室田さんの更新。

内容見て下さい。

放送では、クズ過ぎる相方を見限った「常識人」風に登場していましたが、負けず劣らずのクズっぷりに嬉しくなりました。

いやね、やっぱ改めて思うのは、コンビ再開してほしいなって。

10年以上前に新宿のどっかのライブで見たガッポリ建設の破壊力。

小堀さんもまぁまぁデカいんだけど、室田さんがまたさらにデカくて、デカい二人のオッサンが、昼飯食い終わって定食屋から出てきたかのようにあのカッコで舞台に登場して、「物好きな客共め」みたいな顔で客席を眺めては、ただ世の中への悪態をつき合うの。

またアレが見たい。

あ、あと素人審査員目線になって恐縮なんですけど、小堀さんヘルメットでも巨人帽でも、ネタの時は前髪をしまった方がいいと思うんですよね。

二人とも絶妙に腹立つ顔してる(スンマセン!)ので、ちゃんと表情が見えてる方が客からするとすげー笑いやすいんです。

そんなところで、この機会にぜひともコンビ活動再開ご検討下さいませ。

あ、クズといえば、「踏んでもいい男」でおなじみの岡野陽一さんと一緒になんかやってくれたりしたら面白そうですねぇ。

どなたか、小堀さんと岡野さん、新旧クズコラボの実現ヨロシクお願いします!

suzukiyasumu.hatenablog.com

 じゃ、おやすむ~!!

運がいいと思うにこしたことはない《日記#021》

2020年4月17日(金)

自分の進むべき道が、より明確になっていく。

細かいことはこっちに書いた。

suzukiblog.com

世界がこういう方向に進もうとしない限り、未来は今と地続きだ。

ちょっとまぁいいや、やめにしよう。

とりあえず、私は運がいいなと思っている。

全く持って、未来を予想して身の振り方を考えたことなどないが、これまで有事の際にはそれなりに安定した状況下におり、プラスアルファの不安や不幸に見舞われた経験がない。

今回のコロナについてもそう。

二十代半ばから苦しめられてきた数々の慢性的な不調。

これがなければ、上の記事のような考えには到底たどり着けていないし、健康状態も今とは雲泥の差であっただろう。

一見不幸とも思えることが、今この状況での「心身の安定」につながっている。

職についてもそうだ。

自慢ではないが、社会人生活の中で、無職期間やまったく食えていない自営期間が人並み以上にある(どうだ、本当に自慢ではないだろう?)にもかかわらず、東日本大震災の時や、二人の子どもが生まれた時、母が亡くなった時は、私の職歴史上最もまともな職場におり、起きたこと以外に環境によってなんだかんだと煩わされることが一切なかった。

上の子の時も下の子の時も、出産の立ち会いから2週間ちょっと休暇を取り、心の底からのんびりと過ごせた家族の時間は、私の人生で最高の宝物だ。

そして私は今、ビルの受付係という世間的にうらやましがられることのない仕事に就いている。

業種の格差を問わずコロナ対策で右往左往させられる今の状況の中では、変わらぬ環境で働けるだけでもありがたみを感じられ、諸々よい方に転がっていると思えることにも自分の運を感じる。

さてとポテト、こんな時だからこそ(よい)物思いにふけってみた。

運も大切だが、それぞれがそれぞれの生き方を問われている。

医療崩壊もオーバーシュートも言い張ればしてないことにできちゃうんだ《日記#020》

2020年4月15日(水)

いやもう医療崩壊してるやん。

受け入れできないし、クラスター発生してるし。

すでにオーバーシュートっつー状態にあるんでないの?

あ、そうか。

言うか言わないかだけのことで、国が「持ちこたえてる」って言い続ければそううことにできちゃうんだ。

数字もか。

「ちょっとずつ増えてるけどまだ大丈夫」って言い続ければ、それを事実にできちゃうんだ。

医療崩壊もオーバーシュートも「してない」って言い張れば、してないことにできちゃう。

集まった本当の数字は集めた人にしか分からない。

現実になにが起きていようが、「数字はこうだから」でどうにでもできるんだ。

このままGW明けに向けて感染者数は下り坂カーブを描き、最低限の補償で押し切って、社会を通常運転に戻したいってことなのかな。

「コロナを乗り切った日本」と。

緊急事態宣言でより不便になった街に、残されたわずかな自由を求めて人が集まる。

都会の繁華街の人は減っても、それぞれの近所はフツーに人だらけだ。

現場の事実は数字に影響しない。

こんな状況で、一人ひとりの意思に任せておける理由が見えてきた。

わずかな生活の余白が奪われただけの緊急事態宣言《日記#018》

2020年4月9日(木)

緊急事態宣言で、それまで「ネット予約と受け取り」という形(本棚スペースは立ち入り不可)で利用できていた図書館が休館になり、すべてのサービスが利用できなくなった。

本が借りられなくなるという具体的な不便さよりも、緊急事態宣言によってこれまでできていたことを制限された窮屈さを感じる。

「受付にいること」が業務のほぼすべてであるビルの受付係にテレワークはない。

金もらって休めるってのはまぁ理想ではあるが、個人的には意外と「極めて労力の少ない仕事をしながらお金をもらえている」今の状況は悪くないなと感じてもいる。

自転車通勤で、業務での人との接触もほぼないため、感染リスクは極めて小さい上に、日頃の健康管理で、自分自身が感染して重症感染者になるかもしれないという不安もない(無症状感染者としてウイルスの媒介になるかもってのはある)。

ハッキリ申し上げて、「自粛生活の気分転換」気分で仕事をしている。

あれだけ「働きたくない」と思っていた人間が、こんなことを感じる。

家族水入らずの休日も、それを強いられるとなればストレスを生む(こともある)。

人間って不思議だ。

えーっと、言いたかったのは、緊急事態宣言の恩恵を受けられる一部の人以外は、より自由が制限されて、この状況の中で(ただでさえ少ない)できることがさらに減らされただけじゃねーかってこと。

「生活は守るから全員一ヶ月だけ外出しないで」

初動でコレが言えていれば、「要請」だったとしても多くの人が受け入れただろう。

それが、「3連休の気の緩みで~」って、入りからいきなり国民に非があるかのように責任を押しつける。

それも「オリンピックの都合」を隠すために。

1万2000円でいい?お肉券でいい?

で結局マスク2枚。

緊急事態宣言したけど一部の人以外は普通に働いてね。

緊急事態だけど電車通勤してね。

でも土日は外出しないでね、緊急事態だから。

一部の人?まだ決まってないんだ、緊急事態だけど。

タイマーズがいたら、人がまばらな「渋谷スクランブル交差点ゲリラライブ」でこんな感じの曲(ってゆーかもっと痛快なやつ)を聴かせてくれたかもな。


ザ・タイマーズ 伝説の生放送事故 オリジナル再アップロード 4K Video 5 1Surround

『ある父親の記録』《日記#017》

2020年4月8日(水)

ささやかにもう一個のブログをリニューアルした。

なにかに特化した(体の)ブログでなく、もうただの私の記録だ。

このはてなブログで「思っていること・考えていること」をなるべく熱いうちに書き、それらから導き出された(その時点その時点の)「私の中の答えらしきもの」を、もう一個のブログに記録していくイメージ。

それぞれ心の基地のような。

で、最初に書いたのは急にレシピ。

suzukiblog.com

いやなんとなく、ここんとこの日記での反応が嬉しかった勢いで。。

あぁ、人は心で動くのである。

この日記スタイルも思った以上に書きやすく、ここんとこしばらく抱えていたブログへのモヤモヤが晴れた。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 あそう、健康サイトの記事も、やっぱ『ある父親の記録』の方に引っ越しさせて、健康サイトとそのツイッターアカウントは削除することにした。

見てくれてた方、どうもありがとう。

ブログにしろツイッターにしろ、キャラクターを使い分けるのはストレスになる。

リアルでも同じだろう。

人によって態度を変える人間は、どこか病んで見えるものだ。

「大切な人」がいない人の気持ちを逆なでするかもしれないメッセージ《日記#016》

2020年4月7日(火)

ここんとこ、「大切な人を守るための行動」を促す雰囲気が強くなっている。

私なんかだと妻と子どもがいて、志村けんが死んじゃったりしたもんだから、そのタイミングで、お店のレジ的なとこではマスクしようってなった。

個人的には、感染は個人の健康状態とか生活習慣によるところが大きく、(様々な情報に触れた上で)マスクはほぼ意味のないものだと思っているのは変わらない(※手の除菌は意味がないどころか、常在菌を殺してコロナのためにわざわざ空きスペースを作ってるようなものでむしろマイナスだってのも)。

ただ、こういう世の中になっしまっている以上、相手に与える不安を考慮する必要はあるだろう。

えっとまぁ、そういう話じゃないんだ。

要は、今の私であれば、そんなメッセージが一応効果的ではあると。

ただ、「大切な人」がパッと思い浮かばないような境遇にいる人にとっては、そんなメッセージが繰り返されて、世の中がそんな雰囲気になっていくってのは、ヒジョーにしんどいんじゃなかろうかって。

自分には守りたい大切な人はいないし、自分の命は自分の責任なので、外出自粛なんてしませんけど?って、私がそんな立場ならフツーに思うような気がする。

なんなら「大切な人いねーけど悪りーの!?」ぐらいな。

なんかホント、人の心を動かすのって難しい。

子育てでもけっこう似たような場面があったりする。

って、一例を書こうと思ったが、疲れてきたのでやめよう。

みんなくたびれている。

子どもが大人のコントロールを感じ取るように、国民は国のコントロールを感じ取る。

今は、促して意思に任せる時ではない。

向かうべき場所を具体的に示し、その原動力になるような力強くシンプルなメッセージで心を動かしてもらいたい。

マスク2枚をドヤ顔でばらまける人間に、国民の心が伝わることはないだろうが。

ガッポリ建設小堀さんのザ・ノンフィクション放送決定!

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さてとポテト、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

 ガッポリ建設の小堀さんメインの「ザ・ノンフィクション」の放送が決まったとのこと。

【4月19日(日)14:00~ 】

gapoken.jugem.jp

その情報を聞いた南千住のキックボクシングジムでのお笑いライブからずいぶん経っていたので、お蔵入りしたものと思っていたが無事放送決定、よかったよかった。

チャンス大城さんとお話しできたり、アマレス兄弟と舞台上でゲームしたり、ルサンチマン浅川さんを知れたり、ステキなライブだったので、ぜひまたやってほしい。

ってしばらくはムリか。。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 と思ったらちょい前にやってた!

にしても、チャンス大城さんがブレイク。

(多分)「さんまのお笑い向上委員会」きっかけで、「5時に夢中!(MXテレビ)」の月イチレギュラーコーナー『月刊地下芸人』が始まったり、アメトーーク!出たり、しくじり先生出たり。

元カノのくわばたのりえちゃんもそんなようなことを言ってたが、ホント、舞台上でも、舞台降りてお話しさせてもらっても、テレビで見ても、全部同じで、ものすげー誠実な人柄を感じさせる。

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 ワーキャーのブレイクな感じではないので、なんとなくこのままいけそうで嬉しい。

チャンスさんが出てくる度に「あの時のチャンスさんだよ!」と子どもに教えている。

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あの時のチャンス大城さん

最近の若手芸人(若者)と、スタッフ(オジさん)の間での意思の疎通がうまくいかず、扱いづらい人気若手芸人より、(話の早い)売れてない中堅~ベテラン芸人の需要が増えているらしいと、なんかのネット記事で読んだ。

真偽は知らんが、なんか分かる気はする。

なので、小堀さんもそんな流れにうまく乗ってもらいたいものだ。

新型コロナで外出自粛ならぬ放送自粛にならないことを祈っている。

じゃ、おやすむ~!!

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レモン汁とライム汁《日記#015》

2020年4月3日(金)

子どもに求めてしまう。

どうも子どもに求めてしまう私がいる。

ダラダラさせたくないっつーか。

私自身、若干ストイック気味な自覚はあり、子どもに対して酷な要求だよなと思うことも間々ある。

反面、(これからの時代に怠惰に流されないことは)それだけ大切なことなんだよとも。

要はその辺りのバランスでいつも悩むって話。

親バカでもなんでもなく、うちの子たちはとても「いい子」だ。

とはいえ、時にはダラダラしたりケンカしたり騒いだり、親のしてほしくないことをすることもある。

親に余裕のない時ほどそんな場面が増えたりする。

子育ての危ういところは、「よいこと」「悪いこと」の基準の大部分が、たった二人(or一人)の親にあることだ。

親の機嫌で基準が変わることだってある。

たからこそ私は、まず自分自身の精神的安定(≒健康)を叶えようと努めるし、本質的なふさわしい答えに近づくために知識を得たり考えをまとめて文章にしたりする。

子どもたちに成長させてもらっていると言っていい。

うん、ちょっとなにが言いたいのか分からなくなっている気がする。

最近息子(5歳)が時々言うことがある。

「大人は飲みたい時にビールを飲むのに、どうして子どもはジュースを飲んじゃダメなの?」

我が家は基本的に、いわゆる清涼飲料水的な飲み物を(親も飲まないし)子どもに飲ませない。

(※ちなみに親が飲むビールも、特に決めているワケでもないが「休日に一番搾りを二人で一本」とかいうささやかなもの。)

「絶対禁止!」となると抑圧が強すぎるので、(数ヶ月に一回レベルで)よきタイミングがあれば買うこともあるし、家族付き合いの中でそんな状況になる時まで「ウチはダメ」とはしない。

ジュースの「味」を知り「害」が後回しなら、飲みたがるのは当然のこと。

ならばその害を説明すれば納得するかといえば、そんなことはない。

実感するのは「味」だけで、「害」は(なんなら子どもを言いくるめたいだけかもしれない)親の言葉のみ。

大人でさえ、いわゆる「体に悪いもの」の害をそれほどのものと考えていない人が大多数のこの世の中が、見えないものや今起きていないことに備える難しさを物語っている。

コロナに対する今の日本も同じようなものだろう。

そんなことで、正直、ビシッと納得させる答えが今のところ見つかっていない。

ジュースとビールという違いから、大人であれば理解できるであろう説明も、5歳の子どもには通用しない。

まぁしかし言いたいことは「大人は好きなものを飲んでるのに子どもはなんでダメなの?」ってことだろう。

理解可能な説明ができないなら、親がビールをやめるか、子どもにも相応の「楽しみ」を味わわせてあげるか。

 

なんてことを先週あたりにここまで書いていて、その週末にしたこと。

子どもに「お手軽レモンライムジュース」を作った。

清涼飲料水を習慣にしたくないとか、親も子も息抜きは必要だろうとか、コスト面とか、諸々考慮した結果導き出されたアイデアだ。

小さめのコップに7割程度水を入れ、小さじ1程度の甜菜糖を溶かす。

そこに、カルディの100%レモン汁とライム汁(ライム汁!)を適当な割合で注いでできあがり!

ちなみに、そのために買ったものはない。

いわゆるジュースのような強烈な味とまではいかないが、子どもの反応から、「麦茶じゃない」というスペシャル感を与え、不公平感を拭うことはできたかなと思っている。

「マスク2枚」をあのノリで言えるのがリーダー《日記#014》

2020年4月2日(木)

国の緊急対策として一世帯にマスク2枚。

布だ。

ツイッターを眺めてたら、なんかもう「マスク2枚」をネタに書くのもバカバカしくなるくらい、誰もが呆れている。

私も呆れている。

これほどまでの勇気ある決断を下せる人間に、国のトップを任せていた自分たちに。

そう、これは我々国民一人ひとりの責任なのである。

なんかちょっと、急にくたびれてきた。

にしても、真意がまったく読み取れないあたりに狂気を感じる。

たとえば「オリンピックがどうなるか確定するまでは感染者を出したくない」的な、裏事情っぽいものが見えてこない。

誰かに対する忖度の「マスク2枚」なのか、なにかを守るための「マスク2枚」なのか。

「なんと、今私のしているこのマスクと同じモデルの布マスクを国民の皆さまにもれなくプレゼント!」

なぜこんなノリで言えるのか?

フツーに頭がおかしくなったんじゃないかと心配になる。

ノリ的に絶対おかしい。

どなたか、なんとなくでも「こんな事情があるんじゃないの?」みたいなことが思い当たれば教えてほしい。

しかし、マスク2枚をひたすら封筒に入れる作業をすることになる選ばれし国民が現実にいると思うと、なんとも言えずになんとも言えない気持ちにさせられる。

コロナ禍の読み方を調べるひと手間《日記#013》

2020年4月1日(水)

チラホラ見かける「コロナ禍」という文字列。

禍(か)と読み、災難とか災いという意味らしい。

www.google.co.jp

「コロナ禍」で、コロナによる災難。

で、いつからか使われ出した「コロナ禍」の誤用なのか、「コロナ渦(うず)」という新語が出現し、かなりの勢いで「コロナ禍」を侵食してるらしい。

www.poc39.com

多分、「なんとなく違うけど調べるの面倒くせーし、渦っぽい感じで言ってること伝わるから、渦でいいんじゃね?」ってのが、この状況を生んだのではないだろうか(※大手メディアの記事でも「コロナ渦」が使われているところを見ると実際どうなのかは謎)。

恥ずべきことかもしれないが、四十数年の人生で「禍」という文字に初めて出会った。

私自身知らなかったし、「コロナ渦」現象からも、「禍」という文字や「~禍」という表現は、(世代によるのかもしれないが)一般的ではないように思う。

私が言いたいのは、そんな一般的でない文字を引っ張り出してきて、わざわざ「コロナ禍」なんて表現する必要ある?ってこと。

なんだかんだとゴチャゴチャしているこんな時に、調べものを増やさないでほしい。

一番最初に言い出したのは誰だと、「コロナ禍 言い出しっぺ」で検索を始めた私に、心の中のぺこぱがささやいた。

「言い出しっぺを吊るし上げるのでなく、新しい言葉を知ることができた感謝を示すべきだ」

心の中にぺこぱを常駐させておくの、オススメです。